第7話 人の話は最後まで
パチっと瞼を上げるといつもと違う景色にイララは疑問を抱いた。
自分のものではない匂いが鼻をくすぐり、パラ、パラと紙片の擦れる音が聞こえてくる。
恍惚とした意識の中で体を起こし寝台からおりようとする。目覚めることに微塵も不快感がない。それにすら喜びを感じる。
・・・・・・ここは?
さっきまで自分が寝ていたベッドの隣に数段大きいベッドがあるのが目に入った。だがそこには誰もいない。次に半分だけ開かれていた半透明のカーテンをしゃっ、と全開にする。眩しいくらいの光を浴びてイララはようやく目が冴えてきた。うとうと調子だった意識も元の状態に戻り、自分の疑問がすべて解消される。
私は昨日、ピアスの『魔力』が発せられたのと同時に過去のフォール王国に来てしまった。
「・・・・・・そうだ。なら隣で寝てたはずのお祖母様は・・・・・・?」
ベッドから離れ、薄い壁でこちら側と仕切りの形がなされている向こう側へ歩いていく。
カイリの私室は内部でさらに壁で二つのスペースに分けられている。普段彼女が過ごすスペースと、寝台が並べられたスペース。いわく、部屋に暗殺者が侵入してきた時も闇討ちに遭いにくいのだという。
仕切りの扉をくぐるとやけに苦い匂いが漂ってきた。パラパラと本を読みながら匂いの源らしき飲み物を飲んでいるのは私が過去に来て初めて会った黒髪の青年だった。
整った容姿は時が止まったように停止していた。瞬間、私の気配を感じたのか彼の視線は私を捉える。本を机に置いたネクシスは立ち上がった。
「おはようございます、イララ様」
「おはよう。ネクシス」
イララはいつもと違う朝の出迎えに胸が高まる。
「お祖母様は?」
「カイリ様はつい先程、国王様に会いに玉座の間に行かれました」
昨夜、私よりも遅くに寝たお祖母様が起きていたことが驚きだが、それよりも。
朝日が入ってくる出窓に歩み寄り、上半身を外に覗かせる。
世界が一気に広がり、フォール王国の城下町から遥か遠くの町を取り囲む防壁まで見通せる。中央の大通りではすでに人で賑わいを見せていた。
私の記憶の町と、今見ている町。違うのは過去と未来かだけ。けれど、今はこの景色を頭に焼き付けていつか必ず未来へ帰る。
「どうかされました? 外をじっと見て」
「・・・・・・なんでもない。なんとなく町を見たくなっただけ」
「そうですか。では俺も一旦出て行きますので、カイリ様が戻るまでご自由に過ごしていてください」
「わかったわ。待っててくれてありがとう」
ネクシスが出ていくのを見届け、イララはまたベッドの方へ戻る。二つのベッドの間に挟まれたクローゼットから私用だと説明された服をとって着替えを済ませる。
昨日のような派手なドレスも良いが、やはり自分にはそこまで派手じゃない物がほうが性に合う。
それに今日着るのはドレスではなく上下で分かれた服だ。寝る前、お祖母様に「明日はわたしが用意したやつを着てね」と言われた。
ネイビーブルーのズボンとシャツに着替えて、黒いボウタイを首からつける。比較的薄く、細い生地にしてくれているが久しぶりで少し苦しい。
最後に厚めの生地のロングコートを着て、ようやく着替えが終了した。腕から太もも辺りまでを包む乳白色のロングコートを翻し、くるんと鏡で確認する。
お祖母様が用意し、しかも指定してくる服だからなにかあるのかと考えたが。どうやらこれは、男物の服のようだ。
「どうしてお祖母様はこの服を・・・・・・?」
イララは銀髪を揺らしながら腕を組んだ。
♢♢♢
過去の王女カイリ・ユウ・フォールはもう一人の王女が起きる前に目覚め、現在玉座の間へ参じていた。
玉座に座るのは自分の父でもあるフォール王国の国王だ。時々親子の会話もするが、今回は王女として国王の命を受けに来た。
「今日は、我が国の領土の中でも開拓が未発展の区域に関して宰相と話し合った資料を渡す。それをいつもと同じく吟味してほしい」
「・・・・・・あぁ。あそこですか」
フォール王国を建国した初代国王はかつて『冒険者』と呼ばれた職で世界を飛び回った人物だった。建国した当初、フォール王国の領土全域の地理を知り尽くした人物でもあった。
だが、代が重ねられるにつれてそれを知るものは減っていき、現在は王家でさえその全貌は知らない。
そんな背景から今なお、わたしたちは自分たちの領土の調査を行っていた。
今回取り上げられたのはフォール王国の最南端、あそこは砂丘が続いており過去何度も開拓が先延ばしにされてきた。
「今回こそはこの件を片付けるつもりだ。これ以上先延ばしにしても仕方ない」
「それで、わたしにもということですか」
「そうだ」
カイリは普段と違う堅苦しい言葉遣いにむず痒くなるも、我慢して話を進める。
「であれば、わたしからもご報告がございます」
「む? なんだ」
「燃石再補充のため採掘場に派遣する使者をこちらで決めましたので、その許可を」
「・・・・・・分かった。使者に関してはお前に一任すると言ったからな、いいだろう」
一礼して踵を返した王女は玉座の間から出た。
王には使者を二名とは言ったがそのうちの一人がイララということは伏せておくつもりだ。そもそもあの子の存在は一生ネクシスとわたしで秘匿しておくと約束していた。
未来から来た王女の存在を知れば、臣下たちが黙っていない。未来でどんな出来事が起き、どんな情勢になっているか分かってしまう。
そんな甘い蜜を吸いに行こうとする輩もいないとは言えないし、未来が変わってしまったらあの子が苦労する羽目になる。
「わたしは過保護な親だからね・・・・・・!」
後の代に苦労を残さずしてわたしは王位を退く、そのためには自身を躊躇うことなんてしない。
カイリはイララに役目を与えるべく自室に帰った。
♢♢♢
珍しい衣装で身を包んだイララはカイリが戻るまでの間、本棚から興味のある本を抜き取っては椅子に座って呼んでいた。
しばらくしてからひょこっと戻ってきたカイリは、イララが自分の用意した服に着替えていることを嬉しそうに確認すると「君に頼みがある」と言ってイララに仕事を依頼してきた。
その内容は王城をなかなか出られないカイリに代わって、燃石採掘場に行くことだった。
燃石は町の至るところにある街灯の燃料に用いられ、丁度その在庫が切れてしまうそうだ。そこで誰かが採掘場に燃石の再補充の契約をしに派遣されることになっていたのだ。
採掘場がある場所は隣国グロリアとの国境付近の雪原地帯だ。
おそらくまだまだ着込ませるつもりだろうが、この服は防寒対策のためだったようだ。私としても生まれつき寒さは大の苦手なので行くことに抵抗はがあった。
だがそれよりも外の世界を見に行けるということが私の中では歓喜に等しい事だった。
「わたしはついて行けないけど、ネクシスがついて行くから安心してね」
「はい!」
カイリは口元に手を当てて微笑した。
「何でそんなに楽しそうなの?」
「私は今まで国を出たことがなくて、でもずっと外を見てみたかったので」
「へぇ、そうなんだ。なら使者としての仕事が終わったあと、少しだけ観光してきても良いよ」
「観光?」
イララが顔を傾けるとカイリは頷いた。
「採掘場の近くには最近新しい村ができたんだけど、観光向けの場所が沢山あるから」
「本当ですか!?」
「神秘的な場所だよー。ネクシスと見てきてね」
どんな所なんだろう。
雪原地帯だから雪が何かしら関係してるんだろうけど。
こんな事を聴いてしまうと胸が踊って仕方がない。
―――おっと、いけない、いけない。
未来の王女ははしゃぎたい気持ちを必死で自制した。自由に観光するためにはまずカイリから言われた仕事を終わらせる必要がある。
それを終わらせるまでは逸る心を抑えて行かなければ。
「それで、いつ頃から出発できるんですか?」
「多分ネクシスもいま準備してるから、それが終わり次第・・・・・・かなぁ。馬車はさっきから王城の裏門で待ってるし」
カイリが戻ってくる数分前、ネクシスは部屋を出て行った。ならそろそろ準備も終わっている頃合いだ。
「ネクシスはどこで準備してるんですか?」
「右隣の部屋だよ。一応わたしの付き人だし、そういう場合は近くの部屋にいるから」
カイリは自分の机の引き出しを見に行く。
書面での契約ゆえに国王から預かった必須の契約書があるのだ。
「右隣ですね。わかりました!」
「うん・・・・・・って、えっ?」
上機嫌な復唱が聞こえたかと思うと、振り返ればそこにイララの姿はなく、この部屋の入り口は開いていた。
直感的にカイリはやってしまったという思いと同時に呟いた。
「おわったぁー・・・・・・」
その約三秒後にバンッと強く扉が閉められた音が鳴り響き、顔を真っ赤にしたイララが部屋に帰ってきた。
「あー・・・・・・おかえり・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
イララはしゃがみ込んで顔をうずくめ、声にならない言葉で叫ぶ。
隣の部屋で何が起きたのか、カイリは大体察しがついた。
イララには聞こえていなかったようだが、ネクシスに出発の準備をするよう言ったのは、玉座の間のから戻ってきて自分の部屋に入る直前だった。
だからまだ彼が着替えの最中でもおかしなことではない。
おそらくイララは着替えの途中のネクシスと鉢合わせてしまったのだろう。
「えーと・・・・・・。大丈夫?」
カイリは小さくなる王女に自分も身をかがめて会話を試みる。すると弁明するかのごとく早口で言葉が返ってきた。
「大丈夫です。それよりもネクシスに対して申し訳ないです。着替え途中なのに私が勝手に押し入ってしまって」
「・・・・・・大丈夫、じゃなさそうだね。先に言わなかったわたしも悪いし、後で二人で謝ろうか」
萎れたイララは情けない声で「・・・・・・はい」と言った。
―――――
その後着替えを終わらせてカイリの部屋に入ってきたネクシスは最初は拗ねた様子で説教タイムを始めたものの、最後は笑って許してくれた。
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