10 仲間


 ミハウは自室のベッドに横たわっている。アストリの魔法で出現した光の剣はミハウの腕を切り裂いた。アストリが治癒魔法を唱えて傷は塞がったが、かなりの出血でしばらく休むことにしたのだ。


 アストリはあの後、ガタガタと震えて高熱を発した。マガリがアストリの身体を拭うと言って男二人を部屋から追い出した。

「ミアズマに対する抵抗力の所為でしょうか」

「普通は抵抗できなくて、身体中から出血して直ぐに死ぬんだ」

「そうでした。それでそこらに居た人は、みんな死んじまって──。もう遠い昔で忘れかけていました」

 ミハウはルナエの森にある崩れかけた教会堂にアストリを預かって隠れ住んだ。この三年争い事もなく平穏無事に過ごして来た。


 やがてマガリがドアをノックして入って来た。

「アストリさんは落ち着いて、ミハウ様を心配していらっしゃるので来ました。お怪我はいかがですか?」

「私は大丈夫だ」

「傷口も塞がっていますね。光魔法ってのは大したもんだ」

 クルトはミハウの傷を調べて感嘆する。

「しかし、あれだけべったり血が付いていて、大丈夫なら──」クルトとマガリが頷き合うと「私は彼女が目覚めるまで、一緒に寝たい」ミハウが余計な事を言う。

 本人が心配で言っているのか、冗談で言っているのか見分けが付かない所が悩ましい。


「ちゃんと許可を取ってからですね。本人が死ななければ」

「そうだな、選ぶ権利はあるんじゃねえか」

 マガリが決めつけ、クルトは食事の支度をする為に出て行く。

「私以外の誰が居るというんだ」

 不服そうなミハウに、マガリがアストリの母親の日記を取り出して寄越した。

「結構厄介ですよ」

「お前、人様の日記を読むな」

「お許しを得ました。というか、どう対処していいか分からないと思うんです。こちらも巻き込まれますよ。知っておいた方がいいです」

 マガリはアストリの母親の日記をミハウに押し付けて聞いた。

「光魔法は大丈夫なんですね、やっぱり」

「大丈夫だと言ったろう」

 それでもやっぱり、長く言い伝えられた伝説や、それを基に書かれた書籍がもたらした定説が怖いのだ。

「アストリさんを見ておりますね。仲間が欲しいですし、ミハウ様の──」

 二ッと笑ってマガリは出て行った。


 ぐったりとベッドに横たわったミハウは日記を読む。

「あの修道院長が私に預ける訳だな。まあなるようになるさ、生きていればな」

 クルトが食事のトレーを持って来た。

「ミハウ様、体調はどうですか」

「アストリのお陰で回復が早い。だがここは早いとこ引き払った方がいいな。明け方出るか」

「分かりました。準備をしておきます」


 元々出て行く予定だったので、さっさと出発するのはやぶさかではない。

 そうして彼らが出発したあとには、廃教会堂は裏の野菜畑を除けば、元の荒れ果てた廃教会堂が残るだけだった。



  ◇◇


 アストリが気付くと、ゆらゆらと揺れる船の上だった。

「どうして……」

 初めはぼんやりと空を見ていた。何か白いものが舞っている。


「雪……」だと気付いた。誰かが側に居る。ずっと近くに。毛布の上から肩を抱いて、見上げると優し気な顔、青い瞳と目が合った。

「ミハウ先生……」

 そしていきなりガバリと起き上がり、アストリは傷を確かめた。

「先生、お怪我は!」

「積極的なのは歓迎だが、怪我はもう治っている」

「せっきょ……く?」

 アストリは怪訝な顔をしてミハウを見る。それからミハウの身体に乗り上がって、腕を掴んで服を剥がそうとしている自分の体勢に気付いた。

「きゃああ!」

 真っ赤な顔をしてミハウの上から飛び退いた。毛布が一緒に引っ張られて、川船がグラリと揺れる。

「ひっ」

 またしても彼にしがみ付いた。


 ミハウの手が伸びてアストリを抱き寄せる。

「元気そうで何よりだ」

 ついでに毛布も引き寄せて、二人で一つの毛布にくるまっていた事に気付く。いいのだろうか、うら若い男女がこんな格好で、と思えば顔が真っ赤に染まる。


「ミハウ様。掃除も終わりましたし、雪が降ってきましたんで船室にお入りください」

 クルトが船の真ん中にある船室のドアを開けて呼びかける。

「分かった」

 ミハウはアストリを抱き上げて船室に運び入れる。



 あれはいつだったか、修道院の老爺に連れられて、小さな川船でサンブル川を遡り廃教会に来たのは。不安と、恐れと、頑張らなくてはという気持ちとで会った預かり先の住人は得体の知れない人物だった。


 今、目の前にミハウの顔がある。前髪は下ろしていなくて、その整った顔を晒している。思っていたよりも若いような、まだ大人になりきっていない青年だ。女神の顔に似ていると思ったのは細面の優しげな顔の所為か、いつも赤い唇の色が薄くて怪我の所為かと青くなる。


「ごめんなさい。迷惑ばかりかけて、こんなに良くして下さっているのに、私は何にも出来なくて──」

「私たちが悲しむと思わなかったか」

「でも、先生」

 あの廃教会堂を出て、どこかに預けられるのではないのか。もう側に居れないのではないのか。母の日記も父親が誰かも何もかも遠くて、こんな親不孝者だから、離れなきゃいけないのか。だから死のうとしたのか。それも自分のエゴで。


(私は汚い──)

 身も心も穢れて汚いのだ。もう側に居られなくなっても、放り出されても不思議ではないのだ。


 唇を噛んで俯くアストリに、ミハウは何気ないように告げる。

「君に話さなければいけない事がある。かなり長いから、船旅の徒然に聞いてくれると嬉しい」

「はい」

 それは聞いてくれると嬉しいというような生易しい話ではなかった。

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