第21話 吸血鬼・宮代月咲
「吸血鬼、ではなさそうですわね。どちら様?」
その問いかけに祐奈は答えなかった。否、答えられなかった。
彼女の声が鼓膜に届いた瞬間、金縛りにでもあったかのように身体が硬直してしまったのだ。耳朶を何かに這われているようで、春の陽気が心地良いはずなのに、悪寒すら感じてしまう。暗い夜道を一人で歩いているような、そんな不安に胸の中を占められていた。
ただの一言をかけられ、ただ見つめられているだけ。それなのに、彼女から発せられる圧倒的な存在感に、気を抜けばその場にへたり込んでしまいそうになる。
「どうされまして?」
返答しない祐奈をどう思ったのか、吸血鬼はすっと目を細める。
「答えたくないのであれば、それでも結構ですわ」
くすり、と小さく笑って、ちらと視線を一瞬だけ下がった。
瞬間、それが右手に持っている銀の刀に注がれたのだと祐奈は理解して、思わず拳に力を入れる。
「まぁ、銀の刀を持っている時点でシスターでしょうけれど。さしずめ、この吸血鬼を追ってきた、といったところかしら」
リリウムで創り出した銀の刀を持っていればシスター。血器を握っていれば吸血鬼。これは互いに誤魔化すことなど不可能で、覆すことのできない事実だった。
そして、シスターと吸血鬼が出会えばどうなるか。そんなことは子供でもわかる簡単な問いだ。
祐奈は身体に入った余計な力を抜くために深呼吸をして、刀を構える。いつ目の前の吸血鬼が襲ってきても対処できるようにじっと目を凝らした。
だが。
「まあまあ、少し落ち着いてくださいませ」
刀を構えた祐奈を見て、吸血鬼が大仰にため息を吐く。
まるで近所の人と世間話でもしようかというような緊張感の伴わない彼女の態度に、祐奈は肩すかしを受けた気分になった。
「わたくしは別に、あなたを殺したいとは思っているわけではありませんわ」
「……どういうこと」
意図がわからず困惑する。
敵であるシスターを前にして逃亡を図るわけでもなければ、好戦的な態度も見せない吸血鬼に会ったのは初めてだった。シスターに強い恨みがあるわけでも、人間の血液が欲しいわけでもないのだろうか。
今までも、吸血鬼の考えは理解ができないことが多かったが、今回はその比ではない。吸血鬼らしからぬ行動に戸惑いを隠せなかった。
眉をひそめる祐奈の質問に、吸血鬼は微笑んで答える。
「あなたを殺したところで、お姉様はお喜びになられませんもの」
「お姉様?」
他にも吸血鬼がいたのか、と祐奈は慌てて辺りを見渡した。
しかし、どこを見ても目の前にいる吸血鬼以外に、吸血鬼の姿はもちろん気配すら感じられない。
どこかに隠れているのか、と考えるがそれはないだろう。祐奈に不意打ちをするつもりならば、今までにその機会はいくらでもあったのだ。ずっと待っている必要はない。
目の前の吸血鬼が言った「お姉様」がいないのであれば、味方がいると祐奈にはったりを言ったということなのだろうか。
当惑する祐奈を見て、吸血鬼が愉しそうに小さく笑った。
「どこを見ていますの? お姉様なら、ここにいるではありませんか」
「……え?」
「あぁ、これは失礼。わたくしとしたことが自己紹介が遅れてしまいましたわね」
短く謝罪を口にして、吸血鬼は恭しくドレスの裾をちょこんと持ち上げた。そして視線を自らが手にしている血器へと移す。
「こちら、わたくしがこの世で最も敬愛する素晴らしきお姉様ですわ。あぁ! なんて豪奢で美しいのでしょう!」
頬を染め、興奮した様子で呼吸を荒くさせた。艶めかしい恍惚としたその姿は、恋する少女のようにも神を崇拝する信者にも映る。
(まさか……)
彼女が見つめている先には、祐奈が思い描く姉の姿ではない。あるのは、禍々しい血器だけだ。
恐る恐る、祐奈は問いかける。
「あなたのお姉様って」
「ええ!」
彼女は目を大きく開いて肯定する。
先ほどまでの品高い立ち居振る舞いとはまるで別人のようだった。
「ええ、そうですわ。このお方こそ、わたしくの愛するお姉様。そしてわたくしは
もはや彼女――月咲の瞳にはお姉様と呼ぶ血器のことしか見えていないようだった。
狂っていると言いたくなるほどの心酔ぶりに、祐奈は返事ができない。何かを言おうと口を動かしたものの、言葉が出てこずポカンと開けたままになってしまう。
「あらあら、お姉様の美しさに言葉が出ないのかしら」
「いや、そういうわけじゃ」
「構いませんわ構いませんわ。だって、仕方のないことですもの。お姉様に魅了されてしまうのは必然のこと。あなたは至って普通ですわ」
否定しようとする祐奈の言葉に、月咲は全くもって聞く耳を持たない。祐奈は訂正するのは諦めて、月咲の目的について尋ねようとしたのだが、
(……?)
なんだか急に月咲の様子が変わったことに気が付いた。
豹変といっても差し支えない変貌に、祐奈はかける言葉を飲み込む。
何がきっかけになったのかは不明。だが、月咲は血管が浮き上がるほど強く歯ぎしりをして、苛立った様子を滲ませていた。ギリと力が込められた口からは鮮血が流れ、瞳には深い私怨の炎を宿している。
「だからこそ、あの女を許すわけには……ッ」
このまま地表を真っ二つにでもしてしまうのではないか、と祐奈が戦慄いていると、
「……いけませんわ」
はっと我に返った月咲が顔を横に数回振る。わざとらしく咳払いをして、祐奈との話を再開させた。
「失礼、見苦しいところを見せてしまいましたわ。とにかくあなたはお姉様の質問に答えてさえくだされば、それで構いませんわ」
「質問?」
「ええ。答えていただければ、わたくしたちはお暇(いとま)致しますわ。戦ったところで、お互いにメリットがありませんもの。あなたもシスターならば、わかりますよね?」
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