27 顔に傷のある男


 馬車は冷たい刃物のような三日月が照らす街道をゆっくりと進んだ。御者が操る二頭立ての馬車は無骨であるが頑強で揺れは少ない。馬に跨った男がひとり警護している。

 馬車には女がひとり乗っていた。銀の髪、白い頬、目を閉じて、ブランケットを被り、眠っているのか起きているのか分からない。


 やがて馬車は闇の中に静まりかえった大きな建物の中に入って行く。

 夜陰に紛れて、男は女を抱きかかえ修道院に入った。飾り気のない一室のベッドに女を横たえると静かに出て行った。

 俯いて顔を隠し、一言も発しなかった。



  ◇◇


 アストリは朝、目覚めて呆然とする。

 母と護衛の男の事を考えていたから夢に見たのだろうか。恋愛物の廉価本も読んでいたので、ありありと想像できたのだろうか。


 朝食の後、隣でぼんやりと座っているアストリの肩を抱き寄せてミハウが聞く。

「何があったんだ?」

「夢を見まして……」

 まだ夢を見ているような顔でアストリは答える。

「どんな?」

「母と護衛の方が馬車で修道院に入って行くのを──」


 母は馬車で眠っていた。護衛の男は馬に乗っていた。

 何も話さないで、永遠とも思える道を確かな足取りで行く。

 まるで見たように話すことができる。夢なのに。

 馬車の音。蹄の音。空にかかる三日月。冷たい空気の匂いさえ。


「その方の事、侯爵家の護衛の方達に聞いてみましたか?」

 マガリが聞くのでミハウとアストリは顔を見合わせる。すっかり抜け落ちていた。

「私達が聞いてみましょうか?」

「そうしてくれたらありがたい。私達も聞いてみよう」

 クルトとマガリが侯爵家の衛兵に聞いてみるという。侍女やら従僕から聞いた方が重い口も開くかもしれない。

 彼らはするりと人の中に入っていって違和感がない。物凄い特技だと思う。



 男の容姿が分かったので、侯爵家の兵士に聞けば思い出す者もいた。そうして分かったことは、その男は辺境伯領の出で、ルイーズと同学年で騎士学校に通っていた。名前はディミトリ・ドゥ・リュクサンブール。


「ディミトリの事は聞いた事がある」

「剣の腕が立つので、危険な場所にも派遣された」

「まだ十代の若さで勇猛果敢で知られていたが、魔獣から誰かを助けたかなんかで酷い傷を負った」

「無口だがいい奴だった」


 事件の後、彼は辺境伯領へ帰って行ったという。顔の傷の所為かあまり人と交わることはなかった。学校の行事も興味がなく参加しなかったが、腕は立つという。



 ルイーズの護衛騎士は代わりの護衛騎士を探していた。

「家の者がやらかして領地に戻らなければならん。誰か手練れの者を知らんか。身元の確かな者はいないか」

 侯爵は外遊中で帰って来るのは一年先だと聞いている。マティアスは護衛騎士の実家のやらかしで駆けずり回っている。あとふた月かそこらの任期だった。


「ディミトリは辺境伯の縁戚だし、顔の傷さえ気にしなければいいんじゃないか」

「あいつなら腕が立つが」

「ルイーズ様がお気になさらなければ──」

 侯爵家の護衛に頼まれて、少しの間という事で彼はルイーズの護衛を引き受けた。


 なぜ卒業間近のこの時期に、慣れた護衛を追い払ったのか、疑問の残る出来事であった。



  ◇◇


 アストリとミハウが侯爵の執務室に行くと、マティアスと、丁度、王都と近辺を見回っていた辺境伯家のエドガールが侯爵邸に来ていた。

「そろそろ辺境に戻ろうと思ってな。どうも帝国軍が活発になったらしい」

 そう言いながらもエドガールは張り切っているように見える。瞳は鋭く、口元もニヤリと曲げている。


「その、ルイーズの護衛に付いて聞きたいのだが」

 ミハウが問うと、思いがけずマティアスの方が反応した。

「あれは不審な事件だった。誰かの罠だと思うが巧妙に隠されて、こちらは累が及ばないようにするので手一杯だった」


 ルイーズの護衛は騎士学校を卒業して、ルイーズの護衛に付いていた。レオミュール侯爵家の一門で、隣接する伯爵家の次男で護衛として申し分のない男であった。

 しかし、彼の兄である長男が、領地で禁制の薬物を使ったパーティに参加して憲兵に捕まり、一族どころか侯爵家にまで累が及びそうになった。


「結局、護衛は辞めて兄の代わりに伯爵家を継ぐことになったのだ」

「代わった護衛の事は?」

「さあ、適当な人が見つかったらしいが」

 マティアスはどこかルイーズに対して冷たい。


「後任の護衛の名前が分かったのだが、あなた方はご存知ないか」

「ディミトリ・ドゥ・リュクサンブールという方ですが」

 ミハウとアストリは侯爵とエドガールを等分に見る。

 溜め息を吐いたのはどちらだろう。

 彼はルイーズの護衛としてではなく、遺恨の残る戦で死んだ者の中に、その名前があったのだ。




 辺境の西に、高地と森にぶつかる境界の地がある。北からの帝国の圧力はこの地から始まる。帝国からの防衛拠点としてデュラック辺境伯は城を築くことにした。

 その城を築く人材を広く他国の民にも求めたのだ。


 リュクサンブール家は、北東の国々から流れて来た領主階級の者たちのひとつで、帝国からの防衛を任せた所、その中でも目覚ましい働きをした。

 デュラック辺境伯は高地と森の境界の地に、ゼムガレン帝国の抑えになる築城を命じた。彼らは辺境の西の地に城を築き、これをリュクサンブール城とした。

 そのまま城を居城に帝国を撃退し、その地に根付いた。


 今、その城はゼムガレン帝国に占拠されている。

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