第8話 熱さ

『お母さんは男とか女とか気にせず好きなことに向き合うネクシスに憧れるわ』


 いつかの母の言葉。

 そう言って母は俺のお菓子作りを手伝ってくれた。


 ネクシスは幼い頃の大切な思い出を思い起こす。


 あの頃の俺は両親の期待に応えるべく、様々な勉学を自分に強要した。語学、作法やマナー、社交界で渡り合うための知識、国の歴史、剣術などあらゆる事を一手に手を付けた。

 だが当然幼かった俺の手には余るもので、ストレスや疲れから幾度と体調を崩した。

 そんなある日、憔悴しきっていた俺を母がお菓子作りに誘ってきた。

 おそらく母は少しでも俺を勉学から遠ざけたかったのだろう。


 お菓子作りを好きになったきっかけはちっぽけな理由からだ。

 それまで俺はすでに正解がある勉学に励み、ただひたすら決められた知識を頭に入れるだけだった。それに比べ、お菓子作りは自由で自分の好きな材料とやり方でできる。

 俺はその自由さに心が掻き立てられた。


 世間的に男の俺がお菓子作りをすると変な目で見られる。実際、どの店に行っても菓子を作っているのは女しかいなかった。

 それなのにもお菓子作りをやめようとしなかった俺を母は軽蔑せず暖かく見守ってくれたのだ。


 あのとき母がいった言葉は一生忘れることはできない。この言葉を忘れない限りありのままの自分でいられる。自分以外の全員に否定されたとしても、俺だけは肯定できる。

 お菓子を作るたびにそれを思い出しながら自分の想いとアイデアをお菓子に込めてきた。


 だから昨日は一瞬呼吸も忘れるくらいに驚いてしまった。

 あの王女の口から母が言った言葉と同じ言葉を聴けるなんて思いもしなかったから。

 王城に出入りするようになってからというもの、女性と会話する時は素直な自分を捨てなければならなかった。

 どうせ今回もつまらない会話で終わるものと思っていたが、あのひと時はありのままの自分でいることができたのだ。


 それで確信した。あの方の前なら自分を取り繕う必要は無いのだと。


 ネクシスはゴトゴトと馬車に揺られながら、目の前で恥ずかしそうに萎縮する王女を見やった。


「・・・・・・あっ」


 バチッと二人の目が合うと王女はすぐさま顔を横に向ける。

 王城を出て馬車に乗ってからというものずっとこの調子なのだ。隣に座るわけにもいかず、向かい合って座るしかない。

 どうやってもどこかのタイミングで必ず目が合ってしまう。

 王女の必死の抵抗に青年は苦笑した。


「・・・・・・ふっ、俺はもう怒ってないから大丈夫ですよ」

「そ、そういうわけじゃなくて。あなたを見ると、どうしてもさっきのことが頭に浮かんでくるの・・・・・・」


 そう言ってまた王女は顔を赤らめる。

 王城を出る前に軽く説教は済ませたし、見られたのはかろうじて半裸状態の上半身だけだったので、特段もう思うことはないが。

 彼女は違うのだろう。こうして王城の外に出るのでさえ新鮮なことである、免疫の薄い彼女からしたらアレは刺激が強すぎたのかもしれない。


「どうしても無理なら、目を閉じていてください。目的地に到着するときには声を掛けますので」

「ううぅ。わかった・・・・・・」


 王女はまた厚い防寒服に顔をうずくめてしまった。

 その様子を見て口元を緩めた青年は何もない外の景色を楽しそうに眺めた。




             ♢♢♢




 ―――き、た。

 

 ―――き、ました。


 ―――着きました。


「・・・・・・着きましたよ。イララ様、起きてください」

「ひゃいっ!?」


 変な声が出た。

 ンンッ゙と王女は咳払いで誤魔化すが、彼女を起こした張本人は笑いながら言った。


「脱いだ上着を着てから外に出てくださいね」


 黒髪の青年は一足先に馬車から出ていく。

 王女はまたも自分の醜態を晒したことに後悔して、ため息をついた。


 言われた通り枕代わりにしていた防寒服を着込んでイララは外に出る。ヒュウッと吹いてくる風は冷たく、足元は足が埋もれるくらいの雪が積もっている。


「足元に気をつけて、転ばないようにしてください」

「う、うん・・・・・・」

「ここからは歩いてすぐなので、ついてきてください」


 採掘場までの道をネクシスが先立って歩いていく。イララは雪道を歩いていてようやく彼の髪が茶髪に変わっていることに気付いた。

 

「ねぇ、なんで髪を染めてるの?」


 白い息を出して聞く。

 珍しい色の髪をもつ人の中には自分の色を嫌って染める人もいるらしいが、ネクシスは王城では染めていなかった。どうも自分の髪を色を嫌っているわけではなさそうだ。


「・・・・・・黒髪のまま外を出歩くと色々と面倒なので」

「面倒って・・・・・・ネクシスはグロリア王家の血を引いてたりするから?」

「ええ、そうです」


 黒髪は隣国グロリアの王族の象徴でもあるのは王妃教育の時に聞いた。初めて会った時から何気なく見過ごしていたが、彼の言う面倒とはグロリア王家血を引いていることなのだ。

 お祖母様もそれに関して一切触れないし、彼が黒髪なのは単なる偶然だと思っていた。


「俺の母がグロリアの王女だったんです。身体が弱くて、俺を産んでからは数年で療養のために辺境の分邸に移りました」

「あなたのお母様がそうなのね。それから会ったりしてるの?」


 青年は首を横に振る。そのとき微妙に彼の感情が揺らいだ。


「会ったのは俺が十歳の時で最後です」


 お祖母様と同じ齢と考えると今のネクシスは二十歳。つまり話を聴く限り十年間彼は母と会っていないということだ。

 王女が「忙しいの?」と聞くまでもなく彼は続ける。


「・・・・・・会う時間が取れないわけではないんです。時間が欲しいと言えばカイリ様は無理矢理でも作ろうとしてくれるので」

「ならなんで会わないの」


 ネクシスは喉が詰まったように一瞬口ごもり、吐き出す。


「・・・・・・寿命が近いんです。元々弱い身体で俺を産んだので、それで寿命が急激に縮まってしまったと」

「・・・・・・!」

「数年前、母が手紙を俺に送ってきました。会えば別れが辛くなるから無理して会いに来なくていい、と言われてしまいました」


 イララは気の利いた言葉が見つからず何も言うことができなかった。

 ネクシスの諦めたような声が胸に突き刺さる。

 物心がつくより以前に母を亡くしたイララには、これから亡くすと分かっているネクシスの気持ちは計り知れない大きさだ。


「どうにか生きられる方法はないの・・・・・・?」

「ありません。病気ではなく生まれつきの体質の問題なので、治療もできないので」

「・・・・・・そっか」


 手紙まで送るのだから、彼の母は二度と彼には会わないのだろう。おそらくそう自分の中で決心がついている。

 でも彼は違う。諦めたような声にはまだ迷いが感じられる。奥深く、まだ会いたいという迷いが。

 ―――どうにかしてあげたい、とも思う。もう赤の他人ではないのだから。


 だが私にはそれをどうにかすることなんてできない。それが現実だった。本人たちでさえ解決出来ない問題を他人の私が解決できるわけが無い。

 せめて彼の心を支えられる言葉だけでもと考えても一向に見つからない。


 気を遣うつもりであれこれ言葉を探していると、振り向いたネクシスは若干眉が落ちた顔で言った。

 

「そんなに真剣に考えなくても大丈夫ですよ。俺もそろそろ本気で向き合わなければいけないことだと分かっているつもりです」


 ―――それではだめだ。


「・・・・・・私は、ネクシスに自分の母親が死ぬのを黙って見ていてほしくないよ」

「え・・・・・・」

「ネクシスが言っていることは、自分の望みに対して反している・・・・・・と私は思う」


 先刻の恥ずかしさを忘れ、イララはネクシスの目をまっすぐ見た。


「だから、もし諦めるつもりなら、私と全部の手を尽くした後にして」


 彼の落ちていた眉が持ち上がる。

 関係のない人間が他人の事情に深く手を突っ込むのはあまり良しとはされないだろう。ネクシスも嫌に思うかもしれない。

 しかし、ネクシスは微笑んでから初めて会ったときのようにイララの髪に触れた。


「・・・・・・ありがとうございます。イララ様」

「あっ、あまり、そ、そういう事しないで・・・・・・」

「嫌ですか?」

「その・・・・・・恥ずかしいから」


 外は極寒の地。

 けれども王女の顔にはだんだんと熱が上がってくる。まったく寒さを感じない。

 ネクシスは「すみません」と言って髪から手を離した。


「少し暗い立ち話になってしまいましたね。採掘場はあと数分で着くので早く行くとしましょう」


 熱くなった顔を縦に振ってイララは応答する。


 採掘場に到着するまで、雪道だというのに顔の熱は下がりきらなかった。




             ♢♢♢

 



 カーン、カーンと金属がぶつかる甲高い音が鳴り響く。坑道内はゆらゆら揺れる松明とランプの光で照らされている。

 いくつかの坑道に分かれた採掘場では組合の募集の下、屈強な炭坑夫たちが寄り集まっている。

 市場で高値で売れる鉱石類は別の坑道で掘られ、ここでは用途が豊富な燃石の採掘が行われていた。


 燃石は太古の昔に大地に宿っていた『魔力』と呼ばれるエネルギーが地下の石ころに分散し、収められたと考えられている。

 もっとも燃石の場合はある特別な水晶とは違い、『魔力』だけを限定して取り出すことは出来ない。が、火を炊くときの燃料としては最上級の力を発揮するので、膨大な数をまとめて発注されることもしばしば。

 二つの国の国境付近にあるこの採掘場でも燃石を採るためだけにかなりの人員が回されていた。


「みんな、一区切りついたらそろそろ昼飯にするぞ!」


 この坑道内で一番大柄な体躯の坑夫が指示を出し、周りの坑夫たちは口々に賛同する。


 ほぼ一日中重いツルハシを振り続け、膨大な数の採掘物を外まで運ぶ坑夫の彼らにとって、昼の休憩は欠かせないものであり、仕事の合間の楽しみなのである。

 一斉に全体の士気が上がり、坑夫たちは午後の仕事に向けて一区切りつけようとする・・・・・・。




「―――うわあああぁ!!!」


 坑道の奥の方から男の悲鳴が飛んでくる。

 ドー厶状に掘り広げられた坑道全体に悲鳴が反響する。


「どうした! 何があった!」


 大柄な坑夫は誰よりも通る声で叫んだ。

 

 悲鳴を上げた本人であろう一人の坑夫が、目に恐怖を浮かべて奥の方から走ってくる。


「ジュ、ジュウドさんっ! まずいです!」

「何があったんだ?」


 涙目の男は大柄な坑夫に先の状況を伝える。


「さっき、奥で掘り残した燃石を回収しようとしたんです。そしたら・・・・・・」

「そしたら、何だ!?」


 恐怖で縮こまった男は、眼前の坑夫にしか聞こえないくらいの声で言い淀んだ先の事実を伝えた。


「そしたら―――」

「なっ・・・・・・!」


 大柄な坑夫はただその事実に驚愕した。

 







 

 

 





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