16 王都へ


 翌日、アストリはミハウたちと別れ、祖父と一緒に彼の領地に向かった。

 レオミュール侯爵家のカントリーハウスは、お城のような立派な屋敷だった。


「我がレオミュール侯爵家は、大昔この地に流れて来た北方の一族を家祖とする。以来、この地に根を下ろしずっと知行して来た、由緒正しき家柄だ」


 馬車で門柱を越えてしばらく走ると屋根のある門戸に到着する。内部は石畳の中庭になっていて、そのまま入場すると護衛や警備の兵士や使用人たちがずらりと並んで出迎える。


 屋敷の中に入ると、広いエントランスホールには壁に沿って曲がって下りる広い階段があり、階段の壁は美しい絵と彫刻が天井まで施され、今にも貴婦人がゆっくりと降りて来そうな雰囲気だった。

 アストリは見知らぬ王国に来たような気がした。しかし今、隣に縋る相手はいない。気の置けない召使もいない。

 自分で見て、自分で考えて──。不安ばかりが押し寄せる。


 アストリに仕える侍女と護衛がぞろぞろと紹介される。誰も同じ顔に見えて覚えるのを諦めた。

 祖父の許で暮らし始めたが、使用人たちはよく躾けられていて決してアストリを侮ることはない。そしてすぐに優れた教師陣が宛がわれたが、鞭も指示棒も持ち出さず根気よく丁寧に教えてくれる。

 祖父は、しばらく領地で暮らしてアストリの勉強の進捗状況を見て、王都の貴族学校に入学することになるという。

 その間に侯爵は粛々とアストリを取り巻きの男爵家の養女にする手続きをした。


「あのクレンツ伯爵夫人は優秀だな。君は何処に出しても恥ずかしくないレディだと教師たちに太鼓判を貰った」

「ありがとうございます」

「来週、王都に向けて出発する」

「はい」



  ◇◇


 王都の侯爵家の本邸も城のように立派な建物だった。カントリーハウスと同じようにずらりと召使たちが出迎える。

 エントランスホールに男がいた。

「義父上、今までどちらに」と出迎えた男は、三十過ぎで茶色の髪をしている。祖父の後に続いたアストリを見て目を見開いた。


「養子のマティアスだ」と、侯爵が紹介する。辺境伯の所で聞いた跡継ぎとなる養子にあたる人物だろうか。祖父と一緒にここに来るまで、彼の話はしなかったので忘れるともなく忘れていた。


 領地レオミュールに居た時、祖父はマティアスにアストリの事を知らせていないようだった。

「ルイーズの娘アストリだ。私の養子に引き取った。今日から我が家で暮らす」

 侯爵に何の連絡も相談も受けていなかったマティアスは、突然の話に驚いて、段々とその顔を怒りに赤く染めていく。


「そんな事、私に何の相談もなく。本当にあの女の子供なのですか? 怪しい人間に騙されているのではありませんか?」

「ルイーズの日記を見た」

「本物かどうか──」

「この娘は四属性持ちで、すでに光魔法の素養もある。優秀な上に魔力も多いのだ。私が保護して学校に通よわせる」

 祖父は有無を言わせぬ態度で言い切ると、マティアスに背を向け執務室に向かった。

「お嬢様はこちらに」

 侍女が頭を下げて案内する。アストリはチラリと男を見たが、怒りで顔を真っ赤に染めている。そっと顔を戻して、侍女らの方に向かった。


「くそう、ジジイめ耄碌したか」

 低い声で罵る言葉が聞こえた。



(母の日記に出て来なかった人物がいる。私を睨んでいる。この人はどうして私を殺したそうな目で睨むのかしら)


 弟妹は夭逝して、母はひとりっ子だった。王太子と婚約して、侯爵は近縁の家から養子を取っていた。マティアス・レオミュール、茶色の髪に茶色の瞳の男だ。

 すでに結婚して妻子がある。彼は侯爵の持つ爵位の一つユイ伯爵を貰い、王宮に文官として勤めていた。現在、侯爵家の別宅に住んでいる。


 レオミュール侯爵はまだ彼に候爵位を譲っていない。普通爵位は死ぬまでその人のものだ。生きている内に譲る人は少ない、というか滅多にいない。

 彼は何故侯爵に対して、そんな不敬な事を言うのだろう。



  ◇◇


「お嬢様、天気が良いので、お庭にお茶のご用意がしてございます」

 侍女に呼ばれてその後に従った。侯爵家には蔵書が多くて、アストリは魔法の本を見つけて図書室で読んでいる。

 王都の貴族学校には、普通の授業の他に騎士や魔法学、領地経営などのコースがあって、基本の学問の他に自分の目的に合ったコースを選べるようになっている。

 受験には受かって後は入学を待つばかりであった。



 ガゼボに案内されて、侍女にお茶とお菓子を供される。

 黙ってお茶を頂く。熱いのでゆっくりと一口ずつ飲んだ。急に何とも言えない気分の悪さを感じる。胸が苦しくなって、何かがせり上がって来た。

「ん、ぐっ!」

 口を押えるが戻してしまう。口を押えた手が赤く染まった。

「がっ、はっ」

 手から零れ落ちた血が散った。散って、少し離れて様子を窺っていた侍女に襲い掛かった。アストリは椅子から滑り落ちながら、スローモーションのように血が侍女に襲い掛かるのを見ていた。

「ぎゃあああ!」

 侍女の口から鼻から耳から目から血が迸った。

 その様子をアストリは苦しみながら見ている。侍女が血を吐いて、藻掻いて痙攣して、死んでいくのを──。

 こうやって死んでいくのかと思う。すぐに侍女は動かなくなった。

 その頃になって、護衛やいつもの侍女が駆け付けて来た。

「アストリ様!」

「大事ないですか」

 アストリはハンカチで口を押さえた。手の血はすでに乾いている。



 ミハウの話はなかなか信じられなかった。不死とか不老とか直ぐに信じられるものではない。異形になった訳ではない、姿も形も思考もそのままだ。ミハウがそうだと言うのも、自分が仲間だというのも、今まで信じられなかった。


 なるほど、とアストリは思った。実際にはっきりと自分の目で見た。

(本当に仲間なんだわ──)

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