第12話 祐奈の決意
教会に戻って来て扉を開けると、ドタバタと慌てた表情を浮かべた沙織が居住スペースから駆け寄ってきた。
「祐奈! 大丈夫か!?」
「あ、はい」
「処置するから早くこっち来い」
沙織に強く手を引っ張られて、祐奈はダイニングの椅子に座らされる。
足の擦り傷に消毒が染みて「うっ」と思わず声が零れた。治療をしてもらっている途中、祐奈は先ほどのことを思い出す。
「すみません、沙織さん」
「なにが」
「桜子ちゃんに、戦わせてしまいました」
スカートの裾を握って俯くと、こちらを見上げていた沙織と目が合う。怒られるかと思いきや、沙織はふっと表情を和らげた。
「いや、いいさ。二人とも無事でよかった」
「でも」
「いいって言ってるだろ」
怪我をしたのが祐奈でなく桜子だったら、沙織に迷惑をかけてしまうところだった。あの新山を圧倒した桜子なら、心配いらないのかもしれないが危険に晒してしまったのは事実だ。
と、ふと疑問が浮かんで祐奈は首をかしげる。
「あの、沙織さん」
「ん?」
「どうして、桜子ちゃんって戦わせてはダメなんですか?」
「……桜子が戦うのを見たんなら、そう思うよな」
「はい。桜子ちゃんを怪我させたくないっていうのも理解できるんです。でも、あんなに強いのなら、桜子ちゃんにもっと戦ってもらったほうがいいんじゃ」
東京などの大都市では、今まで以上に強い吸血鬼が出現していると沙織が言っていた。それならば、桜子にも前線で戦ってもらったほうがいいように思える。首都を守るという意味でも、市民に安心してもらうためにも、少しでも戦力がほしいはずだ。
祐奈の質問に、沙織は包帯をきゅっと結んでから答える。
「お前の言いたいことはわかるよ」
あれだけの強さを誇る桜子だ。もちろん、一人で行動させるのは不安もあるだろうが、周りに大人がついていれば問題はないだろう。
「けどな、そうもいかないんだ。あれを見てみろ」
「あれ……?」
沙織の視線を辿った先には、リビングのソファにいる桜子がいた。さっきまでテレビを見ていたはずだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。ひじ掛けにある頭はピクリとも動かず、耳をすませば可愛らしい寝息が聞こえてくる。
「お前も見たように桜子は強い。現状でも、日本で十本の指には入るだろう。でもな、まだ小学生なんだよ。精神的にも肉体的にも、負担をかけさせるわけにはいかない」
いつになく真剣な眼差しをする沙織に、祐奈は言葉に詰まってしまった。
桜子育成のために水丘市が選ばれたのは、吸血鬼の数が全国的に見て少なかったことはもちろんだが、やはり沙織の存在が大きかったのだろう。桜子のことを指導できる優秀なシスターなら誰でもよかったわけではなく、桜子の未来を案じて考慮することができる沙織だったからこそ、先方もこの場所を選んだのだ。
と、沙織のスマホに着信があり、数年前に流行していたドラマのイントロが鳴る。
「おっと、理事会からか。祐奈、悪いんだけど桜子をベッドに寝かせておいてくれるか? 風邪でもひかれたら困るからな。よろしく」
「え、ちょっと」
祐奈の返事を聞かずして、沙織は教会のほうへ行ってしまった。
とはいえ、たしかにこのままでは桜子が風邪をひいてしまうかもしれないので、祐奈は立ち上がった。
ソファを回り込んで、桜子の寝顔を拝見する。
「おぉ~」
ぐっすり静かに寝息を立てているその姿は、まさに天使。ごくりとつばを飲み込んだ祐奈は沙織がまだ帰ってこないことを確認して、そっと桜子に近づいた。
「……えい」
ぷにっと桜子のほっぺたを人差し指でつついてみる。
「柔らかい」
「……んぅ」
頬が緩んでしまった祐奈だったが、桜子が身をよじったので慌てて指を離した。幸い、桜子は目を覚まさなかったので、ほっと息を吐く。同時に、その寝顔に自責の念を抱いた。
「…………」
沙織の言うとおり、桜子は小学生なのだ。あの戦いでのリリウムの消費が身体に負担をかけて疲労として現れた結果、今眠っているのだろう。
この小さくて可愛らしい桜子が吸血鬼と戦い、柔い手のひらに握られた刀であっという間に霧散させたのは、やはり信じられない光景だった。
だが、同時に桜子と同じとは言わずとも、半分くらいの力が自分にもあれば、とも思ってしまう。
自分が強ければ、桜子に戦わせることはなかったのだ。
そして。
(これからもシスターを続けるって、はっきり言えたのに)
周りの皆に期待されて、吸血鬼を倒してみんなを守るのは自分しかいないと信じられるくらいの強さがあれば、きっと進路に悩むこともなかっただろう。祐奈の母親も心配することなく、「あなたはシスターになりなさい」と推してくれたかもしれない。
拳を握って目を閉じる。
……羨ましいな。
情けないことだけど、桜子の圧倒的な力を見て、そんなことを思わずにはいられなかった。
と、桜子が寝返りを打とうとしたのか、ソファが音をたてて祐奈ははっと我に返る。
今はそんなことよりも、桜子をベッドに連れていかなくては。沙織に怒られてしまうし、なにより、考えたところで祐奈の悩みがなくなるわけじゃない。
桜子の軽い身体をお姫様抱っこして、部屋に運ぶ。
ベッドに寝かせて、部屋を出ていこうと扉のドアノブに手をかけたとき、
「……ぅ」
「桜子ちゃん?」
声が聞こえたような気がして、振り返る。もしかすると、運んで寝かせるのが下手すぎて起こしてしまったのかもしれない。
しかし、桜子に起き上がる様子はなかった。
苦笑を浮かべて部屋を出ていこうとしたのだが、今度ははっきりと聞こえた。
「――さん」
「寝言?」
「――お母さん」
「ッ!」
桜子の言葉を聞いて、祐奈は大きく目を見開いた。自分の情けなさに下唇を噛む。
何が羨ましいだ。
たしかに桜子はシスターの力は恵まれているかもしれない。でもそれ相応、いや、それ以上の苦労を重ねて、人一倍努力も重ねている。
大きな期待を一緒に背負ってくれる両親もおらず、たった一人で水丘市にやって来たのだ。頼れる人もいない桜子は、あの小さな身体にどれだけのものを背負っているのか。
寂しくないわけがない。
それなのに桜子はそれを押し殺して、こんな遠い場所にやって来たのだ。心細いなんてものじゃないだろう。
だって、いくら桜子が将来有望で、現状でも強大なリリウムを使うことができるシスターだとしても、小学生の女の子であるのに変わりはない。そう、桜子は小さな女の子なのだ。
それでも、沙織や祐奈に心配をかけまいと強がって見せていた。そして祐奈を守ってくれた。
「……」
部屋から出た祐奈は、静かにドアを閉めると、そのドアに身体を預ける。
「もっと頼ってもらえるようにしないと」
桜子の母親代わりになりたい、なんてことを思うつもりはない。祐奈がなれるとは思わないし、おこがましい。それでも、桜子の心の支えになりたかった。
教会の代表である沙織は頼りになるけれど、立場というものがあるから話にくいことだってあるはずだ。シスターに関することだけでなく、何でも気兼ねなく話してもらえるような、姉妹のような関係を築きたいと思った。
桜子の力になれるのは自分だけ、なんて使命感を抱くつもりはない。
けれど、シスターのなかで祐奈が桜子とは歳が一番近いのは間違いない。
「よし」
気合を入れるため、祐奈は自身の頬を両手で叩いた。
リビングに戻ると、電話を終えた沙織がダイニングで缶ビールを飲んでいた。祐奈に気づいて、顔を向けてくる。
「桜子は?」
「ぐっすりです」
「そうか、ありがとな」
「いえ」
このくらい、なんてことない。
むしろ、桜子の可愛らしい寝顔を見ることができたので、ものすごく得をしたと言ってもいい。桜子の寝顔を写真に撮っておけばよかったと後悔したが、きっとまた見る機会は訪れるだろう。
それよりも祐奈は、桜子と仲良くなるためにさっき思いついたことを沙織に提案した。
「あの、沙織さん」
「なんだ?」
「今度の日曜日なんですけど――」
祐奈の話を最後まで聞いた沙織は、「もちろん」と笑顔で答えるのだった。
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