51 膝枕


「あなたは草地を農地に開拓して欲しい」

 ミハウは執務室で辺境伯と向き合って再度話している。

「バクスト辺境伯領の向こうは草地といっても肥沃な黒土の大地が広がる。小麦の生産に適した土地だ」

「我らの領地に接した草地は確かに黒土だが、あの地は相互不可侵の暗黙の了解が成り立っている。我らが手を出せば、攻めるにいい口実を得たと、蛮族や遊牧民がこぞって押し寄せて来るだろう」

「追い払ったのではないのか、それに彼らは農耕などしない」

「この国の国境は守っている。彼らとて領土は広い方が良いから虎視眈々と狙っている、今は睨み合いの状態だ」

「うーむ」

 ミハウは頭を抱えてしまう。

「しばらく王都に留まるから用があったら言ってくれ」

 そう言い残して、重厚な辺境伯は王都の屋敷に帰って行った。



 ミハウは辺境伯と話をしたが今すぐにはどうにもならないようだ。あの広大な草地と砂地の一部でもよい。麦を植えて果樹を植えて、人が増えても賄えるだけの食料を確保して、何なら他の国にも売り捌いて──。

 しかし、ミハウの描いた計画は絵に描いた餅で終わりそうだ。何より自分が考え付いた事なら、遅かれ早かれ誰でも思い付くということだ。蛮族や遊牧民さえ片付ければ誰かが手を出す。グズグズしてはおれないのだが。


 離宮に帰ると出迎えたアストリは、ミハウの疲れたような顔を見て心を痛める。

「何かお手伝いすることはございませんの?」

「私を癒してくれ」

「お疲れでしたら膝枕が良いとマガリが申しておりました」

「ではそれを所望する」

 長いソファに横たわり、アストリの膝枕で目を閉じる。

「なかなか気の利く」

「おいたされてはいけませんわ」

 不埒な動きをするミハウの手を押さえて、真面目な声で言うアストリ。その白い手を捕まえて指を弄ぶと、もう片方の手がミハウの髪を優しく撫でる。

「君に薬草園と研究室と調剤室を作った。あと、礼拝堂もある。それから足りない物はギルドに依頼を出せば冒険者が採って来るだろう。好きなだけ作ってくれ」

「まあ、嬉しいですわ」

「時々は私の面倒も見てくれ」

「いつもあなたが一番ですわ」

「私も君が一番だよ」


 ミハウにそう言ったし、実際にミハウが一番であるが、それとこれとは違う。

 アストリは浮かれて薬草園に行った。離宮の奥深く、そこはアストリだけの花園であった。薬草園を囲むように研究室と調剤室が並んでいる。ガゼボのように小さく佇む礼拝堂もあった。薬草園には温室もあって珍しい薬草や樹木も植わっている。薬草の世話をして、魔法の光をたっぷり振りかける。

「大地よ草よ水よ、光り輝け『レスプロンディール』」

 植わっている植物がキラキラと輝く。至福のひとときであった。



 そんなある日、鳥が飛んで来た。祖父とその家令に預けていた伝書鳥だった。アストリは手紙を読んでミハウの執務室に駆け込む。

「ミハウ様、お祖父様が──、私ネウストリア王国に参ります」



  ◇◇


 レオミュール侯爵が斃れた。養子のマティアスにほとんどの仕事を任せ、引退間近であった侯爵はアストリが枕元に駆け付けた時には昏睡状態であった。

「お祖父様、しっかりして」

 持って来た針で指を刺し、血の滲んだ手で侯爵の手を取る。

「ぐっ」

 候爵の身体がピクリと揺れて、アストリは初めて不安そうな顔になった。

「お祖父様……?」

 祖父は答えない。

「ぐ、む、うう……」

 苦しそうに首を左右に振って、その唇から血が零れ落ちる。

「きゃああ、お祖父様! しっかりして!」

 しがみ付くアストリと、ミハウとエドガールと修道院長ブルトン夫人が見守る中、レオミュール侯爵はがっくりと息絶えた。

「あああ、お祖父様! どうして、いやいやいや……」

 アストリは自分の手を針で刺して血をかける。しかし侯爵はピクリともしない。

「いや、生き返って、お願い。どうして。お祖父様ああ」

 尚も自分の手に針を刺そうとするアストリから針を取り上げるミハウ。取り乱して首を横に振って、しがみ付いたままのアストリ。



 アストリが放心したまま葬儀が終わった。

 毎日礼拝堂の棺に詣でても侯爵は生き返らない。

 礼拝堂で祈りをささげた後、側にいるミハウにアストリは独り言のように呟く。


「私、うぬぼれておりました。薬を作って、光魔法も手に入れて、お祖父様も大丈夫だとうぬぼれておりました。私の慢心がお祖父様を殺してしまったのです」

 そして自分に言い聞かせるように「私は修道院で祈ります」と告げる。


「馬鹿を言うんじゃない。ノヴァーク王国の皆はどうするんだ。国民は」

「ごめんなさい、こんな不出来な私をずっと引き立てて下さって。でも本当に私が悪かったのだと思うと……」

「いつまでも私の側に居てくれるんじゃなかったのか。私を一人にする気か」

「私、ミハウ様の為に毎日祈ります。それに、これは天罰なのです。私は幸せになってはいけない子供なのです」

「それは違う。誰もそんなことは──、それを言うのなら私の方が──」

「ミハウ様の側にずっと居たい。でも神は罰をお与えに──」

「分かった。それなら一緒に修道院に行こう。私も修道女になる」

 ミハウの言葉に、周りにいる者の方がギョッとなる。この男はしばらく女装してフラフラしていた。アストリだけがミハウなら修道女姿も似合うかも……、と少し考えたが慌てて首を横に振る。

「そんな、いけませんわ。国を統べる方が──」

「そんなもの何とでもなる。逃げ出したかったのだ、丁度いい」

「そんな……」

 そう言いながらも二人は手に手を取って、明後日の方向に舵を切ろうとしていた。



 棺の前で二人が不穏な相談に心が揺れていると、エドガールの声がする。

「おい、いい加減で出て来い」


「いや、出て行きにくくて……」

 何やら死んでしまった筈の男の声も聞こえる。

「盛り上がっているからなぁ」


「悪趣味ですわ。さっさと起きなさい」

 修道院長ブルトン夫人の声がして棺の蓋が取り除かれ寝かされていた男が甦る。


「────、お祖父様!!!」

「いや、さすがに老体には堪える」

 グラリと揺れるレオミュール侯爵の身体をエドガールがしっかりと支える。

「私の屋敷まで飛びます」


 そうしてブルトン夫人の領地の屋敷に飛んだ。

 レオミュール侯爵はバスルームで綺麗にされ、アストリ特製の薬草スープを飲んで人心地付いてからみんなの前に現れた。痩せて以前より鋭い顔つきになっているが相変わらずダンディな男であった。

「お祖父様……」

 アストリが出迎えると頭を撫でて引き寄せる。

「心配をかけたな」

「いいえ、いいえ」

 何も言えなくて涙をポロポロ零した。

「いやあ、本当に心配させてもらったぜ」

 エドガールが遠慮なく言い「私は暫らく修道院は御免ですよ」とブルトン夫人が釘を刺す。

「もう修道院に行くなんて言わないでくれ」ミハウにお願いされて「ごめんなさい」と謝るアストリだった。

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