第1章 わたしに桜子ちゃんが舞い降りた!

第3話 謎の女の子

 そして日曜日。

 いったい何をさせられるんだろう、と疑念を胸いっぱいに抱きながら祐奈は教会へとやって来た。


「沙織さーん」


 朝日が注ぎ込み、ステンドグラスの光が幻想的な世界を作り出している教会の中を見渡して、祐奈は目を見開く。


「え?」


 そこにいたのは、金髪の大人な女性である沙織ではなかった。

 おそらく小学校中学年くらい。長く艶やかな黒髪の女の子が、左右のステンドグラスを興味深そうに澄み渡った青空のような碧眼で眺めていた。祐奈はこの女の子の母親でも姉でもないが、この子は間違いなく将来、美人になるだろうと確信を持った。


 天使が舞い降りたと形容したくなるようなその姿に、祐奈の口から思わず言葉が零れ落ちてしまう。


「か、可愛い……」


 その声に反応して少女がピクリと肩を動かした。ゆっくりと、こちらに振り向く。歳相応の可愛さに加えて、美しさを兼ね備えた可憐な顔立ちに祐奈は息を呑んだ。


「……」

「……」

「…………」

「…………」


 じっと無言で見つめられること約十秒。祐奈の額から脂汗が垂れ始めて、ようやく少女が小さな桜色の口を開いた。


「……誰?」

「あ、わたしはここのシスターなんだけど、代表に呼ばれてて」

「あなた、シスターなの?」


 女の子が目を大きくする。

 たしかに、祐奈のように学生と兼任でシスターをしている人間は珍しいので、疑問をもたれるのも仕方ない。


「うん。見えないかもだけど、ちゃんと水丘市のシスターだよ」

「ふぅん」


 短く答えて女の子は祐奈から視線を逸らした。

 つまらなさそうに、靴のつま先を床にトントンと打ち付ける。祐奈の存在など、まるで気にも留めず、再びステンドグラスなど教会の内装へ視線を巡らせた。


「えっと……」


 どうしたものか、と祐奈は当惑の色を顔に滲ませて頬を掻く。

 正直に言って、とても気まずい状況だった。


(ど、どうしたらいいんだろう。ていうか、この子は?)


 こんなに小さなシスターはいないだろうし、吸血鬼退治の依頼者……というわけでもなさそうだ。ならば誰かの娘か妹、とも考えるが祐奈はすぐに首を横に振る。もしもそうなら、近くに保護者がいないのはおかしいだろう。

 沙織の妹にしては歳が離れすぎているし、まさか沙織の娘ではあるまい。


 祐奈が眉を寄せて思案を巡らせていると、奥の居住スペースの扉が開いて沙織がやって来た。


「おー、桜子さくらこ。待たせたな」

「別に」

「こっち来ていいぞ」


 手招きをする沙織に、桜子と呼ばれた女の子はたたっと駆け寄る。

 愛らしいその行動に、沙織は口角を上げて、その髪をくしゃくしゃと撫でる。

 そして、入り口近くで立ち尽くしていた祐奈に気が付いたのだろう。顔を上げて、こちらに向けた。


「お、祐奈。お前来てたのか」

「え、はい。さっき」


 ぎこちなく返しながら、祐奈は桜子に目をやる。

 なんだか沙織と桜子は仲が良いように見えた。だが、やはり沙織の妹や娘ではないだろう。となると、沙織の従姉妹だろうか。


(いやいや、違うと思う)


 桜子が沙織の従姉妹で、今日一日、祐奈に面倒を見てほしいと言うのであれば、二日前にはっきりと内容を告げることができたはずだ。日曜日に従姉妹が来るから、祐奈に遊んでほしい、と。


 だが、沙織はそうは言わなかった。ならば、桜子は従姉妹でもないのだろう。

 ということは、桜子はまさか……。


「あの、沙織さん」

「なんだ?」


 当たり前だが、祐奈は沙織のことを信じている。一番のシスターだと思っているし、一番の師匠でもある。人としても、がさつな面はあるが優しくて器も大きい。率直に言えば、尊敬していた。


 しかし沙織は自身が独身であることをほんの少しだけ気にしているし、街で仲のいいカップルを見ると顔を歪めて、平気でつばを吐き捨てる。そんな沙織だから、悲しいかな。人の幸せを奪わないと祐奈は言い切ることができなかった。


「えっと、その子」

「あぁ、こいつな」

「沙織さんの娘さんじゃないですよね?」

「おう、アタシに娘はいねぇな」

「ですよね」


 重々しく話す祐奈に異変を感じたのだろう。沙織がジト目で指摘する。


「おい祐奈。お前たぶん勘違いしてるぞ」

「いえ、大丈夫です沙織さん。わたしはわかってます。ちょっとした出来心ってやつですよね?」

「待て待て、話を聞け」

「この子を親御さんに返して、自首しましょう? それから、ちゃんと婚活して幸せを掴んでください。沙織さんのよさをわかってくれる人がきっといるはずですよ。たぶん」

「アホか。殺すぞ」

「わたしも一緒に警察に――って、え?」


 沙織の怒気を滲ませた口調で言われて、祐奈は紡いでいた言葉を止める。確認のため、小首をかしげた。


「誘拐したんじゃないんですか?」

「んなわけねぇだろ。ぶっ飛ばすぞお前」


 はっきりと沙織が言い切ったので、祐奈はようやくほっと胸を撫で下ろした。

 そんな祐奈の様子を見て、沙織はガシガシと頭を掻く。


「うちで預かってくれって言われたんだよ」

「預かる?」

「県のシスター理事会からな」

「な、なんだ。そうだったんですね……わたしはてっきり」

「……それはお前が勝手に思い込んでたんだろ」

「あ、あはは、やだなー。わたしはずっと沙織さんのことを信じてましたよ?」

「どうだか」


 疑いの眼差しを向けてくる沙織に祐奈は乾いた笑みを浮かべた。言及されてしまう前に「そんなことより」と話を変える。


「今日、わたしを呼んだのって」

「その通り」


 沙織の後ろに隠れるようにして立っている桜子に視線をやって、沙織が答える。


「ま、ここで立ち話もなんだ。桜子も早くうちに入りたいだろうし、詳しいことはあっちで話そう」

「あっちって、沙織さんの家の中ですか?」

「他にないだろ」

「えー」


 以前訪れたとき、服やら本やら色々なものが散乱していて、足の踏み場もなかったことを思い出し、祐奈は思わず顔を歪めた。そのときは他のシスターたちと一緒に大掃除を敢行するはめになったのだ。


 シスターとして尊敬され、とても美人な沙織だが、生活力に至っては皆無と言っても過言ではない。水丘市で勤務しているシスターは祐奈も含めてほぼ全員が、もったいないなぁと思っているのは秘密である。

 それを踏まえても、皆から慕われているのは沙織の人間としての魅力が高いといえるかもしれないが。


 嫌がる祐奈を見て、「大丈夫だ」と沙織が苦笑する。


「心配ない。ちゃんとさっき綺麗にしたから」

「ほんとですか?」

「ほんとほんと。ほら、早く」

「……わかりました」


 そこまで言うのであれば、と祐奈は桜子と沙織に続いて中に入り、扉を閉める。


 沙織が暮らしているのは2LDKと、女性一人が暮らしていると考えると広々とした間取りの空間だ。基本的には沙織が一人で住んでいるのだが、吸血鬼が活発に動き出す夜は常に複数人のシスターが待機している。


 つまり、他のシスターがいない昼間や休日に、沙織は部屋を汚していることになる。のだが、玄関を入って突き当りにあるリビング、そしてダイニングキッチンは先ほど沙織が言ったとおり比較的綺麗な状態を保っていた。

 書類が少しばかり散らばっていたりはするものの、金曜日の夜と土曜日を沙織が過ごしたとは思えない光景だった。


 桜子も特に反応していないので、人様に見せることができる状態であるのは間違いないようだ。


「ほんとだ……意外と片付いてますね」

「まぁな」


 感動すら覚える祐奈に沙織は誇らしげに胸を張る。だがしかし。


「……?」


 何か変な音が聞こえたような気がして、祐奈はきょろきょろと辺りを見回す。クローゼットがミシミシと音を立てているのに気が付いた。


(あっ、絶対あそこに押し込んでる……)


 沙織のことだからきっと、桜子が来ると知っていたのにギリギリまで寝ていて、慌てて押し込んだのだろう。今にも崩壊しそうなクローゼットのダムにヒヤヒヤとする。


(今からでも、ちゃんと片づけした方がいいんじゃ……)


 心配する祐奈をよそに、危険な状況を作り出した張本人である沙織は、さして気にしていない様子だった。


 白色のソファと普通の家庭で見かけるものよりも大きいサイズのテレビを眺めている桜子も、危ういクローゼットには気が付いていなようである。


「桜子、お前の荷物は部屋に届いてるから、荷解にほどきしてこいよ」


 沙織に促された桜子が奥へと消えていくのを見送って、沙織がこちらに顔を向ける。


「さてと、こっちで話そう」

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