02 教会で出会った者


 アストリは十二歳にしては痩せて小柄な少女だった。銀の髪を三つ編みにして二つに分けて背に垂らしている。瞳はグレーで薄い色の唇といい、洗いざらして元の色も分からない着古した服といい、色味のない子供だった。


「ミハウさん。私は何をしたらいいのでしょうか」

 言葉は、はきはきと話す。いつも仕事を言い使っているので、ここでも働かなければいけないと思っている。

「好きにすればいいよ。君に何から教えるか、今考えているから」

「そうなんですか」


 アストリは考えた。この何者か分からない人間は自分に何かを教えてくれる者だという。ならば先生と呼んだらいいのではないだろうか。

 教えてくれるまで、自分のできる事をすればいい。


 アストリは教会の内部を見回した。ここは聖堂だ。礼拝に訪れた人々が座る長椅子が両側に並び、正面に祭壇がある。祭壇には燭台が二本。その向こうのステンドグラスの高い窓の上にバラ窓。天井に向かって柱が伸び箒のように広がって天辺で収束する。アーチ状の柱の向こうの側廊には奥に通じるドアが見える。

 何かが足りない。


「ここには聖サウレ様の像がありません」

「ああ、ここはヴィア会派だからな」

「はい?」

「神の御前で人はみな平等だという教えだ」

「はあ……」

 アストリの理解が及ばない様子を無視して「こっちだ」と、ミハウは教会堂の奥にあるドアに向かう。慌ててアストリは追いかけた。


 ドアの向こうは回廊になっていて中庭がある。見慣れた修道院と同じ作りだ。ここは大分小型だけれど。ぐるりと回ると向こう側は住居のようだった。二階建てで下は食堂、炊事場、継ぎ足したような広い居間と客間らしきドアがある。ミハウは二階に案内する。


「こっちがアストリの部屋だ。私の部屋は向かいだから何かあれば呼んでくれ」

「はい、分かりました」

「明日から下働きの夫婦が来る。それ以外は基本誰も来ないからそのつもりで」

「はい」

「じゃあ疲れただろう、今日はもうお休み」

「はい、お休みなさい」

 ミハウの出て行ったドアをアストリはしばらくぼんやりと眺めた。


 賑やかだった孤児院、忙しかった修道院、突然の旅。それらが終わって、ひとりになった。突然放り出された戸惑いと寂しさ、明日からの生活への不安。

 ひとりの部屋を見渡す。机と椅子、ベッドとワードローブ。長椅子と小さなテーブル。窓辺にはカーテン。カーテンを閉めようとして足が止まる。窓ガラスに細い小さな少女が影のように揺らめいて映っていた。



  ◇◇


 アストリの生まれた聖サウレ修道院からブルトン男爵領まで馬車で四日。その後川船に乗って、ブルトン男爵領にあるサンブル川を山に向かって遡って行くと大きな森がある。辺境まで続くこの森はルナエの森という。森の中を流れるサンブル川を更に遡ると小さな集落があって教会堂がある。サンブル教会堂という。


 ミハウはこの教会の司祭という訳ではない。教会はとっくに廃教会になっていて、彼はここに滞在しているだけだ。麓の集落の者たちは丘を越えたスードル村の教会に行く。余程の事が無いとこの教会には来ない。



 アストリはミハウの許で勉強をすることになった。それでアストリはこの人物をミハウ先生と呼ぶ事にした。

 この廃教会堂には昼間だけ下働きの夫婦が来る。

「クルトとマガリだ」

 ミハウに紹介された彼らは、四十半ばの純朴そうな夫婦だった。

「アストリです。よろしくお願いします」

 ミハウがここに来て雇った麓の村の住人だという。彼らは昼前に来て簡単な昼食を作り、教会堂の掃除や洗濯、修理。食料や備品の買い出しなどの雑用をして、夕飯の用意をして帰る。日曜日は休みだ。



 アストリは朝起きて水汲みをする。井戸は家の外にある。その後、聖堂の掃除をし、朝の礼拝を済ませて、ミハウが朝食をとらないので、クルトとマガリが前日に用意してくれたパンとミルクに果物かサラダ、チーズで簡単に済ませる。


 畑で野菜や薬草の世話をして薬を作るか、掃除をするか、ミハウが渡してくれた本で勉強するか、アストリに出来る事はそんなに多くない。

 その内クルトとマガリが来て賑やかになる頃ミハウが起きて来る。


「おはよ……」

 ぐしゃぐしゃの頭を掻きながら男か女か分からない者が言う。食卓の椅子にどさりと座り「お茶……」と掠れた声が続く。食卓にはクルトがスードル村から持って来た何日か遅れの新聞が置いてあって、それを取ってバサリと開く。


「ミハウ先生。おはようございます」

 お湯を沸かせてお茶を入れると、熱いのが苦手なミハウはミルクをドパリと入れてこくりと飲んで「はー」と息を吐く。下働きのマガリが持って来たアーモンド入りのビスケットをお茶請けに出して、向かいでアストリもお茶を頂く。


 最初にお茶を入れた時、アストリも一緒にとミハウが言ったのだ。もちろんミルクもたっぷりで、ついでに蜂蜜も垂らしていいと。

 こくりと飲んで息を吐き出す。

「はー」

 スライスして焼いたビスケットが口の中でカリコリと砕けてお茶と一緒に溶ける。アストリが「美味しい」と目を猫のように細めていると、ミハウが「ワイン」とマガリに強請って「ここまでしばらくかかりますよ」と断られている。

 ここにはワインがあったけれど別のワインだろうか。



 修道院では厳しく躾けられ、勉強に奉仕に仕事に、自由な時間など無かった。

 今、この廃教会堂で男か女か分からない者と二人、時間を持て余している。何をすればいいのか、自分は何をしたいのか。アストリは相手の世話をしつつ自分に出来る事を探す毎日だ。


 初めは戸惑った。ミハウは「暫らく好きにしていい」と言ってアストリを放置したのだ。

 アストリは修道院で追い使われた経験をそのままこの教会堂でも実践した。教会堂の庭にも畑があって薬草が生えている。回復薬や熱さまし、毒消し、傷薬に胃腸薬、湿布薬も習った。修道院には沢山の薬草が栽培されていて薬作りは基本であった。付属の病院があるし、修道院でも薬を売る。


 お茶の入れ方も包丁の持ち方も知っている。読み書きも刺繍の仕方も楽器の扱い方も習った。十二で出たので、まだ習い途中であるが。


「アストリは侍女見習いくらいなら出来るね」

 ミハウが保証してくれる。

「ありがとうございます」

 じっとアストリを見て、髪が覆いかぶさっているので表情は見えないが、呟く。

「あとはご令嬢としてのマナーだな」

「はい?」

 ミハウがおかしなことを言う。聞き間違いかとその顔を見るが、赤い唇がニヤリと口角を上げて笑っているように見えるだけだ。

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