28 辺境に行きたい


「私、辺境に行きます」とアストリが思いつめたように言うと「お前が行くことはない、エドガールに任せなさい」レオミュール侯爵は反対した。

 ミハウも「君が行かなくても」と引き止める。

 そこにいる皆が押し止めようとする。行く理由がないし、女性の身で戦うことに疑問を持つのだ。何ができるかと問うのだ。


 アストリは頑なに首を横に振った。

「行ってどうするというのだ。何が分かる」

 彼はもう死んでいる。無口でアストリの夢の中でも何も喋らなかった。

「でも」


 彼が父なのかどうかは分からない。寡黙な人で何も言い残さなかった。そして戦で死んでしまった。

 アストリは何度も母の日記を見たが、母も彼の名を残さなかった。


 ゼムガレン帝国の策略に嵌まって当時のデュラック辺境伯が死んだ。西の領地も城も失った。その時、ディミトリも一緒に死んでしまった。

 遺恨の残る戦い。ゼムガレン帝国が猛攻撃を仕掛けてきた時、王国軍は間に合わなかった。リュクサンブール城は帝国に奪われ、リュクサンブールの一族は殆んど死に絶えたという。


 八年前の出来事であった。

 ネウストリア王国は辺境の西の地を明け渡すことで帝国と手打ちを行い、今この時まで一触即発ながらも危うくも均整は取られていた。



 今、帝国はそのリュクサンブール城を足掛かりに辺境の地を攻略するという。

 帝国はあちこちに手を広げて八方塞がりなのだ。国内の不平不満を躱すために一番弱そうな所に打って出るのだ。国王が代替わりしたばかりで、国内のゴタゴタもまだ落ち着いていないネウストリア王国に。


 アストリにもその責任の一端はある。例え先代の国王がくずのような男でも、民衆の不平不満が爆発しそうだったとしても、彼をして死に至らしめたのは、紛れもなくアストリであった。


「でも、そんなことではない。そんなことではないの」

「囚われているのか。何故、何に」

「負けたくない──」


 ポツリと紡ぎ出された言葉。それを探していたかのように、猛然と喋り出す。

「負けたくないのよ、母を凌辱した国王たちにも。唆した王妃マリーにも、そしてどこにもかしこにも戦争を吹っかけている帝国にも、負けたくない」


 溢れる魔力を持ち、類い稀なる四属性持ちで、すでに光魔法まで発現して自由自在に使える。その上、不死の一族である。誰がアストリに勝てるというのか。

「今、私が此処に生きている、その証が欲しい。その意味が欲しい。存在する理由が欲しい。私達を踏み躙った彼らに負けたくない」


「君が彼らに負けることはないだろうよ。むしろオーバーキルを心配しなければならないくらいだ」

 ミハウが呆れたように言う。

「それで満足するのか」

「いいえ、死んでしまった人はもう帰らない。ただ虚しいだけかもしれない」

 熱に浮かされたようなグレーの瞳は水を孕んで揺れる。

「それでも──」


「取り敢えずルイーズの墓に花を供えて報告をしよう」

「じゃあ、あの方のお墓にも」

「ふう、仕方ないな」


 自分が汚泥に塗れた国王たちに弄ばれて出来た子供だなんて、誰でも納得できないし、信じたくない。

 アストリの目の前に現れた『父親かもしれない男』という存在は、銀の髪を持ち他国から流れて来た一家で、美しい顔を怪我で失い、寡黙だが誰より勇敢で、悲劇の男だ。選べるものなら選びたいだろう。



 帝国が騒がしいと言っても、エドガールはまだのんびりしている。

「その、エドガール殿はいつ頃辺境に戻られる予定なのか、お聞きしても」

 ミハウの問いにエドガールは問いで返した。

「君たちはいつ頃式を挙げるのかな」

 その言葉でミハウは頷いてアストリを見る。

「先に結婚しよう。夫婦として、君の夫として墓参りに行きたい」

 ミハウの言葉に嬉しくて頷くも、アストリは少し不安だった。


(あの時、本当に未遂だったのかしら。それに私の貧弱な身体を見てミハウ様は失望しないかしら。彼は聖女のような、金髪とかピンクの髪の豊満な女性が好きなのではないだろうか……。あの前王妃マリーみたいな色っぽい美しい女性の方がいいのでは)



  ◇◇


 侯爵領の領都の教会堂で式を挙げる。準備は殆んど整っていて、レオミュール侯爵の我が儘で伸ばし伸ばしになっていたのだ。エドガールの説得でやっと重い腰を上げて、二人の婚姻の許可を出したのだった。


 当日、侯爵家の丹精込めて仕上げられた白いドレスに身を包んだアストリは嬉しさと恐ろしさでドキドキして、今にも倒れそうな風情だった。

「綺麗だ」とアストリに見惚れるミハウに震える手を差し出す。


 ミハウの心配はとんでもない下世話な所にあった。もし処女膜が再生して、アストリが元の身体になったらどうすればいいのだろうと。切れそうな首が繋がったり腕が繋がったりしたのだ。ありうることだった。

 何度も痛い思いをさせたくないが、何度もしたい。

「教授はどう思う?」

「分からんものは分からんのう。前例がないし。ミハウ陛下が作ってくれればよい」と、厳かに告げる。勿体ぶった顔がふと綻んで、興味津々なのが分かって「私が実験台になるのか」と憮然とする。


「お前らどうなんだ?」

 仲間内で唯一夫婦のクルトとマガリに聞くと「そりゃあもう」「うっふっふ」と三日月の目で意味深に笑う。こいつらに聞くんじゃなかったと後悔するミハウであった。


 まあ処女に戻るのであれば、愛し合う方法も考えればいいかと腹を括る。

 アストリはミハウの心配がそんな所にあるとは知らない。何に心配しているのかしらと首を傾げる。


 それより、あの時本当に無事だったのか、未遂だったのか、それがとうとう分かるのだ。もし未遂じゃなかったとしたら、そして、それをミハウがどう思うのか──。

 彼が失望したらどうしよう。軽蔑されたらどうしよう。


 アストリも不安で不安で仕方がないのだ。それでもミハウの希望を叶えたいとも思う。アストリは希望と不安で口元を強張らせながらミハウの隣に立つ。

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