46 アストリ猫
ノヴァーク王国の王宮はそんなに大きくはない。規模的には大聖堂と同じくらいだろうか。元あったミハウの離宮に王宮の仕事場を足した感じの作りになっている。離宮が王族のプライベート部分で、広場に面するどっしりした建物が公的な仕事をする場所のようだ。
王宮の近くに大聖堂があって、会議場があって、財務、外務、魔法などの各省庁がある。王国騎士団があって、裁判所があって、商工ギルドなどがあって、建物の大きさは変わらない。ミハウは離宮部分から毎朝そちらに出勤する。基本、昔ミハウが構築したものがそのまま使われている。
そう、眠ったような国であった。
ミハウは眠った国のまま、中身だけ少しずつ変えようと思う。他国と軋轢を起こさぬように、他国に気付かれないように、少しずつ静かに静かに。
アストリは王宮に行ったことはなかった。大聖堂もお城のような屋敷も侯爵家の大きな屋敷も行ったけれど王宮は初めてである。
アストリは王妃になってしまった。けれど、どうしていいか分からない。侯爵家で貴族令嬢の礼儀作法を習ったけれど、王妃の作法など知らない。この国の作法は知らないし、貴族も知らない。お茶会も夜会も、今の所ミハウは開かないようだ。
なので、いつものようにアストリは猫になった。
『セ・メタモルフォーゼ・エン・シャット』
アストリの猫術は進化した。目の前の大きな鏡に、銀の毛並みの美しい猫が映っている。手を伸ばすと、猫も手を伸ばす。
「にゃっ?」
声も猫である。とても美しいけれど存在感の薄い、透き通った感じの猫だ。
猫が鳴いたので侍女が気付いた。
「きゃあ、王妃様のお部屋に猫が!」
騒ぎになった。
「大変ですわ、どこの猫でしょう」
「追い出して、王妃様は猫を飼っていらっしゃらないし、どなたかの猫が紛れ込んだのでしょう」
アストリ猫は侍女たち総がかりで追い出された。
必死にジグザグ走行で逃げていたら迷子になった。
「にゃあ……」
猫というものは気まぐれで何処にでも行く。移動距離は案外ある。神出鬼没である。そして、大抵見逃されるのだ。制限なしである。アストリは好きなだけ散歩をすることにした。見つかると騒がれるので認識阻害をかけた。
『インヒビション・コグニティブ』
無敵になった。
今の所他に時間を潰す術がないのだ。刺繍も薬草を育てたり薬を作ったりする事も出来ない。なので猫術を駆使して城内をうろうろした。
やがて、見覚えのある所に出た。
「王妃様は?」
「見つからないわ」
「あちらを探しましょう」
侍女たちが探している。人のいない所で戻る事にした。
『アニュレ』
ちゃんと元に戻った。ドレスをちゃんと着ていることに安堵して、侍女たちの方に歩いて行く。猫になる為には探されなくて済むような理由がいると思った。
翌日は王宮の王立図書館に行く事にした。図書館は大聖堂の並びにあって、王宮からも行けるように回廊が伸びている。アストリはそこで魔術の本や、薬草の図鑑、刺繍の図柄などいろいろな本を借りて自室に戻り、しばらく本を読むからと侍女たちに休憩を与えた。
そして猫になる。
『セ・メタモルフォーゼ・エン・シャット』
次に認識阻害をかける。
『インヒビション・コグニティブ』
無敵アストリ猫は王宮を闊歩した。
後宮と呼ばれる元の離宮部分はそう広くはない。大体の部分を把握すると、今度は表の各省庁やらミハウの執務室のある建物へ足を延ばした。
財務省や外務省、魔法省やらを見て回ったが誰にも見つからなかった。ミハウの執務室にも行った。人の出入りと一緒にするりと部屋の中に入る。
ミハウは丁度、ブルトン夫人とロジェ、モンタニエ教授とエリザを呼んで話していた。猫はそっと棚の上に飛び上がって、上から覗き見た。
ミハウは地図を広げて言う。
「王都に病院を作って欲しいのだ」
「先に病院ですか」
「モンタニエ教授とエリザ嬢を巻き込んで、素敵な奴を頼む」
「それは病院という規模じゃあ収まりませんね」
「最初は病院だな。学校と研究所を兼ねたものがいい。用地を確保したんで早速準備に取り掛かってくれ」
「忙しくなりますね」
「早速行ってみよう」
四人は地図を持って部屋を出て行く。
四人を送り出して、ふと振り返ったミハウと目が合った。その青い目がまん丸に見開かれる。それから綺麗に笑った。
「おいで」手を差し伸べられて、その腕の中に飛び降りた。膝の上に乗せられてミハウのデスクの仕事を見る。計画書、稟議書、決裁書類など書類仕事が多い。間に各省庁の役人が出入りする。
「決済の書類に印章を使われないと伺いましたが」
髭を生やした恰幅のよい人物が入って来て、書類を机に置いて文句を言う。
「すでに決済の判があるものを無効とはどういう事です」
「決済は私のサインを以て行う。それ以外は無効だ。王の印章は王が代われば無効となす。その書類は私が王に就任して以降のものだ」
「はっ、サインなど、誰でも真似が出来ますぞ」
「真似は出来ない」
男はスラスラとペンを走らせているミハウを睨みつけると、足音高く部屋を出て行った。
ミハウの部屋に来た人物を覚えてアストリ猫が立ち上がると、抱き上げて部屋の外に出してくれた。
「危ないことをしてはいけないよ。程々にね」
「にゃー」と返事をして猫は散歩を再開する。
何処に行くかといえば先程来た人物を追いかける。回廊の真ん中をとっとっと走っても誰も気付かない。
男が部屋に入ったので、アストリ猫も追いかけてするりと部屋に入った。
とても立派な部屋である。何ならミハウの執務室よりも立派で広い。しかも何人かの偉そうな貴族や官僚が集まっている。
「何と、駄目だと抜かしたと」
「青二才が」
「くそう、何とかならないか」
「このまま知らぬ顔をして押し通せばよい」
「そうだ、坊やには何も分からんだろう」
猫は書棚の隅に隠れて、じっと男たちの顔と言動を見る。
「女を宛がいましょう」
「視察の時に事故が起きるとか──」
「呪いをかける魔女が──」
「こういう薬もございます。いかがでしょうか」
「ふむ、お前たちに任せる。何とかしろ」
「「「はい、お任せください」」」
男たちが散会したので、アストリ猫も一緒に部屋を出た。
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