第5話 彼らはまだ知らない
視線が痛い。
中庭から王女の私室へ戻るところのネクシス・ショウルはそう思いながら王城内の廊下を歩いていた。
なぜ私が周りの使用人から異色を見るような視線を向けられているかというと、それは自分の髪色にあった。
―――黒髪
この髪を持って産まれる人間はフォール王国の隣国グロリアの王家にしかいない特別な髪色だった。
俺の母は前グロリア王の妹で、かつてグロリア王女がこのフォール王国の公爵家に嫁いで来た際に産まれたのが俺なのだ。
普段は公爵家当主として王城で仕事をし、面倒事が起きないよう公爵邸には帰らず寝泊まりさえ王城でしていた。王城の人は皆俺の事情を知っている人しかいないから王城内ではこの髪を晒している。
それでもやはりまだ慣れないメイドはいるらしく、今まさに通りすがりのメイドからやけにしつこく視線を送られているのだ。
だが街へ降りるときや、他国の使者との面会の時は髪を茶髪に染め、公には晒していなかった。
黒髪はグロリア王家の象徴ともいえる。何かと目立つのだ。髪染めは外の人間と会うとき不用意にグロリアの血を引いていることが知られると面倒な事になると考えた、国王の采配であった。
そしてそんな俺を昔から幼馴染として気にかけてくれていたのがカイリ様だった。フォール王家には一生掛けても返しきれない恩がある。フォール王家の人間は短命であるがゆえに恩を返すにも時間に限りがある。
だからカイリ様が女王になり、やがて亡くなるそのときまで俺は王家に仕えようと決めた。カイリ様を看取るまでが俺の生きる使命として。
なので、できる限りカイリ様の命令には従うようにしているが、いささか彼女は突飛な性格なため苦労が絶えない。
ネクシスは今もどうしてこんな事になった、と思いながら歩いていた。
♢♢♢
「ネクシスはまだかなー」
机に向かい、書類の相手をしているのにも関わらずカイリはふんふん、と鼻歌を歌っていた。
お祖母様が私とネクシスのお茶会を始めようと言い出してから、ネクシスは快くではないが準備に取り掛かるため部屋から出て行ってしまった。
カイリの突拍子もない決断に慣れているらしいネクシスもさすがに狼狽した様子だった。本当に申し訳ない。
だからこそこれほど心を許した仲なのに、彼が未来でお祖母様に討たれる光景が想像できない。
―――もしかしてお祖母様の性格が嫌になってしまったから・・・・・・とか?
このまま行くとお祖母様は死ぬまでネクシスにどうでもよい用事で頼り続けるつもりだろう。それが後々彼の心に不満を溜めていくことになるのかも。まぁ、それで裏切られるのならばこんなにも片腹痛いことはない。未来に戻ったとき、笑い話にできてしまう。恐らくこの推測はハズレだ。
そもそも彼はお祖母様がお願いすることに対して嫌嫌やる感じだが、本気で嫌ってはいなさそうなのだ。むしろ、頼られることに関しては嬉しそう。
彼は国を裏切り、自分の命を投げ捨ててまでの反乱を起こした。何がネクシス・ショウルという男をそうまでさせたのか。
お祖母様はネクシスを自身の手で殺した上でなお彼が裏切るまでの動機を語ろうとはしなかった。考えれば考えるほど謎だ。
隣国で反王家勢力の反乱が起こったのがだいたい私が産まれる六年前。せっかく過去にやって来たは良いが、ネクシスが事件を起こすのはまだ先の話になる。私は未来から来たからこそ、彼がのちに国を裏切ることは知っているが、今彼らにこのことを言っても彼らは信じないだろう。
もう考えても無駄なことよね。
イララは急に甘いものを口に含みたくなり自然と机に用意された菓子に手をつける。
「・・・・・・あっ! それ食べるの? だったら後で味の感想をちょうだい」
「感想? これってお祖母様が作ってるんです?」
イララがお祖母様にそんな趣味があったのかと内心驚きながら聞くとカイリはかぶりを振って笑った。
「ちがうちがう。私は作ってないよ」
「じゃあ誰が・・・・・・?」
「そのお菓子はね、なんとネクシスが作ったものだよ」
「ええっ!?」
イララは何気なく口に入れた菓子をすぐに飲み込んでしまいそうになり、ゴホゴホとむせる。
「おっと、大丈夫? でもそりゃあ驚くよね。あんな堅い人間がこんなおいしいお菓子を作るんだから」
「・・・・・・ゴホッ、そ、それで感想を?」
「そう。わたしの味覚はあてにならないみたいだからここに来た人全員に聞いてるんだ」
「な、なるほど・・・・・・」
急いでティーカップを持ち上げ紅茶で流し込んだイララはもう一度菓子を手に取る。次はちゃんと味わって食べよう。
ゆっくりと口に運び、食べる。丸く、球体のような形をしているが中身はクッキーと同じ食感。噛むたびにサクッサクッと口の中から音が聞こえてくる。香ばしく、微かにベリーの香りが漂う。甘すぎない甘さにうまく風味がのっている一品だ。
執務机の書類を片手にカイリは聞いてくる。
「どお? おいしい?」
「とても。私もここまでおいしくは作れないです」
「そう。後でじっくり本人に伝えてあげてね」
イララは相槌を打ち、もう一つ菓子を口に運ぶ。
人の趣味や特技は外見だけでは本当にわからないものだ。本当に・・・・・・。
♢♢♢
―――グロリア王国のある伯爵邸
「今こそ! 我らがあの憎きグロリア王家を討ち滅ぼすときです!!!」
赤褐色の短髪を揺らす男はまるで宣言するかの如く叫んだ。歳は三十半ばで、しわがれた声は清い聖物が濁るような余韻を残す。
叫びを向けられた老人は厳格な目つきで振り向いた。
「なに?」
太く掠れた声で反応したのはグロリア王家に仕える伯爵家、ガネク伯爵現当主であった。
男が宣言していることは王家への反逆であり、国への反逆を意味している。王都の重鎮どもに聞かれでもすればあっという間に死刑まで持ってかれるだろう。
我が愚息は何たることを言っているのか、といわんばかりにガネク伯爵は訝しげな顔になる。
「お前・・・・・・」
「父上! あなたもあの噂はすでに知っておいででしょう。グロリア王家に男児が産まれなかったことを」
「それがどうした」
「このグロリアにおいて王座は女には与えられない。民たちも国の行く末に対し、不安を抱いています」
「だから何だ?」
男は塵ほども善の意を感じさせない不敵な笑みを見せる。
「これは王家を滅ぼし、私たちガネク伯爵家が王座につく絶好の機会なんですよ」
ガネク伯爵は大きく目を見開いてから、ため息を漏らす。
「・・・・・・お前は自分の言っていることが意味することを理解しているのか」
「えぇ、理解していますよ」
口元は大きく吊り上がる。ガネク伯爵は息子が産まれてからこうも邪悪な笑いを見た時は無かった。
何故やつがこのような微塵も笑えない虚言を言うようになったのか、と問われるまでもなく伯爵は息子が変わってしまった理由を薄々勘付いていた。
―――二年前の冬、我らガネク伯爵家は領民ごと王命でこの地に管轄領を移された。
この地は古き時代、強大な力が眠っていた。グロリア王都の学術者によればそれは『魔力』と呼ばれているらしい。ある時長き眠りから覚めるようにその力は収縮を始め、極限状態まで達したとき巨大な爆発を起こした。
結果、豊かに広がっていた野や山は一瞬で跡形もなく吹き飛び、川は爆発とともに清水が弾け、元の影も見えくなってしまった。かつてこの地に住んでいた者たちは多くが爆発の衝撃で死に、運よく出払っていたごく少数の人間だけが助かった。それでも仲間は死に、自分たちが愛した地は消え去り、壊滅に等しい惨状となったのだと。
その後の様子はといえば肥えていた土地は爆発の副産物で焼かれ、真っ黒な荒野に等しくなってしまったのだ。そんな歴史からグロリアの国領でありながらここは昔から放置されてきた場所でもあった。
作物など到底育つはずもなく、他の動物は自然の餌が無くなり住処をとうに変えてしまった。
領民を飢え死にさせないくらいの食糧は今までの貯蓄と王都からの支給で賄ったが、死地同然の土地に送り込まれた領民と息子の怒りは凄まじいものだった。
以来、息子は愚痴をこぼすこともしばしば、私とともに領地改良に努めた。
勤勉でよく領民を想っているできた後継ぎだと思っていたが、蓋を開ければやつの怒りは国家転覆までの憎しみだったのだ。
いつからだった、と悔やむももう遅く、息子は続ける。
「領民たちもこんな辺鄙な地に我らを追いやった王家への怒りは忘れていません!」
「だから怒りに身を任せて復讐をするのか?」
「復讐などではない! これは正当な裁きを奴らに与えることだ。初めてここへ来たとき、飢えをしのいだと思ったら十分な家もなく凍死した者もいたのだから!」
そう。振り返れば王家が領地を移すよう通達を送ってきた時期も悪かった。あの時は最低限野ざらしを脱するため簡易的なテントを張り、寒さを凌ぐのが精一杯であった。
王への時期をずらしてもらえないかとの懇願も虚しく、何故か王は承諾の意を受け取ってくれなかった。
「・・・・・・儂も死んでいった者のことは無念に思っている。だが、王家との戦いともなれば国を相手するのも同義、さらに死人が出てしまうのだ」
伯爵は闇中に身を落とした息子を落ち着かせようとする。だが息子は反して冷たい声を出した。
「父上は・・・・・・勘違いをしておられる。私は決して領民に戦わせるような真似はしない」
「どういうことだ・・・・・・?」
息子は両目を大きく見開き動揺する伯爵の下へとずいずいと近づき、耳打ちした。
「他国から武器を買い、雇った傭兵に戦わせるのです」
「・・・・・・なっ」
「私は既に隠密に伯爵領へと武器を持ち込むための手はずを整えております。もうみっともなく耐えるようなことはしない」
「なんだとっ!? どこからそんな・・・・・・」
「完全に承諾してくれるまで父上には言えません。ですがこれだけは言っておきます。私たちには民の死を一番に想う大義がある」
そう言い放った男の狂気じみた笑みは、民を想う者の気持ちが何か別の感情へと姿を変えたことを物語っていた。
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