第9話 能

 ………戸は開いたけれど…

 誰も入ってこない。


 始業のチャイムが今、鳴った。

 チャイムが鳴るのを待っていたのかも知れない。

 静まり返った教室で全員が注目するなか、少しずつ白い物が見えてくる。


 限りなく透明に近い特別老人講師こと、城田アタウ先生多分…がゆっくり、すり足で入って来た。


 白い浴衣の丈が長くて、引きずっている。


 いつもお爺さんの能面みたいなループタイを着けていたけれど、アタウちゃんの顔自体が、お爺さんの能面になっていた。


 奇妙な空気が、ふわーっと広がり、背中をさわさわと撫でて行く。

 俄然、ワラワル感が増してきた。


 全体的に透き通る様に白いアタウちゃんは、此処ワラレルワールドンでも流石の透明感を放っている。

 向こう側が透けて見えそうだ…

 というか…

 あー…

 若干…


 アタウちゃんは幽霊になってしまったのかも知れない…

 細かい事はスルーして、ずりずりとちょっと透明なまま進んで行く。

 教卓に向かうけれど、なかなか辿り着かない。

 あともう少し、という所で止まった。


 全く動かない…


 静止状態が結構長くて心配になってくる。

 お腹が痛いのかも知れない。

 あまりにも動かないので、だんだんカラクリ人形か何かにも見えてきた。

 全員が無言で見守るなか、アタウちゃんの右手が左胸をそっと押さえる。


 あ…


 あれは…


 心臓!!


 死ぬな!!

 アタウ!!

 もう、既に生きていないかも知れないけれど、生きろ!!!


 心の声が届いたかの様にアタウちゃんは、ゆっくりと動き出した。

 袂から大きな筆を取り出して、黒板に何か書いていく。

 書き終えるとまたずりずり動き出して、文字が少しずつ見えてくるけれど、何なのかよく分からない。

 教室全体が前のめりに、アタウメッセージに目を凝らす。

 筆圧の細い小さな文字が見えた。


 自習


 空気が一気に緩んだ。

 ボン子なんかは既にお菓子を食べている。

 みんな各々、自由に喋ったりして寛ぎ始めた。

 授業中という事を完全に忘れて、自習という名の自由を謳歌している。


 だけど…


 アタウちゃんはまだ居るのだ。


 ギリギリ教室内でずりずりしている。


 そして止まったかと思えば次の瞬間クルンッと向きを変え、さっきまでのすり足はなんだったのか、という速さで黒板まで戻り、数字をするすると書き出した。


 へ…


 呆気に取られていると、ボン子がお菓子を食べながらメモっているのが見えた。

 周りに視界を広げると、雑談で盛り上がる教室でG4だけが黒板を写していた。

 アタウちゃんが、蚊の鳴くような声で何か言っている…


「ココォ…ダイジ…デッカラネッ…ヨォクゥ…ミテ……クダサイネッ…」


 限りなく透明に近い特別老人講師こと、城田能先生確定…が、限りなく透明になった。


 は…


 消えた…


 数字も消えて、黒板には自習の文字だけが残っている。

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