第6話 彼と私のお茶会

―――ガチャッ


「おまたせしました。準備、終わりました」


 仕事の報告をするようにネクシスが入ってくる。

 カイリは大量に机上に置かれた書類に目を通す作業、イララは悠々とそれを眺めながらお菓子を楽しんでいた。


「おそ〜い!」

「遅くない。元は急に言い出したのが悪いんですよ」

「もう、ずっと紙の相手をするのはすごい退屈なんだよ」

「俺達がお茶会してる間も相手してもらうので、あんまり大差ないです」


 幼子のようにムキーッとなるカイリを横目に黒髪の青年は彼女の机にやけに分厚い本をドサドサ置いた。


「・・・・・・んー。なにこれ」

「あなたのお父上からのプレゼントです」

「また!? お父様も懲りないねぇ。あのこと本気だったんだ」


 「あのこと」がなんのことか分からないイララは何冊も積み重ねられた本の表紙を覗き込んだ。


「これは何ですか?」

「えーと多分、他の国の言葉とかが書かれた本じゃないかなぁ」

「あっ、ほんとだ」


 この本は私も見たことがある。本格的に王妃教育には投じられなかったが、たまに語学の勉強をするために読んでいた。それにしても積まれた量が尋常ではない。


「こんなに多くの言葉を覚えなきゃいけないんですか? 私はもっと少なかったような・・・・・・」


 イララは王妃教育の記憶を掘り起そうとして、はっとする。私の基準はあくまでも王妃になるためのものだった。


 若きカイリは苦笑した。


「わたしは何故だか王妃じゃなくて、女王になるよう国王様から推されてるからね」

「王妃になるのと女王になるのとでは必要とされる素養が違いますから。必要以上に知識を頭に叩き込まなければいけないんです」

「わたしと同じ歳でこんな量をこなした国王様にも感心しちゃうよ」


 気の抜けた顔で執務机にぐでーっと身体をのせる王女はもう一人の王女に視線を向けた。


「イララ。未来でわたしは何になってた?」

「女王です」

「あー。なら安心だねぇ・・・・・・」

「寝ないでください」


 うとうとまどろむカイリの前を鋭い言葉が横切る。慣習が特異的なグロリアはともかくとして、通常であれば女は王妃になるところ、お祖母様が女王になったワケは今まで一度も聞いたことがなかった。未来でお祖母様は女王だったが、私はなんとなく産まれた時から当たり前の事だと考えていた。

 それがお祖母様の前の国王・・・・・・カイリの父上の思惑の上だったという裏話があったとは。私の父様なら実際に会ったことがあるのだろうか、せっかく過去に来たのだから会ってみたい気持ちもある。


「ネクシス、これどこで渡されたの?」

「すぐ部屋の前です。手間が省けたとか言って、どのみち国王様は持ってくるつもりでしたよ」

「なら、仕方ないね」


 すんなりと大量の語学本から逃げることを辞め、書類で散らかった机の整理を始める。


「わたしは大人しくここで過ごすから、ネクシスとイララは二人でお茶会を楽しんでね。あと終わったら呼んで・・・・・・」

「あ・・・・・・はい。がんばって」

「また後で付き合ってあげますから、それまで真面目にやっててください」


 カイリの部屋を出たイララとネクシスは先刻ネクシスがセットしたささやかなお茶会の会場へ向かった。

 

 王城の廊下から射し込む光は強く太陽は少し西へ傾き始めていた。はたしてお祖母様は正午過ぎから勉強を初めてどれくらいの時間続けていられるだろう。

 

「・・・・・・ネクシス」

「はい?」

「お祖母様、あのまま放おっておいて大丈夫なの?」


 すると前を歩く青年は自信ありげに答える。


「・・・・・・あぁ。あの方なら大丈夫です。あんな性格してますけど案外いつもちゃんとやっているので」

「へぇ・・・・・・想像できないな・・・・・・」

「実は俺よりも努力の才がありますから」


 ネクシスの言うことはあながち間違いではない。お祖母様は女王になることをとうに受け入れ、それから逃げるようなことをしていなかった。あくまでも嫌そうにはしているが。

 何故国王様がお祖母様に女王になるよう言っているのか。本人は気づいていないみたいだが、国王様は最初から自分の娘の素質を見抜いていたのかもしれない。


 黒髪の青年の斜め後ろについて歩くイララはふと気が付く。廊下を歩いている人間が私たち二人だけしかいないことに。溢れんばかりの陽光が充満した王城の廊下は静けさに包まれていた。王城働きのメイドはおろか大臣たちとさえすれ違わない。おそらくお昼時なので多くの奉仕人は食堂に集まって昼休憩をしているのだろうが、一人もいないのはさすがに違和感を覚える。


「・・・・・・ねぇ、これはどこに向かっているの?」


 未来で十数年と暮らしてきた家とも言える王城だが、イララにはこのルートがどこに向かうためのルートなのかまったく分からなかった。

 青年は陽光で輝く瞳をこちらにずらして答えた。


「最初に俺達が会った中庭です」


 そう答えた青年は迷うことなく角を何十と曲がり、階段の上り下りを繰り返す。王女はこのとき王城内で一番辿り着くことが出来ない場所はあの中庭だと身を以て知ることになった。これでは意図してこの場所に来ることなど出来ないし、辿り着けたとして帰ることができなくなりそうだ。


 着いた。私はこの中庭の美しさに魅入られ深く眠ってしまった。草花で織り成される領域に天井から柔らかく光が差す。

 中庭の中央部を見ると白いテーブルと三組の椅子が立っていた。テーブルの上にはティーポットとティーカップが並べられ、真ん中にカイリの部屋にもあったお菓子が置かれていた。椅子に座るとネクシスがあらかじめ淹れてあった紅茶を二人分注ぎ、美しく盛り付けられた菓子の皿をイララの方に少し寄せてきた。


「あ、このお菓子さっきも食べたけど、とても美味しかった」

「ありがとうございます。初めて食べた方から言われるのはなにより嬉しいです」


 彼は紅茶の入ったカップを口につけてから王女に問う。


「男がお菓子作りが趣味というのは変なことだと思いますか?」

「ううん」


 王女は首を左右に振って答えた。


「私はいつも男か女かなんてことを気にせず生きている人に憧れているもの」

「えっ・・・・・・?」


 途端に青年の眼が見開かれ黒い瞳が露わになる。

 変なことを言ったつもりがないイララは顔を横に傾ける。慌てて彼は「すみません」と謝った。それが彼にとっては予想外の反応であったからだ。どれくらい味が良くても男が作っていると言えばすぐに否定的になられた。だがイララは逆に考えている。


「そんな風に褒められたのは久しぶりです」

「そうなの?」

「俺がお菓子を作るきっかけになった母から言われたきりです」


 表情をほころばせた青年は懐かしそうに、子供の頃の母との思い出を語った。それを聴いたイララもまたゆっくりと流れていく時間を埋めるようにあれこれと自身の母のことを語った。お互い自分自身の母を共感点とした二人は過去と未来のことについても話し合った。その過程でネクシスは過去と未来、二つの時間において重要な出来事となることは互いに黙っておこうと言った。

 イララが過去に来たのはそのほとんどが未知数の『魔力』から創り出された事象だ。未来で確定された事実を過去に告げ口したとなると未来がどうなるかわからない。イララは家族との在りし日のささやかな思い出は話したものの、未来でネクシスが起こした裏切りは心の内に留めた。

 

 体内感覚で約二時間くらい話し込んだ後は彼から「そろそろ戻りましょうか」とお茶会はお開きになった。やはり迷路のように造られた道を記憶しているネクシスは先導し、王女をカイリの私室にまで戻るように送り届けた。その時外の太陽はすでに西の空の二分の一を越そうとしていた。


「おかえりー」


 開きっぱなしにされた本から顔を上げたカイリは笑顔で二人を迎える。


「楽しかった? どんなことを話したの?」

「えぇ・・・・・・と。ネクシスのお菓子についてだとか、お互い家族についてとかです」

「二人とも暗い顔で帰ってきたらどうしようと思ってたよ」

「なんのためのお茶会ですか。でも俺も楽しかったです」


 カイリは開かれた本をポンッと閉じて、軽く身体を伸ばした。


「わたしにも聴かせて。ちょっと休憩」


 疲れを浮かべる王女は執務机から離れ、腰まである長年愛用の椅子に落ち着く。その晩イララは食事をしつつ、これからのことを二人と話してから早々に眠りについた。

 



―――王女の私室は月明かりと一つのランプだけで照らされていた。


「もう眠ってしまいましたか」

「うん。色々疲れてたんだろうね。王女の立場から逃げて、逃げた先に今まで関わってこなかったわたし達と会ったんだから」


 イララが寝付くまでしばらく執務をしていた王女は小声で会話する。彼女自身も寝間着姿になり、自分のベッドに潜るつもりであった。


「どうするんですか、これから。ずっとこの部屋にいてもらうわけにもいきませんけど」

「そこら辺は考えてあるよ。イララも王女だからね、それなりにわたしを手伝ってもらう」

「・・・・・・カイリ様、この方に俺と同じような扱いをしないでください」


 呆れ気味で釘を差されたカイリはささやき声で反駁する。


「そんなことしないよ!」

「では何をさせるおつもりで?」

「イララには紙の上の仕事だけじゃなくて、外に出して仕事をさせる。この子を連れてきたピアスはあくまで過去に意味や価値を見出した。このほうがイララも早く帰れるかもしれないでしょ?」


 そう説明され得心がいった青年は「なるほど」と顎に手を付ける。


「それで、ネクシス。君にはその仕事でイララが外に出るときについて行ってもらいたいんだ」


 女王にならなければいけないカイリは原則としてそう頻繁に王城は出られない。そこで王女の付き人という立場にいて、他の仕事との余裕が持てるだろうネクシスにカイリは頼んだ。


「断る理由はないので喜んで受けます。イララ様もなるべく知っている人間が居たほうが安心でしょうしね」

「ありがとう!」


 自分には剣の心得も多少ある。何が起ころうとイララ様を庇うことくらいはできるはずだ、と黒髪の青年は思う。


「明日の朝にこの子にも説明するから、ネクシスも朝にまた来てね。じゃ、わたしも寝る」

「・・・・・・はい。では失礼します」


 我が子を見るような目でイララを見つめた王女は「おやすみ」と呟いて、自身も隣のベッドに身体を倒した。

 








 










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