07 ダンスは上手く踊れない
「貴婦人は美しい姿勢で優雅に歩かなければいけない」
ミハウに言われてアストリは、本を頭の上に乗せて聖堂の身廊を歩く。
「先生、本が重たいです」
「首を伸ばして、背筋を伸ばして、前を向いて、目線真っ直ぐだ」
ドサドサドサーー!!
「はう!」
「拾って」
「むう」
アストリは重い本を拾って頭に乗せる。
「窓を見て歩けばいいだろう」
ドレス姿のミハウが正面のステンドグラスを指さして言う。
「聖サウレ様の像がありません」
「ここはヴィア会派だからな」
「よく分かりません」
「貧乏人は権威に払う金なんぞないのさ」
「分かりません」
ドサドサドサーー!!
アストリは修道院で侍女としての礼儀作法は仕込まれた。修道院の孤児院を出て生きて行く為の素養であった。ある程度は習っているので、何とかミハウについて行く。
ミハウは司祭の服を着たりドレスを着たりする。そんな事をしていいのだろうか。アストリにはミハウが男か女かどっちか分からなくなる。
◇◇
その年の秋は冬の訪れが早く、アストリの誕生日になる前から雪が降っていた。朝の水汲みは辛かったが、この前ミハウが辺境の領都シャラントで魔道具を手に入れてから格段に楽になった。コックを回すと水が出る。止める位置をかえれば勢いも変わるし、お湯も出る優れモノである。
「ここは田舎だからな」
領都ではもう行き渡っているらしい。
「風呂も入れる」
「お風呂……?」
孤児院に居た時、タライにみんなを集めてお湯を入れ、芋の子を洗うように洗われた。髪の色も瞳の色も肌の色も薄くて、皆と違うアストリは馴染めなかった。
ここに来てからは、お湯で身体を拭いたり洗ったりしていた。
「こちらですよ、洗って差し上げますからね」
マガリに連れて行かれて、タイルが敷き詰められた床の上に猫足のバスタブが置かれている部屋に行った。真ん中に炊事場と同じ魔道具が取り付けられている。
マガリがお湯の調節の仕方を教えてくれる。
「さあ、あちらでお洋服を脱いでくださいな」
「恥ずかしいです」
「大丈夫ですよ、お貴族様はそんなものですから」
「私は貴族ではありません」
「そんなものですよ、さあお湯が入りましたよ」
何がそんなものなのか、マガリにあっさりテキパキと服を脱がされてお風呂場に追い立てられる。入り方から石鹸の使い方洗い方までレクチャーされて、ついでに全身洗われて、すっかり綺麗になった。
「マッサージをしますよ」
お風呂の片隅に置いてある台の上で、顔から身体からクリームでマッサージされパックされ、疲れ果てて解放された。貴族の令嬢というものは疲れるものらしい。
◇◇
アストリが十四歳になるとミハウはダンスを教えると言う。
ダンス用の靴を目の前に並べられた。薄いシルクの靴下を履いて、ヒールのある可愛い靴を見る。恐る恐るそっと足を入れる。ぴったりだ。どうしてこんなにぴったりなのだろう。
ミハウに手を取られ、立ち上がる。何だろう、何かが違う。周りを見回した。視界が違う、世界が少し低くなった。
そのまま手を取って聖堂に向かう。聖堂は椅子を片付けて広間になっている。
ミハウは祭壇の上に何かを置いた。いや置いたのではない、取り出したのだ。それが蝙蝠のような羽を広げてパタパタと祭壇に着地するのを見た。
「先生、それは何ですか」
どう見ても魔獣、一つ目の魔獣に見える。
「音と映像を再現する魔獣だな」
「ええ、そんな、危なくないですか」
「契約しているから大丈夫だ」
「ケイヤク……」
ミハウは音を再現させる。
それはどこかの宮廷の舞踏会のようだ。音に合わせて映像が部屋に流れる。等身大の人々がそれぞれに立派な美しい衣装を着て、聖堂の中を外を踊っている。しかし人々は透けていて、ミハウやアストリに構わずすり抜けていく。
映像を見ている内にどちらが実在していて、どちらが映像か分からなくなった。
ここに居るのは誰だろう。今までの事は全て夢で、アストリはまだあの修道院に居て、修道女たちに顎で使われているのではなかろうか。
夢が覚めたら、あの寒くて冷たい無彩色の修道院に埋もれているのではないか。
「さて、練習をしようか」
ミハウの声でハッと我に返った。ミハウが目の前にいる。彼が彼女であってもそれは問題ないんじゃないか。ここに、目の前に居ることが全てなんじゃないか。
ミハウが手を差し出す。アストリはその手に自分の手を乗せる。アストリの手を取ってダンスを申し込む所から再現する。
そしてホールの真ん中に向かい合ってホールドする。足の位置、姿勢、目線、手の位置を教えられ、そして動き出した。結構強引な動き方で、ダンスを知らないアストリは振り回される。一曲終わるとステップの説明をされた。ステップはきっちり決まっていなくて、適当に取り入れて繋げて行く。踊っている事を、身体を動かしている事を、楽しめばそれでいいのだ。
しかしアストリにとって楽しむどころではない。気を使い、動き走り、一曲踊ると息が上がる程ハードなのだ。
踊っていて、やはりミハウは男性のような気がしてきた。何がどうとは言えない、自分の単なる希望かもしれない。ミハウの長い指はちっともゴツゴツしていないし、体付きも優しいけれど。
ミハウは祭壇の上に魔獣を置き、女神サウレを嘲笑う。そんな人だ。
男性か女性かも分からない。
それでも────。
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