第2話 私の願い

コツン コツン コツン



 よく磨かれた大理石の床を歩いて行く。

 思い切って部屋を出たは良いものの、執事やメイドが私を連れ戻すため後を追ってきている。先刻はなんとか曲がり角を利用して振り切ってきた。


 フォール王国の王城はただの城ではなく、内部の構造が枝分かれするように複雑になっている。

 王女の立場ゆえ、王城内は基本どこでも行き来が自由である。これでも彼らよりは城の構造は熟知しているのだ。

 誰にも見つからない場所に隠れることだってできる。


 だが、イララはそんなことをしたくはなかった。

 私は王女で個人のわがままを永久通せるとも思ってはいない。それに父様には「弟がいる」と言った手前、私が死ぬか、いなくなれば国内の勢力が大きく傾く。


 王家の血筋の者は皆若くして亡くなる。公爵家から婿や嫁を貰うことはあっても、逆はないのだ。

 王位継承権は私か、弟だけにある。

 

 私がいなくなれば、継承権をもつ人間は弟ただ一人となり確実に王家の力は衰え、その座を狙う貴族共の傀儡になる。

 私は死ねない。まだ未熟な弟と後が短い父様を見捨てては。


 じゃあ、どうすればいいの?

 結局私は我慢をし続けて、世継ぎをつくった後も死ぬまで王妃をやらなければいけない?


 何度己の心に打ち付けても、同じ解答しか返ってこない。

 

 嫌だ。

 逃げたい。

 心から好きな人と生きたい。

 外交なんてものの上辺だけじゃない、自分の足で外に行って世界を見てみたい。


「私は・・・・・・」


 イララは走っていた。

 王家に産まれた以上、王女の立場を全うしなければいけない。それは窮屈だ。

 私をがんじがらめに縛る立場から逃げるために。


 どこに行くわけでもない。私は王城を出ようとただ走っている。

 外の世界に出ても知り合いはいない。伝手もない。 おまけに今まで学んだことといえば王妃教育だけしかない。

 こんな女が一人で行きていけるわけない。


「それでも私は・・・・・・!」


 走り続けている内、次第に床の材質が変わっていく。

 大理石から木。

 木から真紅のカーペット。

 真紅のカーペットから苔の付いたタイル。


 大回廊へ差し掛かったところで微かに耳に入っていたメイドや執事の声もついに聞こえなくなっていた。

 そして気がついた頃には茫然自失、私は誰もいない中庭に行き着いていた。

 驚くべきことにそこは私さえ知らない場所であった。


「ここは・・・・・・どこ?」


 古ぼけた石レンガが周りを一周囲み、光といえば天井のステンドグラスから太陽の光が射し込むばかり。

 だが金色で彩られたステンドグラスを通る光は、まさに天から振り注ぐ祝福のようだ。

 緑や黄色、赤の草花は天からの祝福を一身に受け、見事に咲き誇っている。


 私の目にはその空間だけ別世界が映っているように見えた。


 優しい光が満ちる中庭。

 私は一時、父様から逃げていることを忘れてその空間に吸い込まれて行った。


―――サクッ サクッ


 花が綺麗に弧を描き、咲き乱れているところでイララは止まる。

「・・・・・・ちょっとここで・・・・・・休憩・・・・・・」

と呟き、ゆっくりと花のベッドに座り込んだ。


―――きれいだなぁ


 私は眺めながら思う。

 王城の中にこんなにも美しい場所があるなんて知らなかった。私が知らないのだから誰もここに来ることはないだろう。

 なのでおそらく手入れもされていない。たった一つの出口を除いて、中庭を囲んでいるレンガは苔が生え、表面から風化して欠けているものもある。

 

―――それとも父様はこの場所知ってたのかしら?


 いや、それもないだろう。王妃教育が始まる一年前までは父様と一緒に王城内を歩き回っていた。

 父様はこんなに美しい場所があるのに一度も娘を連れて行かない父ではなかったはずだ。


「ならここは、長い時間の経過とともに王家の人間にすら知られなくなった場所?」



――直後、この空間に満ちている光をも覆いかぶさるほどの光が私の手元から放たれた。


「なに!?」


 イララは握っていた右手を開く。

 煌々とした光を放っていたのは今は亡き祖母の形見であった。


 菱形に模られた半透明の水晶を下げるピアス。晶体にはフォール王家の紋章でもある何十にも重なった八の字が彫られたところに緻密に銀が埋め込まれている。

 これは当時国一番だった細工職人に祖母が依頼した特注品だ。職人にも無理を言ってこだわった代物らしい。

 祖母がこのピアスの製作につきこだわった理由は

なんてことはない、この水晶が関わっている。


―――だが、今はそんな思い出話に浸っていられない。


 なぜピアスから光が?

 イララの頭はその疑問ですぐに埋め尽くされる。

 光は手で包んでもその勢いを弱めなかった。

 

 中庭の風景は勢いを強める光でいっぱいとなり、視界は白で染まっていく。

 私はその光にあてられて意識を失ってしまった。



               ♢♢♢



 数分前まで国王と王女が言い争いを繰り広げていた部屋。

 王女に出て行かれ、一人残された国王は王女を連れ戻すよう使用人に命じるも自身は部屋に残されたある箱を眺めていた。

 

 その箱には、自分が国王という位に就く前のフォール王国女王、カイリ・ユウ・フォールが生前大切にしていたピアスが入っていた。

 自分にとっての母。娘イララにとっての祖母であるカイリは、自分の国王就任の日から床についた。

 私の戴冠式を終えると祝宴には出席せず、早々に自室のベッドに横になっていたのだ。

 彼女の肉体的、精神的疲労はその頃まだ国王になったばかりの青い私には計り知れないものだった。


 それから母は老衰でベッドから出られなくなり、私は国務に追われ親子として会う機会は減っていった。


 私はカイリが孤独にならぬようせめて話し相手だけでもと思い、自分の執務が始まる前イララを頻繁にカイリの部屋に送っていた。

 王女付きのメイドから聞いた限りではとても幸せそうに毎日話していた、と。

 これはこれで合っていたことだ。


 だが、これは間違いでもあった。

 私は国王になってからというものイララと話すことが少なくなり、その相手をカイリに任せた。

 なにか大事があってからでは遅いと考えながら、私は娘に対し父としての愛情をかけてやることができなかったのだ。

 なぜあの時、娘と会う時間を無理やりにでも作ろうとしなかった?


「それも、今さら悔やんだところで無為なものなのだろうな」


 イララが王妃教育に入るとそれは加速した。

 もうイララは私を父ではなく国王として見るようになった。

 妻は若くして亡くなり、イララはどこにその愛を求めたのか。


「母上、貴女なのだろう?」


 私は窓に近づき天を仰いだ。

 母がこの不始末を天から見ているなら、私の情けなさを笑いながら悠々と答えてくれるだろう。


 私は国王になる前から側で母を・・・・・・女王を見てきた。私は焦っていた。

 母が女王を退位しなければいけなくなれば私がこの国の王となる。それがもしかすると明日になるかもしれない。

 一昼夜それだけを考え続けた。

 母のように国を支える立派な国王となれるのか、と。私は王家に産まれたことを恨んではいない、たが誇りでもなかった。

 

―――私が国を支えていかなくては、私が臣下や民を導かなくては。


 これは王家の責任だ。

 それに縋り、王家に産まれたがゆえの窮屈さを紛らわせた。それが私だ。

 だがそれが万人に適用されるとは限らない。

 イララの心内がそれで変わることはなかったのだから。


「・・・・・・結局、私は自分の思想をイララに強要していただけだったというわけか」


 国王はやるせない声で言った。




―――いいえ。ドリ、あなたは考えすぎよ。




 国王ははっとした顔で背後を振り向く。

 懐かしい声が聞こえた気がした。

 私がまだ幼いとき、あの人は私を唯一その名で呼んでくれた。


「・・・・・・考えすぎ、か。それもよく言われたな」


 国王はふっと微笑する。


 イララには思われずとも、私は常に娘の未来を考えてきた。

 イララとヒュルトが背負う国の未来が少しでも良いものであったなら、と考えてきた。


 だがそれで得たものは、イララたちを犠牲にする仮りそめの答えだった。


 空の白箱を見つめながらドリシュトは思う。


 考えすぎでいい、もう手遅れでもいい。

 それでも私はイララに謝り、残された時間を別の答えを探すための時間にしよう。

 決して国王と王女としてではなく、親子としての時間を取り戻すために。


「よしっ。そうと決まれば私もイララを探しに行くとするか!」


 母親譲りのしなやかな銀色の髪を束ね上げ、背中におろす。

 瞬間、かすかだが窓の外からの光が強まったように感じた。


 コンコンッと国王一人が残る部屋のドアが叩かれる。

「入っていいぞ」と答えるとガチャッとドアが開かれた。


「ご報告いたします、陛下・・・・・・ああ、これから探しに行こうとしておいででしたか」


 開かれたドアから現れたのは国王が一番の信頼を寄せている臣下だった。


「イララは見つかったのか?」

「はい。ですがイララ様を見つけたメイドからの報告によりますと、イララ様の隣には見知らぬ男がいたと」

「見知らぬ・・・・・・? まさか侵入者か?」

「いえ。どうやら黒髪で・・・・・・身なりからして貴族とのことです」


 黒髪? 黒髪の貴族がこの国にいた記録などない。いや、一人だけ居た。母の幼馴染が。

 だが、それはとうの昔のことでその者は故人である。ならば別の国の・・・・・・? 

 隣国の王族は黒髪で産まれてくると聞くが、フォール王国に来るなど聞いていない。

 一体誰なのか国王として出向く必要がある。


「・・・・・・陛下」

「あぁ。ちょうど私も踏ん切りがついていたところだ。そこへ案内してくれ」


 国王は臣下と共に部屋を出て行き、しばらく部屋にはドアの閉まる音だけが鳴り響いた。

 

 





 

 


 







 




 





 

 





 


 








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