第19話 緊急連絡

 スマホの画面を見ると沙織からの着信だった。

 今日は一日、桜子と一緒にデートをしていると知っているはずだが、どうしたのだろう。お土産の催促だろうか。


 桜子に一言断りを入れて、訝しみながら通話のマークを押して電話口に出る。


「もしもし」

『おう、祐奈。遊んでる途中に悪いな。今、電話大丈夫か?』

「はい、大丈夫です。どうしたんですか?」

『桜子もいるか?』

「すぐ近くに」

『お前ら、今どこにいる?』

「ショッピングモールですけど」

『ショッピングモールか……』


 祐奈の言葉を反芻して、沙織は黙り込んでしまった。考え込んでいるのか唸るような声が聞こえてくるが、あいにく電話越しなので表情を窺うことはできない。

 ただ、沙織の声のトーンや雰囲気などから、あまり良くないことが起きているという予感が、ひしひしと伝わってきていた。


「沙織さん?」

『あぁ、悪い。それで本当に申し訳ないんだが、お前たちに吸血鬼の討伐を頼みたい』

「え!」


 沙織の口から出てきたのが、あまりに予想だにしていない言葉だったので、祐奈は思わず大きな声を漏らしてしまった。


「い、今からですか」

『本当に悪いと思ってる。だけどお前たちが現場に一番近くにいてな。本来ならアタシが行きたいところなんだが、ちょっと手を離せそうになくて』


 沙織が心から申し訳なさそうに言う。いつものふざけた様子は一切なく、逆にこちらが申し訳なくなってしまうほどの口調だった。

 上司にそこまでされては、断ることはできない。少なくとも、祐奈はそうだった。面倒を見てくれている沙織に頭を下げられるのは、なんだか心地が悪い。


「わかりました。それで、どんな感じなんですか?」

『別のチームが複数の吸血鬼と戦闘をしていたんだが、そのうちの一匹がその辺りに逃げたらしい。そこそこのダメージは負わせたらしいが、被害が出る前に確実に食い止めておきたい』

「……了解です。すぐ向かいます」

『ありがとう。恩にきるよ』

「いえ、お礼なんて。わたしもシスターですから」


 そう、祐奈はシスターだ。

 シスターである以上は市民を吸血鬼から守ること、吸血鬼を霧散させることは義務なのである。休日だからとはいえ、吸血鬼が出たというのならば戦わなければならないだろう。


 それに、きっと沙織は祐奈と桜子以外のシスターに対処させようと配慮してくれたはずだ。しかし、それでも祐奈と桜子に依頼するしかない状況だったのだ。苦渋の決断だったに違いない。


『すまない。この埋め合わせは絶対にする。詳しい場所は地図を送るから、できる限り急ぎでよろしくな』

「気にしないでください」

『いや、それは絶対にする。それじゃあ、頼むぞ』


 通話が切れて、祐奈は桜子を見る。

 せっかく桜子との仲が進展してきていたので、このタイミングでデートが中断されるのは残念だが、そうも言っていられない。早急に現場に向かわなければ。


「今の、沙織さん?」

「えっと、うん」


 だがしかし、桜子を連れていくわけにはいかない。

 仮に、戦わずに見ているだけといったところで、きっと桜子は自身が先だって吸血鬼と戦おうとするだろう。情けないことだが、祐奈は一度助けてもらっているので、祐奈またが怪我を負わないように、危険が及ばないように守ろうとしてくれるはずだ。


 その気持ちは嬉しいし、桜子が戦えばすぐに倒せるのかもしれないが、それでも桜子の将来のためにリリウムを使用させるわけにはいかなかった。


 それに、今回の吸血鬼はすでに手負いであると沙織は言っていた。どのような相手でも油断してはいけないが、それならば祐奈一人でも十分に対処することは可能だろう。


「なんの用事だったの?」

「あぁ、えっと……」


 正直に言ってしまえば、桜子は絶対についてくると言い張って聞かないだろう。ならば、沙織からの伝言をそのまま伝えるわけにはいかない。

 祐奈がどう話すべきか思案していると、桜子がはっと閃いたような表情をつくる。


「もしかして、吸血鬼が出たんじゃ」

「いや、違うよ!」


 思わず食い気味で否定する。

 さすが桜子と言うべきか。東京で鍛えられてきたことやシスターとしての才能のおかげか、吸血鬼への嗅覚がすさまじかった。

 祐奈に強く否定されて、桜子は少しびっくりしていた。


「そうなの?」

「うん」

「なら、なんだったの?」

「う……」


 桜子に言及されて、祐奈は言葉に詰まってしまう。


(ど、どうしよう……)


 こうしている間にも、桜子は疑念に満ちた瞳でじっと祐奈のことを見つめていた。それに加えて、今から桜子に嘘を吐こうとしている、と自責の念を抱いてしまい、こうしている間にも祐奈の良心は抉られ続けている。


 このままでは色々な意味で限界を迎えてしまいそうだったので、なんとか返答をひねり出した。


「えと、桜子ちゃんと仲良くできてるか心配だったみたい」

「そんなことで電話してきたの?」

「ほら、わたしたち仕事は一緒でも、二人で遊びに行くのって初めてだからさ」

「別に大丈夫なのに。心配しすぎ」

「だよね。わたしもそう思う」


 桜子は拗ねたように唇を尖らせて、俯いてしまった。だが、どうやら祐奈の説明を信じてくれたらしい。そのことにほっと安堵するものの、これで終わりではない。むしろ、これからが本番。


 祐奈はこれから可及的速やかに、吸血鬼を倒しに行かなければならない。

桜子をここに残したまま、というのは気が引けるが、それでも連れていくよりは随分とマシだろう。


「あ、あいたたたた……」


 祐奈が急にお腹を押さえてうずくまったので、桜子が目を大きくさせる。


「ど、どうしたの?」

「お、お腹がー痛いー」

「大丈夫?」

「わたし、ちょっとお手洗いに行ってくるから、桜子ちゃんは待っていてくれる?」

「わたしも一緒に行ったほうが」

「いや、大丈夫! けっこう長くなりそうだし、ここにいてもらったほうがいいかも」

「……わかった」


 不承不承うなずいてくれた桜子に、祐奈は財布から千円札を2枚取り出して、その右手に握らせる。


「これ、使っていいから。ごめんね!」


 桜子が何か言いたげな表情をしていたが、祐奈はそそくさと駆け出した。怪しまれないように腹痛を演じながら、できる限り全力で足を進める。

 桜子に嘘を吐いてしまったことを申し訳なく思いながらも、祐奈はショッピングモールを後にした。

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