第4章 やがて桜咲く
第31話 末永く
「祐奈お姉ちゃん、早く!」
「待って、桜子ちゃん」
玄関の入り口前に立つ桜子に急かされながら、祐奈は靴を履く。靴ひもを結んでいると、桜子に急ぐように言われて、苦笑を浮かべた。
月咲の襲撃から数日。
沙織をはじめとする怪我を負ったシスターたちはあの後すぐに病院へと運ばれ、幸いなことに死人は出なかった。沙織が長期入院することとなったが、不幸中の幸いといえる。
壊された教会は崩落の危険もあるということで、大幅な補修工事が行われることになった。よって、現在は立ち入り禁止。水丘市の別の教会を臨時本部として、無事だったシスターたちは今日も変わらず活動している。
そして桜子は協会の工事が終わるまで、祐奈の家で預かることになった。
スニーカーを履いた祐奈がつま先をトントンとしていると、背後から足音が聞こえて振り返る。奥から柔らかな笑みを浮かべた祐奈の母親が姿を見せた。
エプロンで手を拭きながら、首をかしげる。
「あら、もう行くの?」
「うん。沙織さんから、お使い頼まれているし」
「そう。病院では静かにするのよ? あぁ、それと。沙織さんによろしくお伝えしてもらえるかしら?」
「わかった」
「二人とも、気を付けていってらっしゃい」
「いってきます」
答える祐奈の表情は何か吹っ切れたように、雲一つない晴れやかなものだった。
ようやく千早川家に慣れてきた桜子も小さな声で「いってきます」と口にして、二人は沙織の入院している病院へと向かった。
その途中。
コンビニで沙織に頼まれていた週刊の少年漫画雑誌を購入して、二人並んで歩く。すると、ふいに手が握られた。
「わっ、桜子ちゃん?」
桜子の行動にびっくりした祐奈は、驚きの声と共に桜子を見る。と、桜子はほっぺたを朱に染めて俯き加減で言った。
「迷子になったら、危ないから」
「そっか、それもそうだね」
「……お姉ちゃんが」
「あ、わたしかぁ」
高校生にもなって、それも生まれ育った水丘市で迷子にはならないと思うが、桜子がそう言うのであれば仕方がない。
祐奈は桜子の言い分を受け入れて、やわらかな手のひらを握り返す。
しばし道を進みながら、祐奈は桜子と出会ってからの日々を思い返していた。紆余曲折、いろいろなことがあり、特に初めの頃を思い出すと、今のように手を繋げるようになるとは思ってもいなかった。
桜子に心を開いてもらおうと、様々なことをして頭を悩ませていたな、と苦笑する。
(……悩んでいたのは、他にも)
高校卒業後シスターを続けるべきか。
シスターは誰にでも務まる仕事ではない上、求められている職業。運よく自分はその才能がある。大好きな生まれ育ったこの街や人々を守ることもできる。
だが。
女手一つで育ててくれた母親に心配をかけたくない。
何も才能があるからと言って、危険に足を踏み入れる必要はないのだ。
悩みに悩んで、どのくらいの日々が経過したか。月咲を倒して数日の間にも祐奈は考え、ようやく結論を導き出したのだった。
昨日の夜、桜子が寝た後で母親に伝えると、
「そう。あなたが決めたことなら応援するわ。がんばってね」
優しい声音で、そう言ってくれた。
心配はかけることになるだろう。それでも、この道を選びたいと思った。この答えが正しいのかどうかはわからないが、自分なりに悩み抜いて出したものだ。見守っていてほしい。
だから、ペアである桜子には聞いてもらうべきだと思うし、なにより祐奈自身が伝えたかった。
「ねぇ、桜子ちゃん」
「どうしたの?」
ゆっくりと桜子の名前を呼んだ祐奈に、いつもと違う雰囲気を受けたのか、桜子は怪訝そうに眉をひそめた。
「わたし、高校三年生でしょ?」
「え、うん」
「実は、卒業した後もシスターを続けるか悩んでて」
「え!」
初耳、と桜子は目を大きくさせる。桜子は無意識だろうが、握られている手に込められる力が強くなる。
「シスターしないの?」
「うーん、すっごく悩んでたんだぁ」
「……知らなかった」
「言ってないもん」
祐奈が苦笑いすると、桜子は「ペアなのに」とむくれた。桜子にごめんと謝罪をして、祐奈は話を続ける。
「でもね、桜子ちゃんのおかげで決めることができたの」
「わたし?」
「うん」
悩んでいた祐奈が、桜子とペアになるよう沙織に言われた日。沙織は環境を変えれば見えてくるものも変わるかもしれないと言っていたが、まさにその通りだった。
桜子と出会ってまだ一月も経っていないにもかかわらず、祐奈の心の中で桜子は可愛いだけでなく、確実に大きな存在になっていた。
はじめは苦労したし、桜子の力を羨んだりもした。でも桜子のことを知れば知るほど、仲良くなれば仲良くなるほど――側にいたいと思った。
「わたしは、これから先もシスターを続けようと思う」
水丘市が好きで、暮らしている人も好きで、守りたいと思う。
そしてそれと同じくらい、いや、それ以上に桜子のことが好きで一緒にいたい。ペアでいたい。力になってあげたい。
あんな約束をしておいて、卒業したらシスター辞めます。なんていうのは、無責任と言うものだろう。
祐奈が言うと、桜子は一瞬だけ顔を綻ばせかけたが、ぷいと顔をそらした。
「ふ、ふーん。そうなんだ」
「うん。ていうのをこの後、沙織さんに報告するつもりなんだけど、どうかな?」
「別に。お姉ちゃんが決めたんなら、それでいいんじゃない?」
「そっか。そうだよね」
もう少し喜んでくれるかも、と期待をしていたのだが、否定されなかっただけでも、よしとする。
と、顔を背けたままの桜子がぼそりと小さな声を漏らした。
「よかった……」
「え、なんて?」
「な、なんでもないっ」
「えー」
顔を赤くさせた桜子が歩くスピードを速めたので、祐奈もそれに合わせて速度を上げる。
「桜子ちゃん。これからも末永くよろしくね?」
「末永くって」
祐奈としては自然と出た言葉だったが、たしかに指摘されると変な感じを受ける。だってまるで。
「あー、ちょっと結婚式みたいだったかも」
「け、けけけ結婚!? バカじゃないの!」
「わたしはウェルカムだよ?」
「わたしは……って、お姉ちゃんのバカ! 変態!」
「えぇ!?」
さらに顔を朱に染めた桜子が叫んで、歩を早める。もはや駆け足になっていて、祐奈は引っ張られていた。
転ばないように注意しつつ、祐奈は尋ねる。
「それで桜子ちゃん」
「なに」
「結局、これからもよろしくしてくれるの?」
「わざわざ言わないとダメなの?」
「聞きたいな」
満面の笑みで言う祐奈に桜子は嫌がっていたが、やがて祐奈に弾く気がまったくないとわかり、観念したのだろう。俯き加減で小さく言った。
「……してあげなくもない」
「それどっち?」
「仕方ないからしてあげるって言ってるの!」
顔だけでなく、耳まで真っ赤にさせた桜子が、祐奈は可愛くて仕方がない。胸がきゅんとして、頬の緩みが止められない。心が弾んでいるようで少し切ないような、なんとも言えない不思議な感覚に陥ってしまう。
やはり桜子は天使なのかもしれない。
「ありがと、桜子ちゃん」
「……別に」
桜子はぷいっと顔を逸らしたが、それでも手は繋がれたまま。
その手を見た祐奈は「ふふっ」と微笑んで、桜子と共に歩を進めるのだった。
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