03 魔法のお稽古
アストリの勉強は魔法から始まった。ミハウは聖堂にアストリを連れて行って結界を張る。
「手を組んでその中に魔力を込める。君の魔力は多いからほんの少しでいい」
アストリが手を組むと、ミハウは組んだ手の上に自分の手を乗せる。
「少しでいい、君の手の中に納まるくらいだ」
手の中に少し──。
「手は見なくていい。感じるんだ」
「……っ」
手から何かが吸い込まれるように流れて出て行く。ミハウの手に。それを追いかけるように何かが身体の中から手に向かう。
「よし、それくらいでいい」
流れが止められた。手の中に小さくモヤモヤとする何かが残った。蠢いて出口を探している。
「よし、まず火魔法の練習をしようか」
「はい」
ミハウはロウソクを取り出した。
「火を点けて」
「はい。火よ灯れ『アリュメール』」
短い呪文とともにロウソクにボンと火が点く。
「よし、ではあのロウソクに火を点けて」
ミハウが天井から下がった丸い輪っかのシャンデリアを指す。無骨なドーナツ型の金属の板には突起が出ていてロウソクが何本も立てられている。
「一つずつ、全部に火を点けるんだ」
「はい」
アストリは慎重に一本ずつロウソクを灯していった。
「慣れたら一度で点けるように。それが出来たら天上の蝋燭全部を一度で点けられるように」
「は、はい」
聖堂の天井から二重三重になった丸い輪っかのロウソク立てが、シャンデリアのようにぶら下がっている。真ん中と四隅合わせて五つ。そのロウソク立てには沢山ロウソクが立ててあって、それに火をつけるのがアストリの火魔法の訓練だ。
毎日全部の蝋燭に火を点ける。
始めはひとつずつ灯す。火事にならないように慎重に点ける。毎日点けていると次第に早くなって、ふた月も経つと一度に全てに点けることが出来るようになった。
「全ての火よ灯れ『アリュメールトゥト』」
アストリの詠唱で、聖堂のすべての蝋燭に火が灯る。
「わーい、出来ました!」
「よし」
ロウソクの火を消すのは風魔法だ。これも同じように最後は一度に消す。
「風よ火を吹き消して『スフル』」
「強い。火事になるぞ」
「はいっっ!」
一度に点けて一度に消す。それが出来る頃には秋になっていた。
水魔法は畑の水やりで使う。
「優しくまんべんなく、美味しく育って『アロゼ』」と念じながら。
土魔法は畑の土を耕す。
「ほこほこの土になって『キュルティヴェ』」
枯れた枝をこの前クルトが切って冬の焚き木用に集めていた。長年雑木林に積もった枯葉は腐葉土になっている。きっといい堆肥になる。枯れ枝が無くなって丁度良いと、アストリは箒を持って雑木林に入った。
箒で枯葉を掃き集めていると、切って鋭くなった枝にスカートが引っかかった。べりっと音がして後ろを見るとスカートが見事に裂けている。
「あーあ」
修道院で貰ったお古は、生地が薄くなって元の模様も分からない程着古されたものだった。アストリはこのサンブル廃教会堂に来てから、背が伸びて細かった体にも肉が付いた。あと一度繕ったらもう駄目かもしれない。
その様子を通りがかったクルトが見ていた。
「ここに端切れや布地があったと思うのですけど」
マガリがアストリの部屋に来て聞く。ワードローブの中に、布とリネンや、裁縫道具と刺繍道具が入っていた。
「あ、刺繍をしてしまいました」
「ああ、刺繍道具もありましたか」
「こちらです」
アストリが長椅子の上に畳んだ布を差し出す。
「まあ綺麗に出来ていますよ。でもどうしましょう」
「すみません」
「いえ良いんですよ、これはこれで売り物になりますし」
「はい」
アストリは修道院で刺繍を習っていて、手が空いた時に刺繍を刺した。出来上がった物は修道女が回収してどこかに持って行ったので、修道院で使うかバザーにでも出すのだろうぐらいにしか思っていない。引き取ってもらえるのなら役に立ったのだろうぐらいにしか考えていない。
◇◇
翌日は雨になった。アストリは居間の窓辺で、畑で枝に引っかかって裂けたスカートを繕っていた。銀の真っ直ぐな髪を二つに分けて三つ編みにして下げ、グレーの瞳が一心に縫い目を追っている。
ソファに座って本を読んでいたミハウが聞く。
「アストリは幾つになった?」
「十三歳です」
「誕生日は?」
「十日前です」
ここに来てから半年が過ぎた。もうすぐ冬だ。
「そうか、お祝いをしよう、何か欲しいものは無いか?」
アストリは首を横に振る。
「私が生まれて母が死にました。それで祝って貰えないと言われました。私は罪深い人間なのだそうです」
ミハウは唖然としてアストリを見る。アストリの銀の髪、グレーの瞳は淡々として何の色も浮かべない。
「今ここで、とてもよくして頂いて申し訳ないと思っているのです。思っているのですけど、嬉しくて、楽しくて……」
淡いピンクの唇が心持ち強張る。
「私はこんなに良くしてもらって、幸せでいいのでしょうか」
少し不安そうな瞳の色になる。
「いいんだ、もっと幸せになってもいい」
「そうなのでしょうか」
ミハウの断言に不安そうな顔のままで首を傾ける。
翌日になって、マガリがスードル村の古着屋で買った古着を持って来た。
「アストリさんに合うように縫い直しましょうね」
そう言ってワンピースやチュニックを合わせた。古着といってもそれは綺麗であったが、若い娘が着るようなレースやフリルの付いた服ではなく、地味な濃い緑や紺の丁度マガリが着ても良さそうな服であった。
「随分地味な服だな、マガリ」
そう思ったミハウの代わりにクルトが聞く。
「ここらは貧しいですからね。それに子供がいると思われてもいけませんし」と、どちらへともなく答えたマガリにクルトが「そうだな」と頷く。
「成長期ですからね、縫い上げにしときましょうね」
「ありがとうございます」
「この辺は寒くなるからな。防寒着もいるか」
ミハウが横から口を出す。
「街の方まで行ってみますか」
「いや、私が行こう。少し話もあるし」
何処に行くのかミハウは頷いて、部屋に戻って旅の準備を始める。
クルトとマガリに後を頼んで、ミハウはそれから二日後に旅立った。いつもの司祭平服にローブを羽織って出かけた。アストリはミハウが居なくなって身体が少し寒くなったように感じて、自分の腕を撫で摩った。
「ミハウ先生は、いつ頃帰って来られるのでしょうか」
この教会堂に来てミハウが居ないのは初めての事だ。
「半月くらいかかるんじゃございませんか」
「そうなのですね」
不安そうなアストリの頭をポンポンと撫でて「大丈夫ですよ」とマガリが言う。
「暫らく私たちがこちらに居ますからね」
教会堂の住居の方は広い。部屋が幾つもあった。その部屋の一つに泊るという。彼らの間に時々何となく見えない絆のようなものを感じる。どうして一緒に住まないのだろうとアストリは思う。彼らに聞くことはしなかったが。
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