35 指輪と日記の鍵


 リュクサンブール城の廟で祈りをささげた後、これからどうするかを話し合う為、城の一室に集まった。

「考えてみれば私たちは恵まれていたんですねえ」

 のんびり応接セットのソファに座ってお茶を喫して一服した時、マガリが新しい仲間のセヴェリンとジャンを見やって言う。

 二人は借りてきた猫のように大人しく部屋の隅にお茶のカップを手に蹲っている。ソファに座れと言っても首を横に振って辞退した。


「そうだな」とクルトも相槌を打つ。

「俺らミハウ様に寄生してずいぶん楽だった」

 するとミハウが違うという。

「私はひとりでは城で死んでいたか、闇に閉ざされていただろう。見るもの全てを恨んだかもしれない。側に居て普通に喋ってくれるだけでどれだけ救われたか」

「そうですね、ミハウ様なら魔王になれますね」

 マガリがとんでもない太鼓判を押す。

 そんな話を聞いてアストリも心の中で頷いている。


 生まれ育った修道院がアストリの全てだった。小さな世界で息を潜めて生きていた。いきなり修道院を出て行くことになって、不安で一杯だった。町の景色も川の色も覚えていない。春だったのにどんな花が咲いていたかも覚えていない。


 そしてミハウに会った。顔を隠して神官でもないのに司祭服を着た得体の知れない人間。それが第一印象だった。いや、今でも得体の知れない男である。

 マガリが魔王だと言ったが、魔力が多いと言われるアストリを軽く凌駕するミハウの魔力を思うと、物語でしか読んだことのない魔王がいるとすればこんな感じだろうかと思う。しかしミハウは世界を滅ぼそうともしないし悪辣残虐でもなさそうだ。何より軽やかであった。


(何だか凄い人と結婚しちゃったんだ)

 自分がこの男と結婚したことがまだ信じられない。どさくさに紛れてという表現がぴったりくる。それでもミハウ以外にいないと思う。

(私は恵まれていたんだわ。お母さん、守ってくれてありがとう)

 アストリは胸に下げた母の日記の鍵と指輪を通したペンダントに触れる。


 それをチラリと見たマガリが聞いて来た。

「私思うんですけどね、アストリ様」

「はい」

「その日記の鍵ですけど、もしかして、もしかするんじゃないですか」

「え……?」

「廉価本を読むと、恋人同士は何かを交換することが多いんでございますよ。特に暫らく離れるとかいう時にですね──」

「まあ!」

 アストリは手に持っていた指輪と鍵を見る。この指輪は母が贈ったもの。もしかしてこの鍵、もしくはペンダントは──。


「その線は考えられるか。だが、誰に聞けばいいんだ?」

「生き残りといえばシリルだけだが」

「そうか、聞いてみようか」

「はい」


 エドガールが付き添ってくれて、アストリとミハウと三人で辺境伯を探した。城の中はデュラック辺境伯の兵とネウストリア王国の国王軍の将兵が忙しそうに行き来している。

 ゼムガレン帝国を撃退したとはいえ、執念深い彼の国はまた派兵して来るかもしれない。近隣諸国と同盟を結んでいるし、帝国内部でも揉めているから、すぐにとはいかないかもしれないが。


 辺境伯は大広間でテーブルの上に地図やら書類やらを広げ、重臣やネウストリア王国軍の将兵と次々に来る伝令を相手に忙しそうに戦後処理をしている。

 その中にまだ少年のシリルが、辺境伯の側で手伝ったり宰相や家令らしき年長の者たちと話していた。


 辺境伯に断って、シリルを部屋の隅に招いて、ペンダントを取り出して聞いてみる。

「母が持っていたペンダントなのですけれど、こういうものをご存知ありませんか」と、シリルに見せると頷いて、鍵の持ち手の部分を捻ってみせた。

「こういう風にすると開くようになっています」装飾してある部分が真横に開いて、中に何かをかたどった図柄が現れる。

「これはリュクサンブール家の守護獣の紋章です」

「白い狼……」

「はい。僕も持っています。十歳まで育ったらお祝いに作るんです」

 シリルはアストリにペンダントを返しながら聞く。

「どうしてこれを?」

「母の護衛をディミトリ様にお願いした時がございました。短い間でしたけれど。母の形見です」

「じゃあこれは伯父のでしょうね」

「そうなんですね」

(お母さん……)

 アストリには言葉が出ない。



「あなたと私は血が繋がっているのですね、きっと」

 シリルがじっと女物の指輪の通ったペンダントを見る。

「あなたを姉のように思っていいでしょうか」

「もちろんです。嬉しいわ。私に弟が出来たわ」

「アストリの弟なら私にとっても弟だ。ヨロシクね」

「よろしくお願いします。お姉さん、お義兄さん」

 シリルには母方の親戚もいるし、リュクサンブールの一族郎党がいる。その小さな肩には大きな責任がかかっている。出来るだけ支えたいと思うが、アストリたちは部外者でもあった。

「何かあったら相談して欲しい。頼って欲しい」

「はい、ありがとうございます」

 力強く頷いたシリルに笑顔を向けて暇を告げる。



  ◇◇


 アストリたち七人は、ブルトン男爵夫人の屋敷に集まる事にした。顔見せの意味もあるし、ミハウは思う所もあったのだ。

 ブルトン男爵邸に着くと夫人はミハウに手紙を差し出した。手紙はミハウのノヴァーク王国にある領地の家令クラウゼからであった。

 ミハウは手紙を開く。ノヴァーク語で書かれた手紙を見て溜め息を吐いた。

「どうしました?」

 物問いたげなアストリの代わりにブルトン夫人が聞く。

「遊んでいられなくなった」そう答えてミハウは肩を竦めた。

「先にマリーの様子を見ようか」

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