第22話 月咲の問い

「あなたもシスターならば、わかりますよね?」


 ふっと月咲が柔らかな笑みを湛え、祐奈は黙り込んだ。

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ月咲の提案が魅力的に思えてしまった。

 当初の目的である吸血鬼はすでに月咲によって命を落とした。ならば、戦いたくないと言っている相手とわざわざ刃を交える必要はないのではないだろうか。


 質問に答えるだけで済むのならば、すぐに桜子の元へ帰ることができる。多少怪しまれてしまうかもしれないが、なんとか誤魔化せるだろう。


 と、そこまで考えを巡らせて、祐奈はシスターらしからぬ思考をしてしまったと反省して己を戒めた。否定するために顔を上げる。


「それにあなただって、ああいう風にはなりたくないでしょう?」


 月咲が横に視線を送っていたので、それを辿る。先にいたのは完全に事切れた男の吸血鬼の姿だった。

 そして月咲の物言いにはっとする。


「まさか、その吸血鬼を殺したのって」

「ええ、そうですわ」

「それだけで殺したっていうの?」

「ええ」

「なんで」

「だって、お姉様の質問に答えなかったのですわよ? 十分に万死に値しますわ」


 祐奈が反論する意味が分からない、と月咲は首をかしげた。それで祐奈は悟った。いや、初めから月咲はそうではあったが、確信に変わった。月咲はお姉様と呼ぶ血器以外はどうでもいいと心から思っているのだ。


「さて、シスターさん。あなたはお姉様の質問に答えてくださいますよね?」


 仕切り直すように月咲が問いかけてくるが、祐奈の返答は決まっていた。


 シスターが吸血鬼に協力するような真似はできない。今は祐奈のことを見逃してくれたとしても、今後はきっと誰かを襲うだろう。それは彼女が吸血鬼である以上は避けらない。ならば見逃すことはできない。自分の身のために他の人たちを売っただなんて桜子に知られてしまえば、失望されてしまうに違いない。


 せっかく距離を縮めて姉妹になれたというのに、そんなことは死んでもごめんだった。

 それに、一番の解決策は月咲をこの場で倒してしまうことだ。そうすれば質問に答える必要はないし、誰かが被害に遭うこともない。


 深呼吸をして、月咲をじっと見る。


「それはできない」

「あらあら。それは残念」


 祐奈の返答を聞いて、月咲はわざとらしく肩をすくませた。


「ごめんなさい。わたしはシスターだから、吸血鬼を倒さないといけないの!」


 先手必勝、とばかりに斬りかかろうと一歩踏み出した刹那。


「――ッ!?」


 祐奈の手から刀が弾き飛ばされて、宙を舞った。

 何が起きたのか理解が追い付かず、祐奈は目を瞠る。弾かれた刀が地面にカランと音を立てて転がり、それが眼前に迫った月咲によって行われたのだと理解した。


 呆気にとられ、恐怖を感じる間もないまま血器を突きつけられる。思わず祐奈は腰を抜かしてしまった。


「あなたは何か勘違いをしているようですが、わたくしは質問に答えれば見逃してやると言っているのです」


 今までの穏やかな口調とは一変した、怒気を含んだ冷酷な瞳と声色で鼻の先にピタリと血器の切っ先を突きつけられる。


「もう一度だけ、慈悲深いお姉様に免じて考える機会を差し上げますわ。お姉様の手を煩わせないでくださる?」

「……ぅ」


 開かれた口からは空気が漏れるだけで言葉は空中に霧消した。

 優しく問いかける月咲の顔には微笑みが浮かんでいるが、瞳の奥はまったく笑っていない。自分の気に入らない返答をすれば、即刻殺すと言わんばかりに祐奈のことを見つめていた。


「……わかった」


 祐奈は小さく首を引いてうなずき、のどの奥から絞り出すように答える。

 それを見て、月咲は満足げに唇を三日月に歪め、くつくつとのどを鳴らした。


「どうやら、愚か者ではないようですわね」

「それはどうも」


 心から従うわけではない、と抵抗のつもりで睨みつける。しかし、そんなことは特に意味をなすこともなく、月咲の表情の色は変化しなかった。

 つまらなさそうに鼻を鳴らし、祐奈から一瞬目線を外す。それから自身の記憶を確認するように少し間を空けて、ゆっくりと祐奈に問うた。


「あなた――マユリ、というシスターをご存じ?」

「マユリ……?」

「ええ」


 教会にいるシスターの名前を一人ひとり思い出してみる。沙織から始めて、最近出会った桜子まで、水丘市にいるシスターの名前を可能な限り思い出すも、マユリという名前のシスターはいなかった。


 しかし、どこかで聞いたことがあるような、と思案を巡らせる。


 マユリ、マユリ……とつぶやきながら記憶を辿っていくも、全く思い出せなかった。ひょっとすると、テレビか何かで似たような名前の芸能人を見て、それとこんがらがっているのかもしれない。


「ごめん、わかんない」

「そうですか……」


 月咲が瞳を覗き込むようにグイッと顔を近づけてきたので、祐奈は息を詰まらせた。月灯りの銀糸が揺れ、紅の瞳に吸い込まれそうになる。

 祐奈が目を見開いていると、月咲の腕が胸元に伸びてきて、乱暴に胸ぐらを掴まれた。高圧的な口調を突き刺される。


「嘘を吐いたら、殺しますわよ?」

「嘘じゃない」


 じっと祐奈のことを値踏みでもするかのように見て、ようやく顔を離した。


「どうやら、本当のようですわね」


 祐奈から手を離して、ため息を吐く。


「本来ならば、歯向かってきた愚行に、その首を跳ね落としたいところですが、約束どおり見逃して差し上げますわ。お姉様に感謝してくださいませ」


 乱れた服を整えている祐奈を見下すように言って、月咲は血器をうっとりと眺める。


「あぁッ! さすがはお姉様! お心が広いお方ですわ。その大きく広いお心と御身を満たすことのできるよう、わたくしの全てを賭して尽くさせていただきます」


 それから月咲は出会った時と同じ、まるで映画のワンシーンのようにドレスの端を摘んだ。気品に溢れた礼をする。


「それではまた。ごきげんよう」


 相も変らぬ掴みどころのない声色で挨拶を聞き、祐奈が瞬きをすると、もう目の前に月咲の姿はなくなっていた。


 まるで春の嵐とも思えた一幕に、祐奈は夢でも見ていたのではないかと錯覚を起こしてしまう。しかし、現実は都合よくできていない。暖かな春の昼下がりだというのに震えている指先。心臓を掴まれた様なひやりとした感覚が嫌というほど鮮明に残っており、月咲が存在していたことを物語っていた。


 やがて空気が弛緩し、穏やかな風に吹かれたことで祐奈は落ち着きを取り戻した。場に残っていた月咲の残像が段々と消えていく。


「…………」


 桜子の元へ帰らねば。そして沙織に月咲のことを報告せねばならない。足に力を入れて、なんとか立ち上がったそのとき、自身を呼ぶ声が聞こえた。


「祐奈お姉ちゃん!」

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