第4話 桜子ちゃん

「さてと、こっちで話そう」


 よっこらしょ、とやや年寄り臭い言葉を漏らしながら沙織がダイニングの椅子に座った。祐奈も机を挟んで沙織の真正面に腰を掛ける。


「まず、桜子なんだが、あいつもシスターだ」

「え!」


 思わず目を瞠った。

 どこからどうみても桜子は小学生だ。

 女性であれば誰しもがリリウムを保有していて、シスターになれる可能性を秘めているとはいえ、肉体的にも精神的にもリリウム的にも、まだまだ成長段階。


 高校生である祐奈ですら珍しい部類に入るのだ。

 それを小学生の桜子もそうだというのだから、祐奈が信じられないのも無理はなかった。


「桜子ちゃんって、小学生ですよね?」

「おう。たしか小三」

「その歳でシスターってなれるものなんですか」

「って言われてもなぁ。実際桜子はなってんだから、なれるとしか言いようがない」

「た、たしかに……」

「んで、お前もわかるだろうけど、周囲が桜子にかける期待は大きいなんてものじゃない」

「それは、そうでしょうね」


 高校生ながらシスターとして働いている祐奈も、他のシスターよりは将来を期待されていた。祐奈ですらそうなのだから、もっと年下の桜子はその比ではないだろう。


「しかもだ。水丘市ではまだその傾向は見られないが、東京なんかの大都市では近年吸血鬼が段々強くなってきている。お前、紅月夜こうげつや事件は知ってるな?」

「はい。知識としては」


 紅月夜事件。

 それは今から約五十年前に起きた、最初に吸血鬼が出現し人間が襲われた事件の名前だ。吸血鬼の出現理由や目的など、具体的なことは未だ解明されていないが、その夜に輝いていた月が赤く鮮血のようだったことから、そう名付けられている。


「それから半世紀くらいが経つだろ? 関係しているかは知らんが、東京のシスターたちはこれから先、もっと強い吸血鬼が現れた時のことを考えて頭を悩ませてるってわけだ」

「なるほど、それで桜子ちゃんが」

「その通り。桜子は将来現れるかもしれない強力な吸血鬼に対抗できるかもしれないと期待されている。で、アタシの指導を受けるのと経験を積むため、うちに来たってわけ。アタシと麻由里まゆり――桜子の母親が友達だったこともあってな。ここまでオーケー?」

「一応は」

「よしよし。それじゃあ明日からお前、桜子とペアな」

「――は?」


 沙織の口から、唐突に予想だにしていなかった言葉が飛び出したので、祐奈は思わず聞き返してしまった。驚きのあまり目をパチパチとさせる祐奈に、沙織が再度言う。


「だーかーらー。明日の見回りから、祐奈と桜子がペアって言ったの」

「どうしてですか!?」

「いーじゃん、別に」

「沙織さんが預かったんですよね!?」

「正確には教会だ」

「だったら」

「お前とペアでも問題ねぇだろ」

「そうかもしれませんけど!」

「んだぁ? 文句あんのか」

「ありますよ! 桜子ちゃんは沙織さんが指導するんじゃ!?」


 理事会も沙織の手ほどきを期待して桜子を預けてきたのだ。だというのに祐奈とペアにしてしまっては元も子もないだろう。


 祐奈は三年近くシスターとして勤めてきたとはいえ、まだまだ新人の部類。沙織と比べるとその差は歴然だった。

 声を大にさせて言う祐奈を、沙織は「まぁまぁ」と両手で宥める。


「一回落ち着け。ちゃんと理由を説明すっから」

「は、はい」


 たしかに、理由も聞かず頭ごなしに否定するのはよくない。理由くらいは聞こうと祐奈は深呼吸をして、平静を戻す。


「さすがに小学生の桜子が一人でってわけにはいかないのは、わかるな?」

「はい」

「なら、少しでも年が近い祐奈と一緒のほうが桜子もいいだろ」

「それはそうかもしれませんが」

「桜子に指導しろとはいわない。それはアタシの仕事だからな。お前はペアとして一緒にいてくれればいい」

「でも」


 祐奈としては、可愛い桜子とペアになって一緒に行動できるのは、正直言って嬉しいことだった。二人なら仕事の幅も広がるし、吸血鬼討伐の効率も高まる。

 だが、桜子のことを考えるとやはり祐奈ではなく沙織が一緒のほうがいいだろう。祐奈は反論しようとしたが、「理由はまだあるぞ」と沙織に手で制される。


「アタシが担当する吸血鬼は基本的に強い相手だ。アタシとペアになれば桜子をその討伐に連れていかないといけなくなる。万が一、桜子に怪我でもされたら、どうなると思う」

「どうなるって」


 一度冷静になって、祐奈は思案を巡らせる。

 みんなから期待されている最年少シスターが怪我をする。それが軽傷ならば多少は仕方のない部分もあるだろうが、大怪我だった場合、沙織の責任が問われるのは間違いないだろう。


「沙織さんがクビになる、とか……?」

「いや違う」

「え?」

「……アタシより偉い奴みんなぶっ殺して、誰にも文句言わせないようにする」

「隠ぺいのレベルじゃない!?」


 この人、もしかしなくても吸血鬼よりヤバいんじゃ……と祐奈が言葉を失っていると、沙織が苦笑混じりに言う。


「ま、それは冗談としてもだ。これはお前のためでもある」

「わたしのため?」


 沙織の言わんとしていることの意図がわからず、首をかしげる。


「桜子と一緒にいたら、お前の悩みも解決とまではいかなくとも、進展くらいはするだろ。環境が変わったことで、何か違うものが見えるかもしれないぞ?」

「沙織さん、わたしのこと」


 どうやら沙織は桜子のことだけでなく、祐奈のこともしっかり考えていてくれたらしい。


「それにな、祐奈」

「はい?」

「正直言って、アタシはあんまり子供が得意じゃない」

「えぇ……」


 せっかく後輩想いの尊敬できるお姉さんだと祐奈は思っていたのに、最後の一言で台無しだ。というか、最後のそれが本音な気がする。

 気がするが……。

 沙織の言うとおり、環境を変えることで見えてくる景色があるかもしれない。


 それに、どうしてかはわからないけど、祐奈は初めて桜子を見たあの瞬間から、桜子のことが気になっていた。さすがに年齢差があるから、友達というのは無理かもしれないが、仲良くなり、力になってあげたい。


 沙織に紹介される前に、天使と見間違えてしまった桜子と出会って言葉を交わしたのも、きっと何かの縁だろう。


「自信はないですよ」

「大丈夫大丈夫、お前のことは信用してるよ」

「……わかりました」

「よし、決まりだな」

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