22 復讐なんかする気もない


「病気だ、疫病だ! 来るなー! 伝染るぞ!」

 ミハウは叫んだ。

 皆殺しは本意ではないのだ。疑問を持って遠巻きにする者、訳が分からなくて立ち止まっている者、苦々しく思っている者たちは、ミハウの言葉に反応して、いち早く逃げる。

 命令で剣や槍を持って向かって来る騎士達は、その言葉に立ち止まる。


「疫病だぞ! 血を吐いて死ぬぞ! 逃げろーー!」

 死んだ男達を指しながら騎士達に向かって行く。入り口に近付きながら叫ぶ。

 その血に染まった幽鬼のような姿を見て誰もが怯んだ。


「ぐああーー」

「うがああー」

 周りの男たちがバタバタと血を吐いて斃れて行くのを見て、立ち止まった男たちは背を向けた。もはや護衛対象の司教や司祭たちは、みなその場に倒れている。血を吐いて苦しげな顔で絶命している。


「疫病だぁーーー!!」

「わああぁぁーー!」

 背を向けた者たちは先を争って逃げ出した。



  ◇◇


 王妃は回廊を進んで大聖堂の奥にある部屋に入って行った。広くて美しい部屋は客室だろうか。カーテンで半分仕切られた広い部屋の向こうに、大きなベッドが置かれている。

 騎士は部屋の入り口に立ってドアを閉めた。

 慣れた様子でソファに腰かけた王妃は、その前に立ったアストリを目を細めて値踏みするように見る。


「あなたがアストリ?」

「はい。王妃殿下におかれましては……」

「面倒な挨拶はいらないわ」

 そう言って、何が可笑しいのかニヤリと笑う。


 その時、入って来たドアではなく、反対側のドアを開けて男が入って来た。後ろに同じ年代の男が三人。皆、立派な衣服を着ている。

 王妃はチラリと男達を見て声をかけた。

「陛下」


(ああ、この男がそうか)

 そんな気持ちで男を、男達を見る。この中の誰かが自分の父親なのだろうか。

(私の……?)

 とても、そんな風に思えない。祖父に感じた親近感や、ぬくもりなど欠片も感じない。そして彼らもまた、アストリが自分の血を継ぐ者だとは思えないのだろう。唇を歪め、眇めた目に欲望の色を滲ませてアストリを見る。


(私には父親なんていない。産んでくれたお母さんだけ)


「なるほど、ルイーズによく似ておる」

 男もアストリを値踏みするように見る。同じ表情に背筋が震えた。

「そなたの母親は高慢で愛想が無くてつまらなかった」

 ゆっくりと歩いて近付きながら喋る。

 信じられなかった。そんな事で人を踏みにじった男が。


「だが、嫌がって泣く様は良かった。あれならば側妃に迎えてもよかった。私には子も出来ぬし、残念な事をした。お前も私を楽しませるなら可愛がってもよい。側妃に召し上げてやってもよい」

 おぞましい言葉に心が震える。細めた視線がアストリを舐めるように見た。獲物を前にした狼のように、まるで口に牙でもあるように舌なめずりをする。


「抑えよ。武器などは所持しておらぬか」

 騎士が出てアストリを押さえ付ける。

「魔法に堪能だと聞いた。この大聖堂には結界が張ってあるが、一応、魔法封じの首輪をしておけ」

「いやっ!」

 拒絶の言葉を吐いたけれど、身動きする前に捕まった。


「あの時のことが忘れられないのだ。お前を争って貪り喰らう。楽しかった。高揚した。あの昂ぶりが欲しい」

 歪んだ顔、欲望に塗れた目。

 アストリは首を横に振った。恐怖で怯えで、息をするのも辛かった。

 逃げたいのに身体が動かない。

(神様……!)

 少し体が動いてドアに向かおうと身を翻す。だが男達に両手を捕まえられて押さえ付けられる。服を裂かれた。暴れても渾身の力を振るっても動けない。


「いやぁ!」


 神様……、

 いいえ、お母さん……、

 いいえ、いいえ、誰でもない、あなた、

 私のあなた、

 助けて、怖いの、竦んで動けないの。助けて、助けて、


 男の指が身体を弄り、腰を持って押さえ付け、入り口をこじ開けようとする。


 いや、いや、いや、

 痛い、痛い、痛い、腰が逃げる。

 どうしても、いや。受け入れられない。


「くそう、お前たちもっと押さえ付けておかぬか!」

 男が身体を引いて文句を言う。

「ピチピチと暴れるのがいいと、仰ったではありませんか」

 押さえ付けている男たちが下卑た笑いを漏らす。

「次は誰が行くか、お前が行くか」

「口も使い、後ろも使い、壊れるまで可愛がってやろう」

 頭の上の会話に気が狂いそうだった。母がこんなゲスな男達にこんな風に扱われたのかと思うと、怒りと絶望が込み上げる。


 正面にいる男を睨むと、様子がおかしい。アストリを押さえている手を離して口元を押さえた。

「うっぐ……!」

 その鼻からだらりと血が零れた。

「陛下、興奮しているん……す……か……?」

 だらりと落ちた血がパッと飛び散った。

「うがあああぁぁぁーーー!!」

 男が悲鳴を上げて仰け反った。その顔から口から鼻から耳から血が迸った。血は飛び散って周りにいた男達に襲い掛かった。

「ぐわっ!」

「わあぁ、何だ、ぐぼっ!」

「ぎゃあ」

 何が起こったのか。毒を盛った侍女の時と同じだ、けれど、周りにいた男達も次々に悲鳴を上げてのた打ち回る。



 掴まれていた手を開放されて、アストリはベッドから飛び降りた。衣服の切れ端を手に取って身体を隠す。ドアを開くと屈強な神殿騎士がいた。

 アストリを捕まえて部屋を覗く。部屋の中は血が舞っている。獲物を求めて。

「うわ」

「ぎゃああ」

 騎士たちは悲鳴を上げた。



 どやどやと騒ぐ声と駆け付ける足音がする。

「アストリーー!!」

「先生、せんせいっ! 助けて!」

 やっとアストリを見つけたミハウが駆け付ける。


 ボロボロで血だらけで地獄から帰ってきたような男が、手を前に差し出す。

 滴り落ちる血は、落ちる前に散る。散ってその場に居た騎士達に襲いかかった。

 悲鳴を上げてのたうつ男達。


 アストリはミハウの身体にしがみついた。そして身も世もなく泣き出した。

「どうした?」

「うっうっ、ひっく、私、私もう純潔では……」

 きっと男に犯されて血が出たのだ。初めての時は出血すると聞いた。廉価本の物語にも書いてあった。

 首を横に振って、涙をボロボロ溢れさせ、それでもミハウに縋り付いてしまう。

「ごめんなさい、何も出来なくて、襲われて、怖くて、押さえ付けられて、逃げられなくて…………、ヒック……、ごめんなさい」

「大丈夫だ、謝るな。無事でよかった」

 ミハウは司祭の服を脱いでアストリに着せた。首輪に気が付いて「何だこれは」と首輪を外して投げ捨てた。まだ泣きじゃくるアストリを宥めながら抱き上げる。

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