第23話 約束

「祐奈お姉ちゃん!」


 声のほうに顔を向けると、そこには息を切らした桜子がいた。祐奈と目が合うと艶やかな黒髪を揺らしながら、駆け寄ってくる。


「桜子ちゃん」


 思わず名前が口から零れてしまった。

 桜子を見ただけで心がこんなにも温まるだんなて、とほっと安堵の息を吐き出す。

 だが、祐奈の心境とは裏腹に桜子の目じりはつり上がり、怒っているのだとすぐに理解することができた。


「こんなところで何してるの?」

「うっ、それは」

「トイレに行くって、言ってたよね」

「そ、そうだよ?」

「絶対嘘じゃん!」


 さすがに無理があったか、と祐奈は弱々しく笑みを浮かべる。

 とはいえ、桜子を置いて吸血鬼と戦ってました、と正直には言えない。懸命に思考を凝らして別の解を探した。


(けど、道に迷ったっていうのもおかしいし……)


 ショッピングモールを出てしまっている時点で弁明のしようがないのでは、と祐奈は渋面をつくる。

 桜子は祐奈が黙り込んでしまったの見、「あの」と切り出した。


「もう誤魔化さなくていいよ」

「え」

「あそこにいるの、吸血鬼だよね?」


 桜子が人差し指で示す先を見る。

 そこには祐奈が沙織に依頼されて追いかけ、月咲によって殺された男の吸血鬼の死体が横たわっていた。


 シスターである桜子を相手に、見間違いだと言っても無駄だろう。桜子の言うとおりこれ以上は誤魔化しても、嘘を重ねても意味はないと祐奈は観念した。


「うん……」

「なんで――」

「へ?」

「――なんで一人で行っちゃったの! 沙織さんからの電話、あれが依頼だったんでしょ?」


 堪忍袋の緒が切れたように怒涛の勢いで言葉を連ねる桜子。決壊したダムから水が流れる如く感情を――怒りをあらわにする桜子に祐奈は面を食らった。


「そんなにわたしって頼りない?」

「そんなことは」

「だよね、だってわたしのほうが強いもん」

「……」


 桜子の言う通りで反論の余地はないのだが、はっきり言い切られて祐奈は少し傷付いた。

 しかし、今の桜子に祐奈の気持ちを考える余裕なんてないのだろう。声を荒げたまま、さらに言葉を続ける。


「本当はわたしのこと、面倒くさいと思ってるんでしょ! 今日のデートだって口だけで、本当は沙織さんから言われて、仕方なく相手してたんだ! だから嘘を吐いてまで置いていったんだ!」

「待って! それは違う。絶対に違う」


 これだけは祐奈にも絶対に譲ることができなかった。今まで、出会ったあの日から一度だって祐奈は桜子のことを面倒だなんて思っていない。心惹かれたあのときから、一度たりとも。


 もちろん、桜子とのデートだって、心から祐奈が望んだことだ。

 真剣に訴えかける祐奈の想いが通じたのか、桜子は少し冷静さを取り戻したようだった。真っすぐに祐奈のことを見つめてくる。


「じゃあ、どうして」

「桜子ちゃんのためなの」

「わたしのため?」

「そう。桜子ちゃんのためだよ」


 ゆっくりと、諭すように祐奈は話しかけるが、


「わたしのためになってない!」


 桜子は聞く耳を持たずに首を大きく横に振った。


「結局、お姉ちゃんはわたしのこと、信用してないんだ!」

「そんなことない!」

「だって、おかしいもん。嘘吐いて置いて行かれて、わたしがどんな気持ちでお姉ちゃんを待ってたか! わたしのためって言うなら、そんなのおかしいじゃん!」

「――桜子ちゃんのことが好きだからだよ! だから、戦わせたくなくて」

「でもそれで! 祐奈お姉ちゃんが怪我したり死んじゃったら、意味ないじゃん!」

「………」


 もっともな桜子の意見に、祐奈は押し黙ることしかできなかった。


「わたし、わたし……」


 いつもは自信に満ちている桜子の瞳に、薄っすらと雫が浮かぶ。

 我慢するように鼻をすすり始めた桜子のことを祐奈は気が付いたら抱きしめていた。力強く桜子も抱きしめ返してくれて、耳元で震えた声を発する。


「もう、戻ってこないんじゃないかって……」

「ごめん」


 祐奈には謝ることしかできなかった。

 両親を失っている桜子にとって、祐奈を待っている時間はどれだけの不安だっただろうか。小さな身体が押しつぶされそうになっていたに違いない。

 祐奈は自分の行いが間違いであったと思い知らされ、猛省する。


 桜子にこんな顔をさせておいて、何がお姉ちゃんだ。こんなの、姉失格だ。それに、


(自分一人で何とかできるだなんて、傲慢すぎるよね……)


 いったい何のためのペアだというのか。

 今回の祐奈は勇気ある行動でも、相手を慮(おもんぱか)っての行動でもない。ただの無謀で自分勝手な行動だった。


 たしかに沙織は桜子を戦わせることをよく思っていないし、それには祐奈も同感している。だがそれは、桜子の代わりに祐奈が吸血鬼と戦えばいい、ということを意味しているわけではない。


 祐奈が桜子の強さに依存して頼り切ってしまう。そして桜子がリリウムを使いすぎてしまうのが問題なのだ。決して、桜子に戦わせるなというわけでない。

 祐奈のしていることはただの過保護。沙織の言葉を履き違えた余計なお世話でしかなかった。


 ――お互いを助け合える関係になりたいと思っていたのは自分だったはずなのに。


 自分の愚かさに、祐奈はつい唇を強く噛む。


「わたし、祐奈お姉ちゃんまでいなくなっちゃうのは、嫌なの」

「……本当にごめん。反省してる」

「本当?」

「うん」


 桜子が初めて見せた泣き姿は、いつも大人びている桜子の幼さをより強調させる。震えている桜子を安心させようと、祐奈はその髪を優しく撫でた。さらさらとした綺麗な黒髪の感触が指に伝わってくる。


 そして桜子に、何よりも自分に言い聞かせるよう、祐奈は強くうなずいた。


「これからは一緒。ペアだもんね、一人で勝手なことはしないって約束する」

「本当に?」

「うん」

「絶対だから」

「うん。ごめんね、桜子ちゃん」

「……うん」


 それから、桜子が泣き止むまで抱きしめていると、やがて冷静になってきた祐奈は現在自分が置かれている状況に気が付いた。


 桜子が抱きつくような格好になっているため、小さく柔らかな身体とピッタリ密着している。さらに横を向くと絹のような黒髪、きめの細かい肌がすぐ傍に。

 天使の桜子との距離はゼロ。


(これ、色々とまずいかも……)


 意識してしまうと同時に、自身の体温が上がっていくのがわかる。


「桜子ちゃん」

「……なに?」

「えっと、いい匂いがするね」

「ッ!」


 明らかにかける言葉のチョイスを間違えた。そう祐奈が後悔していると、桜子は目を見開き、祐奈の手を力ずくで解いて脱出した。


「もう! お姉ちゃんのバカ! 変態!」

「えぇ!?」

「もう許してあげない!」


 不機嫌を露わにした桜子は頬を膨らませると、ぷいっと顔を逸らしてしまった。大股で歩き始めたので、祐奈は慌てて立ち上がって追いかける。


「ちょ、ちょっと待ってよ」

「やだ! 来ないで!」

「ごめんて。桜子ちゃん、許してよ」

「嫌!」

「お願い。なんでもするから」


 両手を合わせて懇願すると、ずしずし突っ切るように足を進めていた桜子が立ち止まった。まだ少しだけ怒っているようだが、上目遣いで尋ねてくる。


「なんでも?」

「ふぇ!? う、うん!」


 まさかそこに食いつかれるとは思っておらず、僅かに答えに詰まってしまった。が、桜子の機嫌を直すチャンスだと祐奈はすぐに首肯する。


「ふーん」

「え、えっと……わたしにできることなら、なんでもするよ」


 何か含みのこもった桜子の返事に、祐奈の額には冷や汗が浮かぶ。

 さすがに一億円くれ、などと言われても叶えることはできない。代表シスターである沙織なら用意できるかもしれないが、ただのシスターである祐奈にはとてもじゃないが不可能だった。


 桜子が何を要求して来るのか、興味と不安の入り混じった感情で待つ。

 やがて、何か思いついたのか桜子が目を大きくさせた。ほっぺたを朱に染めて、祐奈から視線を逸らしてつぶやく。


「じゃあ、この前言ってたところ」

「この前行ったところ? あ、またパンケーキが食べたいってこと?」

「違う! 自分でさそってきたくせに忘れたの?」

「え……わたしから?」


 デートにさそう以前に、桜子をどこかへさそったことがあっただろうか?

 桜子と出会ってからの記憶意を辿って、祐奈ははっと目を見開く。


「あぁ! 商店街の喫茶店ね!」


 それは桜子と初めて見回りをしたときのことだった。桜子に行かないとはっきり拒絶されたので、すっかり忘れてしまっていた。

 というよりも。


「桜子ちゃん、覚えててくれたんだ」


 祐奈が言うと、桜子は顔を赤く染めて言い訳するように言う。


「別に、ケーキが食べたかっただけだし」

「そっか」


 口ではそう言っているが、さそった祐奈ですら覚えていなかった事柄を覚えていること、そして頬に紅葉を散らしていることで、祐奈には充分桜子の心が伝わっていた。

 胸がポカポカして、いっぱいになる。


「わかった。桜子ちゃんにケーキおごってあげる」

「約束だから」

「うん、約束」


 桜子に差し出された小指に祐奈は自身の小指を絡めて、今度の休みに連れていくと誓ったのだった。


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