第29話 VS月咲
「桜子ちゃん!」
「うん!」
桜子に声をかけ、返事を聞くと祐奈は手に力を込めた。地面を蹴り、一気に月咲との間合いを詰める。
「やあぁぁッ!」
全力で刀を振り下ろすも、涼しい顔で受け止められた。しかし、すぐさま桜子が横から迫り、月咲に斬りかかる。
「はあッ!」
「――ッ」
が、月咲はそれにいち早く気づくと、祐奈を弾き飛ばした。バランスを崩した祐奈はよろよろと後退する。
体勢を整えて顔を上げると、月咲が桜子の刀を受け止めたところだった。
桜子と月咲は鍔迫り合いになって、一見すると両者互角に見える。だが、上背のせいで桜子は上から押さえつけられる格好になっており、分が悪い。
「さすがはマユリの娘。なかなかやりますわね」
月咲には余裕が見受けられるが、その力の乗った刃を受け止めている桜子の顔は歪んでおり、話す余裕など微塵もなかった。じりじりと血器が桜子の顔付近に迫っているのを見て、思わず飛び出す。一旦、桜子を逃がすため、月咲へ刀を振りかぶる。
と、月咲はお喋りをしつつも祐奈のことも警戒していたらしい。祐奈のことをちらりと見て、
「ッ!」
「――きゃあッ」
桜子をその長い脚で蹴り飛ばすと、祐奈に血器を振るった。
「桜子ちゃ――」
吹っ飛ばされた桜子に気を取られていた祐奈は、その一閃をなんとか防ぐ。あと少しでも反応が遅れていたら、祐奈の身体は真っ二つに叩き斬られていただろう。
十二分にあり得た可能性に、祐奈はたらと額から頬へ脂汗を浮かべた。その不安が顔に出ていたのか、それとも感じ取ったのか月咲が余裕な表情で、言ってしまえば舐めた態度で口を開いた。
「余所見をしている余裕が、あなたにありまして?」
「く……」
「姉と名乗ったからには、少しは期待したのですが……あなたは口ほどまでもありませんわね」
煽るような言葉が投げかけられるが、祐奈は返事をしない。目の前の刃を受け止めるのが精一杯、というのもあるが、月咲との間に実力差があるのはわかっていたこと。だからこそ、無駄にやけを起こすわけにはいかない。
桜子と共に戦っている以上、足を引っ張るような真似はしたくなかった。とはいえ、このまま祐奈と月咲の一対一で戦っても勝ち目は薄い。
どうしたものかと祐奈が考え始めたとき、月咲の後方――木製の長椅子が砕け散った中から桜子が起き上がるのが目に映った。
桜子からそっと視線を外して、月咲へと戻す。
「そ、そろそろ本気を出そう、かなぁ」
「あらあら。手を抜いていたと?」
「わたしはまだ、実力の半分も出してない、よ」
「面白いですわ。口だけは達者なようですわね」
月咲の表情こそ変わっていないが、腕に力が込められたのが血器越しに伝わってくる。どうやら月咲の意識をこちらへ引き付けるのは上手くいったらしい。
正直、刃の向こうにいる月咲の眼光は恐ろしいし、手が震えてき始めている。だが、ここで負けるわけにはいかない、と祐奈は刀を握っている手に力を込めた。押し込まれそうになっている形勢を少しだけ立て直す。
月咲はおそらく、桜子に気づいていない。
ちらと桜子を見ると、起き上がった桜子と目が合った。桜子は祐奈の意図を感じ取ってくれたようで、こくっとうなずく。
そして桜子は銀の刀を右手に生成して、力強く地面を蹴った。一気に加速して月咲との距離を詰める。刀を振りかぶって、
「お姉ちゃんをバカにするなああぁぁぁッ!」
隙だらけとなっている月咲の背中目掛けて、桜子が刀を下ろした刹那。
「――ッ!?」
祐奈の目の前から、月咲の姿が消えた。だが、マジックや魔法のように消えるなんてことは現実的にありえない。月咲は桜子の接近を察知して回避したのだと、祐奈は瞬時に理解したが、はっと目を大きくさせる。
眼前に驚きの表情を浮かべた桜子が迫ってきていたのだ。しかも、刀を振り下ろそうとしているわけで。
「わわっ、桜子ちゃん!?」
「お、お姉ちゃん!?」
桜子は祐奈にぶつからないよう、そして攻撃をしてしまわないように身体を逸らそうとしたが、いかんせん距離が近すぎた。
桜子の刃は止まることなく祐奈に襲い掛かるが、
「あ、危なかった……」
桜子が勢いを弱めてくれたおかげもあり、祐奈は桜子の刀を自身の刀で受け止める。
本気で攻撃されていたら、ただでは済まなかっただろうな、と祐奈がほっとしたのも束の間。
「まだだよ、お姉ちゃん!」
「え?」
桜子に指摘されて、弾けたように上を見る。高く飛び上がった月咲が、二人に向かって血器を振り下ろしてきた。
僅かな躊躇も感じられないその一撃を、桜子は素早く、祐奈は反応が遅れてしまい前へつんのめりながら、それぞれ飛び退いて攻撃を避ける。すると間髪入れず、ちょうど祐奈と桜子がいた場所に血器が撃ち付けられ、床が抉られた。
爆発、と言いたくなるような威力の一撃に、祐奈はゾッとして息を呑む。
攻撃を躱された月咲はさして気にした様子を見せず、シームレスに血器を構えた。そして自身の左右に位置している祐奈と桜子を睥睨する。
「まさか、あの程度でわたくしを倒せるとでも思いまして? あれでお姉様を
威圧的な目つきに祐奈は怯んで、半歩後退る。
それを見逃さなかったのだろう。月咲は祐奈ではなく、桜子へ距離を詰めると、
「――頭がお花畑にもほどがありますわッ!」
胸元を目掛けて血器を一閃した。
桜子はすんでのところで防御したが、その小さく軽い身体はいとも簡単に吹っ飛ばされた。長椅子を巻き込みながら、やがて壁へと到達する。
「桜子ちゃん!」
祐奈は名前を呼ぶと、考えるよりも先に身体が弾かれて桜子の元へと駆け出していた。木片の中でぐったりと倒れている桜子のすぐそばで膝をつく。
「桜子ちゃん」
「ぅ……」
手を握ると僅かに反応してくれて、ひとまず祐奈は安心する。だが、桜子は額を裂傷し、可愛らしい顔の半分ほどが鮮血に塗れてしまっていた。銀の刀はリリウムとなって消え去り、身体中には痛ましい擦り傷や切り傷が刻まれている。
祐奈は何もできない、弱い自分が情けなくて唇を噛んだ。
と、玲瓏で冷酷な声が鼓膜を揺らして、祐奈は反射的に声の主へ顔を向けた。
「マユリの娘も、たいしたことはありませんでしたわね。所詮は子供、ということなのかしら」
動かなくなった桜子を見降ろして、月咲は鼻白んで言う。そして視線を外すと、祐奈の方へにこりと微笑んだ。
それは絵画のような美しい笑み。そのはずなのに、地獄へと誘われてしまいそうで、祐奈は首筋に何か冷たい物でも当てられたようにゾッとした寒気に襲われた。
「そろそろ終わりに致しましょう?」
こちらへと歩をゆっくり進めてくる月咲に、祐奈は息を呑む。
「まずは、あなたから殺して差し上げますわ。それからじっくり、マユリの娘をたっぷりと可愛がって……あぁ、なんて素敵なのでしょう。ねぇ、お姉様?」
月咲が自らの肩を抱いて、ゾクゾクと恍惚な表情を作る。窓から差し込む月光が彼女を照らし、銀糸や白磁の肌、紅の瞳を引き立てていた。それはこの世のものとは思えぬほどに幻想的で、寸分の狂いもない暴力的な美しさ。
その光景は見るものを圧倒し、誘惑し、狂わせる。
戦うこと、刃向かうこと自体が間違いだったのではないか。見逃してもらったほうがよかったのではないか。今なら、自分だけなら見逃してもらえるのではないか。
そんな思考がぐるぐると浮かび上がり、脳内を駆け巡る。
だが。
(……ッ!)
繋がれた右手が弱々しく握り返されて、祐奈ははっと我に返った。
(……桜子ちゃん!)
桜子へ視線を落とすと、薄っすらと瞳を開けてこちらを見つめていた。その呼吸は浅い。
「おねえ、ちゃん」
「桜子ちゃん」
「わたし、も」
「……無茶だよ」
「で、も」
「大丈夫」
祐奈は桜子の手をそっと両手で包んだ。
「大丈夫だから」
柔らかさや温かさを受け取って、手を離す。それから改めて銀の刀を生成し、ぎゅっと握りしめた。
「――させない」
「はい?」
「桜子ちゃんを殺させなんて、絶対にさせないんだから!」
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