第14話 怒り

 あの日は酷い日だった。

 王の命でガネク伯爵家の領地が移されてから、まだ一月と経っていなかった頃。

 私を含め、ガネク伯爵領の領民は天災に襲われた。


 骨も凍てつくほどの強烈な寒気。

 まともに家を建てられるような状況ではなかったその時、私たちは簡易的なテントでその寒気を耐えようとした。

 どうやらフォール王国には熱を発生させ周囲を温める道具があるらしいが、当然我らは持っておらず大量に死人が出た。

 

 その死人のほとんどは余生を自由に生きる老人ばかりで、齢故に脆くなった身体が寒気に耐えられなかったのだろう。

 しかし、この我が内に秘めるどうしようもないくらいの激しい怒りは、王家が領民を見殺しにしたからだけではない。あのとき私は領民とともに最愛の妻をも喪った。

 声が枯れるまで叫びたくなる、我が身が狂うほどのこの衝動は「彼女」が私の前から居なくなったからだ。


「・・・・・・っ」


 「彼女」がそこに居なくなった瞬間は今でも鮮明に覚えている。

 寒気に身を侵され、だんだんと呼吸が小さくなっていく。握っていた冷たい手は時が経つほどさらに冷たくなっていく。

 今にも命が消えそうな掠れた声で、私の名を呼んだその瞬間、「彼女」はもうそこには居なくなっていた。


「ああっ! あぁぁ・・・・・・」


 ひとたび二年前のあの光景を思い返すと、心臓がうるさく鼓動を打ち鳴らす。


 ―――本っ当に・・・・・・。


 最悪の時期に領を移せと命を出してきた王には、腸が煮えくり返るくらいの怒りが湧き上がってくる。


 なぜ我らの管轄領をこんな死地に移した?

 なぜあの時期にその命を出した?

 なぜ領民を見殺しにするようなことをした?


 たが、答えがなんであろうと、なんと言い訳をされようと関係ない。王には・・・・・・王家には相応の裁きを下す。そうしてようやく「彼女」の死も浮かばれるだろう。

 私はそのために領地の発展の傍ら、一年かけて金と武器とそれに見合うだけの武力を貯めてきた。


 ―――私は王家を滅ぼし、この国の王座に座る。


 王家に対抗するだけの力は既に蓄えた。あとは反逆を実行するだけだ。


 そう考えていた矢先、あの噂が王都で流れ始めた。女が王座につくことを認められていないグロリアにおいて、現国王夫妻の間に産まれた御子が男児ではなかったという噂だ。

 最初は噂だけでも十分に叩く隙が出来たと好都合だった。だが、噂が流れ始めてから、なおも御子の性別は明かされず、国民は王家に不信の念を抱くようになっていった。

 ただの噂は事実となっていった。


 これは王家に対する神からの罰なのだ、と私は確信し、同時に思った。この出来事は王家を滅ぼすための、他ならぬ絶好の機会であると。


 父上にも協力を仰ごうかとも考えたが、こうなった今もう必要ない。後継ぎがいないグロリア王家の権威など地に落ちたも同然だ。

 堅物の言うことを聞く耳も必要ない。父上はやけに王への忠義を持っておられるが、私にそのような忠義はない。

 あるのは怒りと殺意。

 この抑えきれぬ感情は止められない。


 と、男が感極まり口を歪ませていると。


 ―――カタッ


 夜だというのにランプの一つも持たない、人影が部屋の外に映った。


「・・・・・・戻ってきたか」


 男はその人影を招き入れる。

 身体と顔の約九割が黒い外套で隠れている細身の人間だ。しかし、時折外套の隙間から見せる腰には命を刈り取るだけの短剣が仕込まれていた。


 この人間は男が一年前に雇った暗殺者であり、王城へ仕向けた諜報員でもあった。

 顔も名前も知らない人間だが、雇い主の命令には忠実に従うそこそこ有能な暗殺者だ。

 

 一年前に雇ってから、諜報員としてグロリア王城に潜ませている。なにか成果報告があれば、雇い主の私の元に報告しにくる。

 案の定、報告があると言わんばかりに、ある紙片を乱雑に机の上に置いた。


 ずいぶんと古ぼけた紙片で内容がすぐには読み取れない。持ってきたからにはこいつは内容を確認済みだろう、男は訊いた。


「・・・・・・おい。これはなんだ?」


 男が訊くと、顔を見せない暗殺者はやけに掠れた声で答えた。


「これらは、グロリア王家の系図だ」

「なに!?」


 予想していなかった答えに男はすぐさま紙片に書き連ねられた文字を読み解く。

 紙片には端から端まで王家の名前が規則的に記されていた。


「お前、何処でこれを?」


 普通、王家の系図は貴族には公開されず、王と王が信頼を置く者にのみ公開される。王城の何処かには記録が遺っていると父から聞いたことがあったが、それが何処かまでは分からなかった。


「・・・・・・王家の資料庫だ」

「なるほど、あそこか。資料庫の鍵は王か、宰相しか所持していなかったな・・・・・・」


 だが資料庫には、国の人口の推移や領土の増減の記録があるとだけ聞いている。

 資料庫にある記録はそれだけかと錯覚していたが。重要な記録が盗られないように、敢えて資料庫に系図を紛れ込ませ、資料庫にあることを伏せていたということか。


「・・・・・・ん? となると・・・・・・」


 こいつが系図を盗み出せたのは、誰かが資料庫に入ったからに違いないが。それは、鍵を所持する者、王か宰相しかいない。

 男はどこかで聞き覚えのある声の、諜報員を見やる。


「資料庫に誰かいたんだろ? 誰だ?」

「・・・・・・宰相レンラント・ガイズが一人で資料庫に入っていった。そしてこの系図を探し、読んでいた」

「宰相か・・・・・・」


 王に仕える臣下の内、最も厄介な人間だ。実際、我が国ながら、宰相以外の臣下はその地位にあぐらをかく無能しかいない。

 私が遂行しようと試みている計画の中で唯一つの障害になるだろう男。あの宰相が系図を閲覧したのには意味がない訳が無い。


 男はもう一度系図を注視する。

 わざわざ系図を閲覧したというのなら、レンラントはおそらく王座を継ぐ者を探したのだろう。現王には男児を産むことを期待していない。ならば、王位継承権を持つ人間・・・・・・男児を探すしかない。

 雇った諜報員が盗み出してきたのは、過去三十年間までの記録が綴られた部分だ。とうに廃嫡した人間の中には私でも知らない名が多々ある。


 だが、宰相は王座を継げるだけの若さがある者を必要とするはず。

 だからこそ諜報員も三十年分の記録だけを千切ってきたのだ。

 

「―――ネクシス・タナ・グロリア」


 条件にことごとく当てはまる名前を見つけ、男は思わず声に出した。


「ホントにいたのか・・・・・・。王座を継げる人間が」

「・・・・・・」

「・・・・・・まずいな」


 男はチッと舌打ちをして、眉毛を顰める。

 現状、グロリアは反王家派の貴族が王家派を抑圧している状態だ。もし、この人間が王座についたらその勢力関係は一気に崩れ去る可能性がある。ひいては私の計画も遂行が困難になる。

 計画は必ず遂行する。だがそのためにはいくつか手を打たねばならないということだ。


「・・・・・・おい」

「何だ・・・・・・?」

「お前は宰相の動向に注意しておけ、動きがあったらまた私に知らせろ。そして、可能ならば―――」


 冷酷かつ無表情で男は言い放った。


「宰相を殺せ」

「・・・・・・解った」


 動揺の一つも見せない暗殺者は、掠れた声でただ返事だけをしてまた闇に消えていく。

 その残影を見届けてから男はまた思案する。


 宰相への根回しは済んだ。なにか動きがあれば確実に殺す。

 レンラント・ガイズは有能な臣下だった。今までは表立って敵対しない限り、彼は暗殺しないと決めていた。だが、王座が復権される恐れがあるならば、そんな悠長に慈善を語ってはいられない。


「・・・・・・私の計画は誰にも邪魔させない」


 王座を奪い、私の手中に収めるまでは、命を取ることなど惜しくない。それにこれは伯爵領の民を見殺しにした王家も同じことだ。


 男は自分の身体に力が入っていることに気づき、ふう、と息をつく。

 まだだ、まだ感情的になってはならない。


 さて他に残ったのは、ネクシス・タナ・グロリアという存在だ。この人間も王家の血を引いている以上当然殺すが、見たところ少々分が悪い。

 系図に記されている記録を読むに、この者はグロリアの王位継承権こそ無いものの、同時に隣国フォール王国の公爵家の人間らしい。かつてのグロリアと同等の軍事力を有すフォール王国が相手ではまず簡単には殺せなさそうだ。

 

「・・・・・・」

 

 昔からグロリア王家と親交が厚いフォール王国は、グロリアで内戦が起きればきっとグロリア王家に加勢する。私が王座についたとしても相容れない国となるだろう。

 なら事後の関係は視野に入れなくても問題ない。遠慮せず敵視しておいていい。

 ならフォール王国に真っ向から攻めて無駄でも、ネクシス一人を連れ出す策は今のところ一つある。

 

 敵対視される前にフォール王国に潜入しておき、ネクシスの家族か親しい人物を人質として拉致する。これが最も成功率と効果が高いであろう策だ。

 大抵の人間はこれで、こちらの言うがままの状態になる。このネクシスという男に対しても余程タガが外れていなければ、それだけで大いに揺さぶりを掛けられる。


 ただ、考えどころは・・・・・・。

 誰を人質にとるかというところだ。ネクシスはグロリア王家の血を引いているが、産まれたのは当時の王女がフォール王国の公爵家に嫁いでから。

 私も今の今まで知り得なかった人物であり、ネクシスを揺さぶるに最優の人質に、誰をとるべきかはまったく解らない。


 と、そこで次期ガネク伯爵は狂気じみた口の緩みをしまい、策を練る自身の思考を止めた。


 いや、すでに私は分かりきっているだろう?

 ネクシスを連れ去るための人質は、これ以上とない適任者がすでにいる。


 ―――彼の母がうまく使える。


 彼の母は、元はグロリアの王女だった。これならフォール王国に対しても強力な抑止力になる。グロリアと親交があるフォール王国はその王女の命が掛かっていると分かれば下手に手を出せない。


「いいじゃないか・・・・・・!」


 これですべての策を練り終わった。

 そしてもうすぐだ。もうすぐでグロリアを滅ぼせる日は来る。


 男は怒りにも似た高揚を覚え、雨降る中馬車に乗った。



 


 




 


 



 



 

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