42 マリーのお散歩


 マガリから見ればアストリは現実味のない少女だった。痩せて細くて、髪も瞳もグレーっぽい色味の無い少女。影の薄い存在感の薄い少女。拾ってきた子猫のようにひっそりと、息を潜めていた。

 子猫は飼い主に懐くようにミハウに懐いて、廃教会堂に居ついた。ミハウに懐いてクルトにもマガリにも慣れた。

 この、人に懐きにくい子猫が、明らかに自分たちに慣れているのが、マガリにとって密かな自慢であった。


 アストリがエリザから貰ったマジックバッグから聖水を取り出して、岩に軽く振りかけて祈ると黒い気配がなくなった。

「ああ、何だか軽くなりましたわ。こちらに帰ると肩が重くなるんですよ」

「そうなの? 昨日ミハウ様も、うなされていらっしゃったの。お屋敷は別にどうという事も無かったのだけれど」

「まあ、ミハウ様もですか。お屋敷にもこの細石は置いてある筈でございます。私、見たような記憶があります」

「じゃあ、この岩を探して浄化すればいいかしら」

「お屋敷に帰ったら、ぜひともお願いしますね」

 そうだ、こんな風にちょっとしたこともマガリには話すのだ。マガリは内心「どや」とドヤ顔をするのだった。


「ついでに、このホテルの他のお部屋も見ておきましょうか」

「それがようございますね」

 二人は他の部屋を見て回って浄化して行った。

 マリーには「貴女が本当の聖女みたいね」と言われてマガリが「本物でございますよ」と応戦する。

「そんなこと、どうでもいいじゃない」アストリは取り合わない。口元が少し笑んでいるのは自分に出来る事があるからだ。ミハウに置いて行かれて、ホテルでじっと待つのは落ち着かない。



  ◇◇


 マリーは面白くなかった。それでふらりとホテルの外に出た。

 町は何処にでもあるような田舎の町だ。ホテルの周りはお店が少しあるが大したものはない。ネウストリア王国の方がまだましだと思う。

「何処に行くんだ」

 声をかけて来たのはセヴェリンだった。見た目は三十前のこの国出身の男だ。

「別に、付いて来ないでよ」

「お前はまだ慣れていないだろう」

 それはどういう意味か。こんな男にお前呼ばわりされるのも気にくわない。


 マリーは男を睨みつけて勝手に歩き出す。仲間だというけれど、仲間意識はないのだ。いや、心の中にあるのを否定している。自分の体の中で生き残った忌々しい血の所為で仲間と認識してしまうのだ。

 こんな事なら元国王らと一緒に死んでしまえば良かったのに。だが今更死にたくもない。しかし生き残っても行く当てはないのだ。彼らはもう死んでしまったのだから。自分にはお金も何もない。役に立たない魅了と、甘やかされて何も出来ない頭脳と手足。それなのに朽ち果てて死ぬことも出来ないのだ。


 むやみやたらと歩いていたら、いきなり腕を掴まれた。草むらに引きずり込まれる。

「いや、誰!」

「あんた、いい服着ているな」

「その服寄越しな。その髪飾りも」

 人気のない冬の町は雲って薄暗くて、草むらの向こうは暗い洞窟だった。追い剥ぎだろうか。黒い影が幾つか見える。


「いや、誰かっ!」

 護衛の男は何処に行ったのか。マリーは舌打ちしたい気分になったが、護衛なんぞしたことのない男と、振り払おうとしてむやみやたらと歩いたマリーと、結果は明らかで最悪だった。

 真っ暗な洞窟より、薄暗い外の方がマシだった。草を掴んで逃げようとする。追い剥ぎの手が足にかかる。暴れて足を振り払ったが、足首を掴まれた。ずるりずるりと引き戻される。その手を蹴ったら引っ掻かれた。痛い。


「ぎゃああーー!」

 悲鳴が上がった。見ると怪我をした自分の足から血が出て、霧のように舞い黒い影に襲い掛かって行くのだ。

「ひっ、あっあ……」

 恐ろしい。そこにいた何者かがバタバタと血を吐いて死んでいく。

「ぎゃあ」「うがあ」

 血を吐いて断末魔の叫びをあげながら。


 彼らから背を向け、起き上がれずにズルズルと這って、震える手で草を掴もうとしたが力が入らない。

「に、にげ……、だ……」


 不意に手を掴まれて引っ張り上げられた。

「逃げるぞ」

 小脇に抱えられて走る。しばらく走って路地横で下ろされた。

「セヴェリン……?」

「どこか怪我をしていないか」

「あ、多分足を……」

「血は?」

「あ……」マリーは恐る恐る自分の足を見た。引っ掻かれた所から血が滲んで一筋流れた痕があった。血はもう舞っていない。

「俺らバケモノだからな」

「そうなのね」

「あいつら死んでんぞ」

「そうなのね」

「血がちゃんと止まったら帰るからな。転んだって言えばいい」

「そうね」

 そこしか帰る所がないという事ではない。仲間がいて、帰る所があるのだ。

「そうなのね」


 ホテルに帰るとブルトン夫人に預けられた。

「人を殺しちゃうとね、ああ、自分も仲間なんだって思うのよ」

 怪我の手当てをしてくれた彼女が言う。

「心の底から思ったわ」

 マリーは泣きぬれた顔で心底頷いた。



  ◇◇


 やがて鉱山に行った連中が賑やかに帰って来た。

「お土産を頂きました」

 そう言ってエリザが魔石を見せたのは、仲間が集まった部屋に入ってからだ。

「まあ素敵」

 宝石のように輝く魔石を見て、マリーが感嘆の声を上げる。宝石を見ると機嫌が良くなる。しかし、吹っ切れてもいた。

「素敵な魔道具を作ってみせますのでお待ちくださいね」

「いい大きさだわ、指輪になるわね」

「そうですわね、防御や色々な付加価値が付けられますわね」


 隣に座ったミハウが箱を渡す。

「アストリ、君にはこれを」

「私の?」ミハウが渡した箱を開けると無色透明の光輝く魔石が入っている。

「光属性だ。君なら何か出来るだろう」

「あら」アストリはマガリと顔を見合わせる。あの岩とで何かできそうだ。



 翌日は雪がチラチラ舞う天気となった。

「雪が積もる前までここで調べて、それから領地に帰ろう。王都に行くのは春になってからだな」

 ミハウは先延ばしする気満々であった。クラウゼがそれに苦情を言わないのは、先にこちらの方を片付けたかったからだろう。

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