15 祖父レオミュール侯爵


 アストリの母親はレオミュール侯爵家長女のルイーズだ。妹も弟も育たずルイーズが王太子と婚約して、レオミュール侯爵は近縁から養子をとっている。


 辺境伯から、祖父がアストリに会いたいと言っていると連絡が来たのだ。

「どうしてでしょう」

「彼も納得がいかないのだろう」

「どうすればいいのでしょう」

 グレーの熱がない筈の瞳が水のように揺れる。

「多分、彼はアストリを王都に連れて帰りたいんだろう。そして舞台を作りたいんだ、あの時の再現がしたいんだろう」

「私は母の身代わりですか」

「そして、今度こそ幸せにしたいんだ」

 誰の為に──、何の為に──。その言葉は心の中で消える。

 アストリにとってそれはどうでもいい事なのだ。



 デュラック辺境伯領都シャラントでホテルに泊まり、翌日祖父に会いに行くことになる。だが祖父レオミュール侯爵はホテルにアストリを見に来ていた。


 毛足の長いふかふかの帽子を被り、白い銀ぎつねの毛皮のコートに毛皮のマフに片手を入れた少女が馬車から降りて来る。真っ直ぐの銀の髪を編みこんで真ん中に垂らして青いリボンで飾り、毛先はカールさせている。

 女性姿のミハウに寄り添い見上げるグレーの瞳。何かを話しかけるミハウに小首を傾げて答える様は、死んだといわれる娘ルイーズに瓜二つだった。



  ◇◇


 翌日、辺境伯邸に行く。今の辺境伯エドマンド・デュラックは三十代の男盛りで、三人の子供を持つ筋骨たくましい男だ。彼はアストリの母ルイーズより少し年上で、当時、すでに結婚して辺境で父親を支えて戦っていた。

 先代の辺境伯はアストリの祖父レオミュール侯爵と懇意であったが、彼は西部の帝国との戦闘の際に、命を落としている。辺境伯家にとってもレオミュール侯爵にとっても遺恨の残る戦であった。



 辺境伯邸で会った侯爵は銀髪にグレーの瞳をしていた。アストリとも母親とも似ているのだろう。佇まいからして祖父と血が繋がっていると連想させる。


 彼はそれでも確かめたいのだろう、事務的な口調で切り出した。

「何か娘の、ルイーズの形見のような物はあるだろうか」

 アストリはミハウを見上げる。あの日記は──。

 だがミハウは「見せてあげなさい」と言うのだ。アストリは唇をきゅっと引き結んだが、母親の日記を取り出して鍵を外す。その様子を侯爵はじっと見つめる。

「あの、先に申し上げてよろしいでしょうか」

 ここに書いてある恐ろしいことを、いきなり目にしてよいのだろうか。

「待ってくれ。先入観の無いよう、先にひとりで読みたい」

「はい」

 彼は日記を受け取ると書斎に入って行った。



 書斎から出て来たレオミュール侯爵は目の縁を赤く染めていた。

 母の死を悼んでくれる人がいる。それなのに彼はアストリを罪の子と罵ったり、睨みつけたりしないのだ。とても不思議だ。この感情は何だろう。


 アストリに日記を返してから話し合いになった。アストリの身柄をどうするかである。侯爵は養女にするという。すぐには出来ないから男爵家の養女にして迎えるという。そして遠縁の子息を養子に迎えて侯爵家の跡継ぎにするというのだ。

「侯爵家にはすでに立派な跡継ぎがいるし、それはどうなのか」

 デュラック辺境伯が懸念を示したが「構わん」とにべもない。


 ミハウはアストリの隣に座って、その様子を見ていた。

(アストリを手放したくないし、魔窟に放り込みたくない。それにもう手遅れなのだ。アストリは、こちら側になったのだから)

 そう思って隣を見ると、何もかも諦めたような横顔が目に入った。


(私は母の復讐をしたいとは思っていない。何も知りたいとも思っていない。こんな私だから、神はいつまでも試練を与え続けるのだろうか)



  ◇◇


 ミハウはアストリと話をしなければならなかった。

「すみませんがまだ伝えていない事もございますので、一日の猶予を頂きたい」

 すぐにでもアストリを領地に連れ帰りそうなレオミュール侯爵を宥めて、翌日の出発をもぎ取った。

 侯爵は難色を示すが「性急すぎてもいかん」辺境伯の取り成しで「分かった」と渋々引き下がる。


「それと侍女に慣れた者を──」ミハウが提案すると「侍女は我々が手配する。それに懐いた者がいれば、我々に懐かないのでは?」

 侯爵は今度こそ断った。得体の知れないミハウに猜疑心を抱いている。アストリが懐いているから余計にだ。女装をしていなかったら、すぐにでも引き離されたことだろう。



  ◇◇


 少し気まずい晩餐の後、ミハウと二人部屋で話す。

「君の目で見て考えて。彼らがどんな奴らか、どんなことをしたのか。私は本当は君を魔獣の中に放り込みたくないのだが、君は私よりまともだから君の結末を付けたらいい」

「先生は私がどんな事をしても嫌いにならない?」

 それだけが不安だ。


 側に居て欲しい。それはアストリが保護者が必要な子供だから。

(私も先生の隣に立てるような大人にならなければ──)


「もちろん。君が呼んだら、呼ばなくても全力で助けるよ」

「本当に?」

「本当だ。これを──」

 彼が出したのはダンスを踊った時に出した魔獣だった。アストリの手を取ってその上に魔獣を乗せる。少し羽ばたいて落ち着くと、魔獣はひとつの大きな目できょとりと見上げる。

「名前を付けて」

「先生のは?」

「私も持っている」

 ミハウの影から似たような魔獣が飛び出して肩にとまる。アストリは驚いて少し頬を緩めた。それから少し考えて「ミアちゃん」と首を傾げる。魔獣は一声『ぴや』と鳴いてアストリの影に入った。

「ミアか、そうか。いい名前だ」

 ミハウがニヤリと笑う。

 銀の髪が揺れてグレーの瞳がミハウを見上げる。ミハウの肩に乗った魔獣も『ぴよ』と鳴いて影に入る。


「怖いんです、先生。でも、知った方がいいんですね」

「そうだな、学校に行ってみるのはいいと思う。しかし、この国でなくてもいいとは思っている。彼らは何をするか分からない。私は君を守りたい、だが存在は知られたくはない」

「気を付けます」

「君は無鉄砲になるからね、くれぐれも気を付けてくれ」

「う、はい」

「まあ、潮時だと思ったら無理やり連れて帰る」

「はい」


「ああ、それでだね、光魔法で認識阻害が出来る筈なんだ」

「ええと、我が姿を晦ませよ『イニビション』」

「そうそう、何かあったらそれで逃げるといい。あと輝く『ブリエ』とか閃光の『エクレール』も使える」

「はい」

「ああ、心配だ」

 ミハウはアストリを抱きしめる。

「側に居れないけれどいつも見守っているよ」


 アストリは「頑張ります」と返事をしたけれど、何をどう頑張ればいいのか分からない。流されるだけなのか。学校で何かが見つかるだろうか。

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