第8話 祐奈と桜子、初めての見回り

 それから足早に進んでいく桜子の後を追うように、祐奈は教会へと帰ってきた。


 教会の中に沙織の姿はないので、居住スペースでテレビでも見ているのだろう。買ってきたものを届けて、見回りに行こう。

 そこで頼りになるところを見せれば、桜子も心を開いてくれるかもしれない。


 と、扉の前で桜子が足を止めた。中に入ろうとしないので、どうしたんだろう、と横から覗く。

 桜子はノックをしようとしているのか、中途半端に手を伸ばしていた。


「桜子ちゃん? どうしたの?」

「あ、いや」

「入ろ?」


 お邪魔しまーす、と祐奈は扉を開けて中に入る。


「沙織さーん、買ってきましたよ」

「お邪魔します」


 玄関で靴を脱いでいると、奥から沙織が顔を出した。


「おー、おかえり二人とも」


 祐奈と桜子からコンビニの袋を受け取り、中身を確認した沙織は満足そうにうなずいた。それから沙織は、靴を脱いでいた桜子の頭に手を乗せる。


「桜子。お邪魔しますじゃなくて、ただいま、でいいんだぞ。ここはお前の家なんだから」

「あ……うん」

「ま、ゆっくり慣れていけばいい。二人とも、おつかいお疲れさん」

「いえいえ、帰る途中にコンビニありますから」


 答えながら、視界の端で桜子が手洗いうがいをして、奥へと消えていくのを見送る。このあと祐奈と見回りがあるから、自分の部屋へランドセルを置きに行ったのだろう。


「祐奈、桜子とは上手くできそうか?」

「今のところはなんとも。でも、これからの見回りで、バシッと先輩らしく頼りがいのある所を見せてやりますよ!」


 サムズアップして元気よく告げる祐奈に、沙織は微苦笑を浮かべた。


「張り切るのはけっこうだけど、今日は桜子に街を案内するのを一番に考えてくれ」

「え?」

「もちろん仕事だし、いつ吸血鬼が現れるかわからないから、油断をしていいわけじゃない。だけど、桜子にも街のことを覚えてもらわないといけないからな」


 まずは桜子に水丘市のことを知ってもらって、好きになってもらわなくては。

 ならば、まだ慣れていないうちは何よりも桜子のことを優先させるべきだろう。

 祐奈が頭の中で見回りのルートを描いて、桜子にどう説明するべきか考えていると、ランドセルを置いて身軽になった桜子が戻ってきた。


「桜子ちゃん! 見回り行こう!」

「え、うん」

「お姉さんがいろいろ教えてあげるね!」


 頼りがいのある所を見せようと、はっきりと言い切ってにこりと微笑む。しかし、桜子は少し引き気味で一歩下がった。


「あ、あれ? どうしたの?」

「なんか嫌だった……変にテンション高くて」

「そんなことないよ。さ、早く行こう! 二人で!」


 ここでグズグズとしていたら、丁寧に説明をする時間がなくなってしまうかもしれない。

祐奈は桜子の右手をガシッと掴む。柔らかくてすべすべな小さな手に、表情がにやけてしまいそうになった。それを誤魔化すために玄関へ向かおうとしたら、


「沙織さん!」


 桜子が沙織に助けでも求める様な縋る声を発した。


「気をつけてなぁ」


 沙織の声を背中で聞きながら、祐奈と桜子は見回りへ向かった。

 祐奈の見回りの対象となっているエリアは、駅の西側から商店街とその周辺となっている。


 周囲は段々と暗くなってきているとはいえ、まだまだ人通りが多いので、この時間帯に吸血鬼と出会うことはほとんどなかった。学校帰りの学生や仕事帰りのサラリーマンが大勢いる駅の周りを歩いて見回って、異常がないかを確認する。


 沙織から連絡が来ることもなかったので、祐奈は桜子を連れて商店街の方面へ向かった。

 駅を挟んで反対側にあるショッピングモールとは違って、商店街は祐奈が生まれたときから変わらぬ姿と雰囲気を保っている。祐奈にとってすれば、こちらのほうが水丘市っぽくて好きだった。


 顔なじみの八百屋や肉屋の前を通って、見回りを続ける。中ほどに来たところで、お気に入りの喫茶店の近くにやって来た。


「桜子ちゃん、あそこのお店のケーキ、すっごく美味しいんだよ」

「ケーキ」

「今度、一緒に食べに行かない?」


 お菓子がダメならケーキはどうだろうか、とダメもとでさそってみる。

 桜子は入り口に設置されている看板に描かれているショートケーキの写真に、じっと目を凝らせていた。そして、少し悩んだ様子だったが、最終的に首を横に振る。


「行かない」

「そっかあ、残念」


 どうやら、まだ二人きりで出かけるほどには、信頼を勝ち取っていないらしい。それでも、きっと桜子も気に行ってくれると思うので、いつか絶対に来ようと祐奈は思う。


 その後、商店街を一通り見て、次いで周囲の住宅街を巡って、祐奈と桜子は公園に来ていた。


 一軒家にアパートやマンションなどが立ち並ぶ住宅地の真ん中という立地のおかげで、休日平日問わず昼間は子供たちの元気な声が聞こえてくる公園だが、今はほとんど人がいない、しんとした寂しい空間が広がっている。


 結局、今日は吸血鬼と出会うこともなく、怪しい人もおらず、沙織からの緊急の依頼が舞い込むこともなかった。

 桜子にカッコイイところを見せられたかは微妙だが、水丘市で初めての見回りだったことを考えると、きっとこれでよかったのだろう。

 ベンチに座って、温かいカフェオレを飲みながら桜子に尋ねる。


「桜子ちゃん、どうだった?」

「どうって、別に」


 相変わらず、祐奈に笑顔を見せてくれることはなく桜子が答える。それからカフェオレを一口飲んで、ポツリと俯き加減で聞いてきた。


「ここって、吸血鬼いないの?」

「いないってことはないけど、他の地域に比べて少ないって沙織さんが言ってた気がする」

「東京とは大違い」

「そうかもねぇ」


 きっと東京ならば、毎日のように吸血鬼と戦っているのだろう。

 シスターとして働き甲斐はあるかもしれないけれど、水丘市が吸血鬼でいっぱいになったら嫌だなぁ、と祐奈は渋い表情になった。


「さて、そろそろ帰ろうか桜子ちゃん」

「吸血鬼倒してないけど、いいの?」

「うん。時間的に帰らないと沙織さんに怒られちゃう」

「……わかった」


 帰るまでが遠足、と小学生の時に担任の先生が言っていた言葉を思い出しながら、祐奈は桜子と教会へ戻った。


 学校から帰って来たときは、扉の前で躊躇していた桜子だけど、今度は自分でドアノブを回す。

 少しだけ躊躇していたのがとても可愛らしかった。

 出迎えた沙織に、桜子はもごもごと籠った声でつぶやく。


「た、ただいま」


 その一言に沙織は目を瞠ったが、すぐに笑顔を作った。


「おう、おかえり」


 ニカッと笑う沙織に照れてしまったのか、桜子はせかせかと靴を脱いで、奥へ消えてしまった。その背中を見送って、こちらに振り返った沙織の表情は柔らかく、祐奈も思わず笑みを浮かべた。


「祐奈、夕飯は一緒に食べてくか?」

「すみません、お母さんが待ってるので」

「ああ、そうか。悪い」

「いえ、すみません」

「いいよいいよ、今日はお疲れさん。明日からも桜子のこと、よろしくな」

「はい」


 沙織に会釈をして、祐奈は自宅へ戻るのだった。

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