第26話 魔力

 背中が痛い。ものすごく痛い。

 ものすごく痛いのに熱くもある。

 背中から何かが大量に流れ出ている。熱い何かが。

 ―――これは・・・・・・血?


 フォール王国の王家に産まれ、今まで大事に育てられてきた彼女にとってこれほど痛い思いをしたことは無かっただろう。

 自分の背中を大きく上回る剣で斬られる、こんな経験はしたことが無かった。 いや、それはおろか、ただの怪我すらもしたことは無い。


 だから、よく足が動いたと思う。

 生身の体を斬られる。その恐怖は想像できたのに、こんな痛い思いをするのはわかっていたのに、足は勝手に動いた。


 過去に来てから自分で選択することなく、ただお祖母様たちから貰ってばかりだった。

 何か返したくて、自分で選択することを見つけた。これも、私の選択。自ら彼の大切な人を守るために動いた。

 私は恐怖を振り切って私を超えた。

 大切なものを見つけて、私はこれまでの私を超えられた。


 ―――これが、私の過去に来た意味。


「・・・・・・は、・・・・・・ぁ」


 ふと瞑っていた目を開ける。

 さっきは兵士一人のたった一撃を受け止めただけ。みんなはどうなってしまったのだろう。


「ん・・・・・・ネク、シス・・・・・・?」


 目を開けるとすぐに涙を流したネクシスの顔が視界に入った。


「イララ様・・・・・・! よかった、目を開けてくれて」

「敵は・・・・・・? どうなっ、たの?」


 私は生きている。

 ネクシスも生きている。

 お祖母様たちの声も聞こえる。しかし、あれだけいた兵士たちの声はまったく聞こえない。

 朦朧としていた意識がはっきりとしてくる。

 イララが両腕に力を入れて、起き上がると―――


「・・・・・・・・・・・・え?」


 地下牢の石床がまるごと血溜まりになっていた。

 それに鉄くさい血の匂いが充満し、胴体を一振りで両断された死体が何体も転がっている。

 あれだけ残っていた兵士たちの姿はまるで無く、入口に立っていた赤褐色の髪の男はまるで化け物を見るかのような顔で死んでいた。


「こ、これは・・・・・・」


 誰がやったのか。

 そう聞く必要は無かった。


「・・・・・・ネクシスがやったの?」

「・・・・・・・・・・・・」


 イララは振り向いて訊く。

 そして彼の姿を見てさらに息を呑む。


「・・・・・・!」

「・・・・・・どうかされましたか? イララ様」


 彼は笑顔だった。

 心底安心したような笑顔。

 だが彼の体には剣で刺されたような傷や、斬り裂かれたような痕がいくつもできていた。

 服は雨に濡れたかのように人の血液がべっとりと染みつき、元の色が分からなくなっていた。


「・・・・・・ああ、よかっ、た」

「ネクシス・・・・・・」


 そのまま彼は倒れた。

 みるみるうちに倒れた周りに血が広がっていく。


「ネクシスっ!!!」


 倒れて動きもしない、声も発しない青年の名をイララは叫んだ。

 冷たくなった手を触る。柔らかみも、温かさの欠片も感じない、まるで骨のよう。

 流血を止めようと傷口を押さえても、数が多すぎて全部を押さえられない。彼の体から血が流れ出ていくのを止められない。

 

 どうすれば・・・・・・。どうすればいい。

 どうすれば彼は助かるのか。


 

 何もすることができず、イララがただ血塗れの手で無数の傷を押さえようとしていると。


「・・・・・・イララちゃん」


 ネクシスのお陰で無傷だったのだろう、スキャルが呼びかけた。

 彼は驚きと興奮が入り混じった表情でイララの背中を指さす。


「そ、その背中・・・・・・」

「背中・・・・・・?」

「あなたのその背中、さっき斬られた傷がないわよ・・・・・・!?」

「え?」


 イララはすぐさま自身の背中に手を伸ばす。

 たしかに、斬られたことで服は斬り裂かれた状態のままだったが、あれだけ派手につけられた傷は跡形もなく消えていた。

 言われてみれば、私自身倒れるくらいの傷を負ったのに、今こうしてピンピンしているのもおかしな話だ。

 傷跡も見られない、痛みもいつの間にか無くなっている。こんな超常現象、むしろ意識が戻ってからの時間気づくのが遅すぎたくらいだ。


「どうして傷が・・・・・・?」


 実は先刻背中を斬られたのが全部自分の妄想、なんてことはないだろう。

 しっかりと自分が倒れていた場所にも血溜まりはできている。あの時背中を斬られ、派手に傷を負ったのは過去の事実だ。


 だがそれだけに、傷が無かったことのように消え去っているこの状況はますます理解できなかった。


 その答えはカイリが言った。


「ピアスだよ。ピアス」


 彼女もまた無傷だった。

 灰色の外套を気を失っている公爵夫人に被せ、さらに言う。


「さっき、イララが斬られてネクシスが暴れた時に少しだけピアスが光ってたんだ。その後もう一度背中を見たら、不思議なことに治ってた」

「ピアスが光って・・・・・・?」


 ピアスが光ったということは、イララの傷が消えたのは水晶の力によるものだろう。

 おそらくそれは、通常ならあり得ない現象が起こる未知数の力、『魔力』だ。

 

「ついに・・・・・・ついに水晶の魔力が発動したのよ! イララちゃん!」


 このタイミングで魔力が発動したのは、私が過去に来た意味を見つけられたからに違いないが。

 しかしそれなら、不可解な点がある。

 私はなぜまだ過去にいるのか、ということと。


「私、斬られたときは何も望んでいなかったはず・・・・・・」

「あら、・・・・・・そうなの?」

「傷が治れ、なんて望んでない」


 水晶の『魔力』は持ち主の願いや望みを叶えてくれるだけの力だと考えていたが、他にも別の力があったのだろうか。


「いや、今はそんなこと考えてる場合じゃ・・・・・・」


 ブンブンと頭を横に振って、イララはネクシスを助ける方法をカイリに訊こうとする。

 が、訊く前にカイリはそんなこと分かっていると言わんばかりに答えた。


「だったら! その不思議な力、ネクシスにも使えない?」

「あっ・・・・・・」


 イララは即座にネクシスの身体を抱き上げる。

 私の傷を癒やしてくれた魔力は無意識の下で発動した力だ。どうやって発動させたのか自分でも解らない。

 だから意図して発動させることはできない。

 けれど望むことはできる。私を過去に連れてきたように、望むことでまた水晶がそれに応えてくれるなら。

 今は未来に帰れなくてもいい。彼が戻ってきてくれるならいくらでも私は願う。

 ―――お願い。


「ネクシスの傷を治して・・・・・・!」


 イララが言った瞬間、ピアスに下げられた水晶がおぼろ気に光を放ち始める。その光は瞬く間にブワッと膨れ上がり、暗い地下牢を照らす。

 今度は逆に強い光で辺りが視えなくなり、ようやく光が収まったかと思うと。


 ネクシスの体には元の温かさが戻っていて、彼の胸の奥からは強い鼓動が伝わってきた。


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・ネクシス。生きてる?」


 そう問い掛けると、掠れているがいつもの彼の声が返ってくる。


「イララ、様・・・・・・? 俺は・・・・・・」

「ネクシス、生きてるよね。死んでないよね。」


 イララは何度も訊く。

 何度でも彼の声を聞いて、早く安心したかった。

 ネクシスはすべてを悟ってから、答えた。


「・・・・・・・・・・・・はい。大丈夫です」

「良かった・・・・・・。はあ・・・・・・良かったぁ」

 

 と、イララは抱き合ったままということを忘れ、ボロボロと泣き出してしまう。

 スキャルとカイリもネクシスの傷が完全に癒えたことで安心した反面、また水晶の『魔力』に畏怖すら覚えていた。


「まさか、あんな傷が元通りに治るなんて・・・・・・」

「どういう原理かしら。さっきのとは、違う?」

「でもどっちも似たように見えたけど」

「・・・・・・解らないわ。研究のしがいがあるのはたしかだけどね」


 そんな会話が聞こえる中、イララの涙はまだ止まりそうになかった。

 しかし、ここは敵地。

 ガネク伯爵は死んだが、他の反王家派貴族はまだ残っている。いつまでも感傷に浸ってはいられないのだ。


 一向に泣き止まない王女の頭を、ポンポンと優しく叩いてからネクシスは言った。


「イララ様、早くここを出ましょう? なのでそろそろ放してくれるとありがたいのですが」

「・・・・・・ごめん。今放すね」


 と言って王女は青年の背中に伸ばしていた腕をほどき、それから延々と流れてくる涙をぐっと堪えて立ち上がった。

 今度こそ牢に囚われていた人たちも含め全員でこの地下牢獄からでなければ。


 カイリはイララとネクシス、二人が動けることを確認してうなずく。


「よしっ、じゃあ早くここを出―――」


 彼女が号令をかけようとすると、しかし別の声がそれを遮った。

 

「―――待ってください」


 遮った声は比較的若い男の声で、カイリたちのすぐ近くから聞こえてきた。

 レンラント・ガイズ。彼が動きを止めた。

 再度彼はカイリたちに言った。


「待ってください。皆さん」

「・・・・・・なに? どうしたの? グロリアの国王様たちならちゃんと運ぶから安心して」

「いえ、そういうことではありません」

「・・・・・・・・・・・・?」

 

 レンラントは立ち上がり、自分の左裾を捲る。

 すると服で隠れていた、ブレスレットのような腕輪があらわになる。


「皆さんは、これをご存知ですか?」


 自分の手首を揺らして彼は言った。


「ご存知ですかって言われても・・・・・・」


 彼が揺らす物は、街でもよく売られていそうな何の変哲もない革で作られたブレスレットだ。

 しかし、よく目を凝らすと『あるもの』が付いているのに気づく。三つ編みで革が織られ、それを繋ぎ留めるようにどす黒いなにかが付いている。

 見た目は球体でガラス質の石のように見える。

 色はこれでもかというほど黒い、なのにどこか透明感がある。


「・・・・・・水晶?」


 先に呟いたのはイララだった。

 レンラントは先刻とは打って変わって不気味な笑みで称える。


「そうです。あなたが着けているそのピアスと同じ・・・・・・」

「同じとは・・・・・・どういう意味で・・・・・・」

「これには『魔力』が宿っています」


 レンラントが言うと、黒い水晶が闇光を放つ。

 繋ぎ留めていた革の紐は両側から腐るようにボロボロと崩れ落ちていき、水晶だけが宙に残る。


 彼は地下牢に響く声で彼は叫んだ。


「ようやく、ようやくだ! ワタシは今からあなた達を殺す! そして、国も民も!」


 

 

 

 

 

 

 

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