第2話 教会へ 

「さてと。教会に報告に行かなきゃ」


 路地裏を抜けて、比較的人通りの多い道に出る。太陽は完全に夜に隠れ、部活帰りの学生や会社帰りのサラリーマンたちを街灯が照らしていた。


 駅の西側に位置する商店街を抜けて、教会へ足を進める。数年前、この場所の反対側である駅の東側に大型ショッピングモールができたとはいえ、この商店街も夕方は学校帰りの学生や主婦で賑わいを見せていた。


 今は時刻が夜ということもあって、商店街の雰囲気はとても静かなもの。そこから少し離れたところに教会はあった。祐奈をはじめとして、水丘市に勤務しているシスターを統括している本部だ。


 教会へとやって来た祐奈はノックをして、扉を開ける。

 昼間は日光を浴びて美しいステンドグラスや、中央の通路を挟んで置かれた木製の長椅子など、相も変わらぬ見慣れた教会の内装。最奥では大きな十字架が存在感を放っていた。しかし、誰の姿も確認できない。


沙織さおりさーん?」


 誰もいない教会で祐奈の声が寂しく響く。


 奥にある居住スペースでご飯でも食べているのかもしれない。椅子に座って少し待っても、一向に沙織が姿を現さないので、祐奈はスマホをカバンから取り出した。メッセージアプリのMINEを起動させて、沙織宛てにメッセージを送る。

 すぐに返信があり、右奥にある扉が開いた。


「おー、祐奈。悪い悪い」


 快活な笑顔と軽い調子で言ってこちらに移動して来るのは、修道服を着た金髪の女性だった。凛として整った顔立ちにグラマラスな体つきで、祐奈たちが住んでいるこの水丘市で吸血鬼と戦っているシスターの代表である杠葉ゆずりは沙織だ。


 祐奈は先ほど霧散させた吸血鬼のことを報告しようと唇を開いた。だが、沙織がポケットから煙草を取り出したのに気づいて指摘する。


「ちょっと沙織さん」

「んあ?」

「煙草はやめてくださいよ」

「別にいいじゃねぇか。誰も来ねぇし、いないんだし」

「わたしが来てるし、わたしがいるんですが」

「じゃあお前が良いって言えばいいんだな?」

「そうですけど、嫌なのでしまってください」

「はいはい、わかりましたよー」


 肩をすくめながら煙草をしまって、沙織はドカッと祐奈の隣に腰を下ろした。


「んで? 依頼は終わったの?」

「はい、さっき斬ってきました」

「お疲れさん。でも、祐奈にしてはちょっと遅かったな」


 煙草を咎められた仕返しとばかりに、沙織が悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。


「たしかにそうかもですけど、吸血鬼が逃げて追いかけてたからです」

「あぁ、それは大変だったな」

「もう、ほんとですよ。制服だから、あんまり汚れたくないのに」


 ため息混じりに祐奈が今日の戦闘を思い出していると、「そういえば」と沙織が話を切り替えた。


「祐奈って、今高校三年生だった?」

「はい、今年から。というか、今月から」

「そっかそっか、あと一年か」


 どこか遠くを見るようにつぶやいて、沙織は祐奈に顔を向ける。そして、今までとは打って変わって真剣な声色で話し始めた。


「卒業後のことはまだ決まらない?」

「……はい、すみません」


 謝罪の言葉を零して、祐奈は頭を下げる。

「この街を守りたいって気持ちは、もちろんあるんです。でも、やっぱりお母さんに心配はかけたくないし……」


 祐奈は高校を卒業してから本格的にシスターとなるかどうか、悩んでいた。

学生である今は、遅くとも夜の八時には家に帰ることができているのだが、卒業後はそうもいかない。深夜も吸血鬼と戦うことになるし、今までよりも強い吸血鬼と戦うことにもなるだろう。


 だから、幼いころから女手一つで育ててくれた祐奈の母親は、卒業後も娘がシスターとして働くことに強い不安を抱いていた。最終的に祐奈がやりたいのであれば、どんな道でも応援するとは言ってもらっているのだが、やはり大好きな母親に心配をかけたくはなかった。


 街を守りたいのであれば、吸血鬼と戦うシスターでなくても、そのシスターをサポートする職業もある。街や人を守りたいのなら、警察官になる手もある。


 しかし、シスターには、なりたいからといって全員がなれるわけではない。

 先ほど祐奈が吸血鬼と戦ったときに使っていた銀の刀は、リリウムと呼ばれる特殊な粒子で創り出されている。

 この粒子は人類が吸血鬼に唯一対抗できる力であり、女性であれば誰もが生まれながらに保有していた。だが、保有量や使いこなせるかどうかは個人差が大きい。シスターになるには、当人の努力はもちろん、才能やセンス、それに加えてある程度の運動能力が求められていた。


 さらに、多くのシスターが高校や大学卒業後にシスターになっているように、一般的にリリウムが安定して扱えるようになるのは、二十歳前後からだという研究もある。


 つまり、女子高生でありながら現役のシスターである祐奈は稀有な存在と言っても、差し支えなかった。それが祐奈もわかっているからこそ、悩んでいるのだった。


 視線を俯けている祐奈の肩に、ポンと沙織が優しく手を置く。顔を上げると、沙織がニカッと笑った。


「ま、来年のことは知らんけど、今年はうちのシスターなんだから、しっかりやってくれよ?」

「……はい!」


 答えを待ってくれる沙織に甘えているわけにもいかない。猶予があるとはいえ、なるべく早く結論を出さねばなるまい。

 何度目になるかわからない決意をして、祐奈は立ち上がる。


「それじゃあ、沙織さん。わたしはこれで」

「おう。お疲れ」

「お疲れ様です」


 沙織にぺこりと会釈をして、祐奈が教会の外に出ようと扉に手をかけたとき、「あ!」と後ろで沙織が声をあげた。


「ちょい、待って待って祐奈」

「え?」


 呼び止められて、祐奈は首をねじって振り返る。


「すまん、一個忘れてた」

「なんですか?」

「明後日の日曜なんだけど。お前、暇?」

「日曜日ですか? 暇ですけど」


 休みの日は高校の友達と映画に行ったりショッピングに行ったりすることもあるのだが、あいにく今週は予定が綺麗サッパリ空いていた。

 月曜日に提出する課題がいくつかあるとはいえ、それは明日終わらせば問題ないだろう、と祐奈はうなずく。


「そうかそうか。アタシ的には嬉しいけど、せっかく花の女子高生してるんだから、彼氏とか彼女とかいないのかぁ?」

「残念ながら、彼氏も彼女もいません」

「この~寂しい奴め~」

「……それを言えば沙織さんこそ」

「あ? 何か言ったお前?」


 あっはっは~! と沙織は相変わらず快活な笑みを浮かべているのだが、目の奥がまったく笑っていない。ここで肯定しようものなら、祐奈は先ほどの吸血鬼のように存在を消されてしまいかねない。


「い、いえ……何も……」

「そうか? まぁとにかく、日曜の朝十時にここに集合。いいな?」

「わかりました」


 と答えつつも、祐奈は心の中で疑念を抱いていた。基本的に祐奈は日曜日はお休みとなっていて、仮に仕事があったとしても、遅くとも一週間前には伝えられていた。テレビを見てくつろいでいたところ、緊急で吸血鬼退治の依頼が舞い込むこともなくはなかったのだが、二日前というタイミングで言われたのは初めてのことだった。


「もしかして、ちょっと特殊な仕事ですか?」


 例えば、他の自治体からの依頼で少し遠出するとか。シスターの講演会や、高校や中学校での説明会に欠員が出たから、その手伝いをしてほしいとか。

 高校生の祐奈に頼むということは、危険な任務ではないだろう。


 祐奈の問いに沙織はあごに手を添えて、曖昧な笑みを浮かべて答えた。


「あー、うん。そんなところ」


 煮え切らない沙織の回答に首をかしげながら、祐奈は教会をあとにするのだった。

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