第13話 おびき寄せ
採掘場がある鉱山の麓の村。ある宿の一室でイララは目覚めた。
雪原地帯に立地する村だけあり、朝はとてつもなく寒い。ベッドからちょっとでも出れば理不尽な寒さが体を襲う。
これでも村には発暖機があり、四六時中村全体を温めているはずなのだが。部屋いっぱいに充満した寒気はそれをものともしていない。
この調子なら宿の外に出たらもっとすごいのではないか、と考えながら窓の外を見やった。
雲一つない青空が上面に広がる。
村の建物の隙間から見え隠れしている山脈は、昨日と変わらず白に包まれていた。
出店が立ち並ぶ通りにはまったく人通りが見られない。まあ、朝はこんなにも寒いのだからいなくて当然だろうが。
「・・・・・・」
ベッドの中に戻ったイララは昨夜のことを思い返す。
無数の星々が煌めき、翡翠色の光が淡くたゆたい輝く夜空。一枚絵のように王女の中に刻み込まれたあの光景は、一晩たった今も記憶から消えることはなかった。
あの現象は一瞬の内に終わってしまった。本当に見れたのは幸運だった。となると、湖に行くタイミングが物を言うはずだが・・・・・・時間を見計らって私を呼びに来たネクシスは、「俺もこうなるとは思ってなかったです」と笑っていた。
現地人ですら滅多に見られない光景で、その回数は指で数えられるくらいらしい。村の外から来た私たちが見られる可能性は限りなく0に近かっただろう。偶然であろうが私を連れ出してくれたネクシスには感謝しなければ。
発暖機が本調子になり、寒さも和らいできたところでイララはベッドを出る。それでも酷い寒さなのに変わりはない。椅子に掛けられた乳白色のコートを羽織る。
今日は朝から村を出発する約束だった。
これ以上部屋の中で寝ているわけにはいかない。だが、一晩過ごしただけのこの部屋にも情が湧いてしまった自分がいる。
王城の自室だけで過ごしてきた私には、短い時間でもこの部屋で眠った時間は至福だった。
イララは多少の別れを惜しみつつ部屋を出る。
先に起きていたネクシスは御者とともに馬車の用意を進めていた。そしてイララが起きたことで王城へ帰る準備はすべて整った。
太陽が南東へ傾き始め、村にも人通りが出てきた朝、二人は村を出発した。これで初めての遠出は終わりだ。
馬車は止まることなく、王城へと続く雪道を進んでいく。イララはしばらく小さくなっていく村を見つめていた。
白い地平線に村が消え去り、完全に見えなくなったところでネクシスは王女に聞いた。
「王城を出てみて、どうでしたか?」
と、問われるとイララは数え切れないくらいの感情が浮かんできた。自分の中で世界が一気に広がった気がして、王城の外では胸の高まりが収まらなかった。
何処かに行くことや、見ること、知ること、考えることが、こんなにも楽しかったのは幼い頃以来だ。まだ王妃教育が始まっておらず、ある種無邪気で、お転婆だったあの頃の感覚が戻ったようだった。
うまく感情が整理し切れず、王女はどうにかしてまとめようと言葉を絞り出す。
「また、色んな場所に行ってみたい・・・・・・って思った、かな」
「・・・・・・そうですか」
向かい合って座るネクシスは目を閉じて、微笑を浮かべた。それはいつもの彼ではないような、気の抜けた笑顔だ。
「おかしかった・・・・・・かな?」
「いえ、ただ、安心しただけです」
「安心・・・・・・?」
「今回の件で、イララ様にはそう思ってほしかった。俺は、あなたの中で誰かに縛られた感情が出てきてほしくなかったので」
彼は彼なりに、心配してくれていたのだ。
私が王城を出たとき、やっぱり王城に籠もっていた方が良い、と思ってしまわないよう。自ら王城を出る選択肢が、私の中から失くならないよう。
王女は思わず顔をほころばせ、言った。
「ありがとう」
♢♢♢
村を出てから五時間。
馬車はガタゴト揺れながら王城の裏門へと到着した。
街門と違ってこの門は通常人の行き来に使われることはない。故に、堂々と街門から入るより、人の目につかない。
おそらくお祖母様は私たちが採掘場に行ったことはあまり公にしたくないのだろう。
馬車一つがギリギリ通れるかくらいの門には衛兵が一人だけ立っており、イララたちの帰りを待っていた。
御者に礼を言って馬車を降りた二人は、カイリが待つ部屋へ移動した。
カイリは一日前と変わらぬ笑顔で「二人とも、ご苦労さま」と労って、イララとネクシスを迎える。
採掘場では色々と予定外の出来事が連続発生した。イララは村を歩き回った時のことを話したい気持ちをせき止め、まずは予定外の出来事からカイリに報告していった。
マグナカリュドが燃石採掘を滞らせていたこと。
それをネクシスが討伐し、予定通りに燃石の契約は済んだこと。
それらを念頭に置いた上で、組合から新たに他の鉱石も取引してくれないか、という提案があったこと。
三十分ほど時間を要し、イララは詳細な顛末を含めて一通り報告し終えた。
報告内容は、お祖母様が私たちを採掘場へ派遣する前、彼女が練っていたであろう構想とは大きく外れただろう。
イララは報告しながら、カイリが困惑してしまわないか、と憂慮していた。が、彼女はまったくそのような素振りを見せずに対応した。
「―――ふんふん。採掘を停止させていた魔物に、組合からの新たな提示案があった、と」
イララが報告した事をカイリは紙にまとめて書き起こしていく。
国事に予定外、はつきものだ。いざ予定外に突き当たった時にどのように対応するか、が重要である。
現国王に女王なるよう推されている、お祖母様のその処理速度は流石としか言いようがない。
「・・・・・・色んなことが起きちゃってたんだねえ。まあ、でも組合の提案に関しては国王様たちにも診てもらう必要があるかな」
と、彼女は報告内容を簡潔に綴った紙を二つ折りにして、机の引き出しに仕舞った。おそらく次の謁見時に国王に諸々の判断を仰ぐつもりであろう。
「ネクシスも、突然のことだったのによく討伐してくれたねー」
「・・・・・・突然のことは誰かさんのお陰で慣れていたので」
いつの間にか茶髪から本来の黒髪に戻っていた青年は半ば皮肉を口にした。
皮肉の意味を汲み取れているだろうカイリは悪戯に訊く。
「誰かさんって、誰のことかな?」
「誰でしょうね」
ネクシスが白けた顔でそう言っていると、今度は隣に座るイララに質問が飛んで来た。
「イララは誰だと思う?」
「さっ、さあ・・・・・・?」
「そっかあ。じゃあ、わたしが知らない人だね!」
イララよりも幼子のような性格の、もう一人の王女は元気に知らんぷりをする。無邪気な主を前に青年は我慢できずに言った。
「カイリ様のことですけど」
「わたしのことなの?」
「八割は急に言い出してくるじゃないですか」
はあ、とため息交じりに指摘する青年を前にカイリはかぶりを振る。
「いやいや。わたしはものを頼むときは、いつだって相手の事を考えてるんだから」
まあ、実際彼女は他人が思っているよりも考えている。それは間違いではない。
未来でまだカイリがお祖母様として生きていたときから、イララは彼女を見てきた。そして過去に来たことで過去のカイリも見ることができた。
過去と未来、どちらのお祖母様も私は近くで観察している。そして両方のお祖母様を加味して感じたことがあった。
カイリ・ユウ・フォールという人間は賢く、底知れない器量を持っていることを。
過去がどうであろうと、未来では一国の女王なのに変わりはない。
しかし、それほどの器量は持っているのにそれを表に現そうとしないのだ。
「なんで、カイリ様はその性格が抜けないんでしょうね」
「失敬な。国王様の前ではちゃんとしてるよ」
「・・・・・・そうなんですか?」
「たしかにそうですけど、国王様以外でもちゃんとしてください」
「そうなんだ・・・・・・!」
てっきりお祖母様は、誰が相手だろうとあの性格をさらけ出しているのかとばかり思っていた。国王様・・・・・・私の大お祖父様、の前で話すお祖母様はけっこう見てみてみたいかも・・・・・・。
「あはは、善処するよ~。ってそれよりも・・・・・・」
「ひゃあ!?」
と、善処するのか甚だ疑問なカイリはイララの横に飛び込んでから、抱きついた。
「今日は離さないからね~。君との話、とっても楽しみにしてたんだから」
「ふっ・・・・・・、私もです」
「そうなの? 嬉しいなあ」
「では、お茶を入れましょうか」
二人の王女のやり取りに微笑を浮かべたネクシスは、お茶を入れるため立ち上がろうとする。瞬間、その言葉を待っていたかのように声がした。
「―――お茶ならここに用意してあるわよ」
口調からして女か、と一瞬戸惑ったが、これは男の声だ。声の方を見やると、そこにはお盆を片手に肩ほどの茶髪を揺らす男がいた。
使用人ではないみたいだが・・・・・・ネクシスかお祖母様の知り合いだろうか。
お茶を入れようと立ち上がったネクシスが言った。
「スキャル様。王城にいらしていたんですか」
「えぇ。カイリちゃんとはついさっき会ったばかりだから、その質問は二回目ね」
男性にしてはハイトーンな声を響かせて、彼は片手に持ったティーカップを私たちの前に置く。
先刻会っていたというカイリは男の顔を見上げた。
「手土産は?」
「このお茶よ。ドリネスにしか生息しないセイレンバナの茶葉を使ったお茶」
「おおー、ありがとう。かなりレアな茶葉持ってるね」
カイリはパチパチと拍手をしてからカップに口をつける。
ドリネスとはフォール王国のざっと北東に位置する地域のことだ。あそこは栄養豊富な土が多く、肥沃な土地が広がっている。そのため、国で出回る作物のほとんどがドリネスが出荷源であった。
セイレンバナはそのドリネスを主として生息する花で、赤い見た目もさることながらなにより香りが良いと評判らしい。だが、その葉っぱが茶葉になるとは初耳だ。
「セイレンバナの茶葉なんてあるんですか?」
お互い名前も知らないのに、男は自然な動作で自分のカップを持ち上げて答えた。
「あるわよ。・・・・・・といってもあんまり出回ってないんだけどね」
「そうなんですか? こんなにいい香りなのに」
「色々と出回らない理由はあるらしいけど、一番は葉に毒があることみたいよ」
「えっ!?」
イララは今まさに飲もうとした時に言われ、カップから手が離れそうになる。
葉に毒があるということは、このお茶自体が毒と言っているようなものだ。しかし、男は苦笑して訂正した。
「ああ、ごめんなさい。別にこのお茶に毒が入ってるわけじゃないわ。毒があるのはあくまで茶葉に加工する前の葉っぱよ」
「えーと。たしか、火で炙って毒を分解できるんだっけ?」
「ご名答よ、カイリちゃん」
と言って男はイララたちの反対側の椅子を引く。
これまた珍しい呼び方をする人が来たものだ、と考えながらイララはカップを口元に運ぶ。
「・・・・・・!」
透き通る琥珀色のお茶で、近づけると花の香りが優しく鼻をなでてくる。しっかりと苦みはありつつ、喉を通ったあとは舌に花の甘みが漂う。まったく不快感がない、上品な味わいだ。
「どうかしら? 気に入ってくれたかしら?」
「はい。とても、美味しいです」
「・・・・・・これはお菓子にも合いそうですね」
「あらそう? なら今度また持って来るのもアリね」
ネクシスのお菓子のことも知っている。この男はかなりお祖母様たちと親しい人物のようだ。どこか女性らしい仕草や口調を含めて特徴的な男だが、悪い人ではないだろう。
などとイララが考えていると、男は訊く。
「ところで、あなたがイララちゃん?」
イララは言われ慣れていない呼ばれ方をされ、思わず「はっ、はい」とぎこちない返答をする。
「ふふ、そんなに固くならないで。今日はあなたと会ってみたくて、王城に来ちゃったの」
「会ってみたい・・・・・・?」
「あなたが『魔力』で未来から来たことはカイリちゃんから聞いたわ」
この人もやっぱりそれだ、とイララは思った。私を未来から過去にやって来させた『魔力』は相変わらず人をおびき寄せる。それだけ珍しい事案なのは分からなくもないが。
お祖母様は人が過剰に集まる可能性を危惧して、私の存在は公にしないつもりだと言っていた。その中で私が未来から来たことを話しているのならば、この男はそれだけ信頼の足る人間なのだろう。
イララと視線が合うと、男はにこっと笑って言った。
「自己紹介をしてなかったわね。アタシは、スキャル・ノウブ、名前で呼んでちょうだいね」
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