第22話 敵は・・・・・・
イララたちは四日前からユウリル砂漠へ赴いていた。
熱砂が広がり、容赦なく陽光が照りしきるそこは、耐性がないイララからするとまさに地獄だった。
幸い、初代国王の手記に記されていた通りの場所に井戸があり、水源探しは半日で終わった。
もしそこに無かったとしても日帰りで王城に帰れることになっていたのだ。この遠出も一日限りのものになるはずだった。
―――だが・・・・・・。
「あのー、お祖母様。もう帰りませんか?」
イララは呆れたように自分の体に抱きついているカイリに言った。
「やだっ! まだこうしてたいー!」
カイリは年相応らしからぬ駄々をこねる。
ぴとりとくっつかれてから、かれこれもう三日経っていた。
見かねたスキャルはカイリを引き剥がそうと腕を引っ張る。
「ちょっと、カイリちゃん。さすがに帰らないとまずいわよ」
しかし、いくら引っ張ってもカイリはイララから離れようとしない。
「ふんっ、わたしは王女だもんね~。それに国王様にも一日で帰るとは言ってないもん」
「・・・・・・ハァ」
抱きつかれているイララは、頭を抱えるスキャルを横目に苦笑しながら手紙を書こうとする。宛名はネクシス・ショウル。
お祖母様がこのようになってしまった二日前にも、一応帰れなくなった旨の手紙は出したが、長引いたのでまた出すことにしたのだ。
今私たちがいる場所はユウリル砂漠のすぐ近くの(といっても森で隔てられている)町の宿の一室だ。
一日で王城に帰る予定だった私たちがなぜこの宿にいるのかというと、事の発端は王城を出る直前に遡る。
私たちは三日前、予定通りに王城を出ようとしていた。
だが、お祖母様と私の二人で王城を出ようとすると、スキャルが遅れて、「アタシも一緒に行くわ」とやって来たのだ。
私としてはまったく構わなかったが、お祖母様はひどくショックを受けていた。すっかり私と二人で行く気だったようで、スキャルが来てから、二人の時間を奪われたと拗ねてしまった。
そして拗ねた結果、一生くっつかれるようになってしまった。
嬉しいけど、少々愛が重たいような気もする。
そう考えながらイララがペンを持ち上げると、
「あっ、イララちゃん。その必要はないわよ」
スキャルは手紙を書くのを止めてくる。そして代わりに私たち宛に送られてきたと思われる手紙をひらひら揺らした。
「その手紙って・・・・・・」
「ネクシスちゃんからよ。ついさっき送られてきたものね」
「ネクシスから・・・・・・!」
イララは笑顔になってペンを置く。
二日前に彼に手紙を送ったとき返事の手紙が来ないから無視されたのかと少し不安だったが。やうやく返事の手紙が来たようだ。
ここから王城までは半日とかからないくらいの距離だ。届けるまでの時間が長かったわけではあるまい。
「 手紙にはなんて書いてあるの?」
「それを今からみんなで読みましょう」
カイリは変わらずイララに抱きついたまま微動だにしない。スキャルは引き剥がすのを諦めて手紙を開けた。
二つ折りで丁寧にしたためられたそれは、イララからは何も見えなかった。
すると一人だけで読んでいるスキャルの形相が読み始めてから徐々に険しくなっていった。
最初は説教事がつらつらと書かれているのかとも思ったが、スキャルの険しい形相はそれとも少し違う。説教などと生やさしいような雰囲気ではない。
イララは怖くなって遠慮がちに訊いた。
「・・・・・・ねえ、何が書いてあったの?」
「・・・・・・・・・・・・」
スキャルは答えず、無言でその手紙をイララに渡した。
「・・・・・・?」
何事かと思いながらイララは渡された手紙に書かれた文字を恐る恐る読む。一体何が書いてあったのか。
イララがそう思った瞬間―――
「え・・・・・・?」
彼女は思いもしなかった驚きを掠れた声で漏らした。
◆◆◆
ガタゴト、ガタゴトと険しい山道に馬車が激しく揺れ、自身の身体も左右に上下に止まること無く揺れる。
張り詰めた空気に煩い心臓、それらに一挙に襲われている自分には、馬車の揺れ動きが心地よく感じられた。
最悪の幕開けから一時間、ネクシスとレンラントはフォール王国を出て、グロリアの王城に向かっていた。
敵の狙いは明らかにネクシスの命。だが、決して自暴自棄になったのではない。これもすべて国王とレンラント、そしてネクシス自身の策の内である。
グロリア王城の不当な占拠、ショウル公爵夫人が攫われたとの報告が入った後で彼らはすぐに策を練った。
どうグロリア王城を奪還するのか。
公爵夫人を犠牲に回さず、どうやって反王家派貴族たちを拘束するか。
彼らにはとにかく時間が無かった。
悠長にしていると、人質が殺されてしまうからだ。報告を受けてから次の行動までの時間差があるとそれだけ敵に余裕を持たせてしまう。
ゆえに彼らは今持てる最大限の知恵を活かし、案を出し合って一つの大きな策を完成させた。今はそれを実行している。
罠だと解っていながらネクシスがグロリアに向かうのは、その策の中にそのような段階が組み込まれていただけに過ぎない。
敵方の狙いはネクシス一人だけにある。また、ネクシスはそこらの兵士とは比べ物にならないくらいの強さを持っている。敵方の本拠地に乗り込み、生きて帰ってこられる可能性があるのは彼一人だけだ。
だからそれを利用する。
狙いが解りきっていたとしても逃げ腰になってはそれこそ敵の思うつぼ。だから彼はいっそのこと自分から出向くのが、母を救ける唯一つの近道だと考えた。
策は実行に移り、あとはその流れに身を任せるだけだ。
・・・・・・そう考えると、あの時イララ様たちがフォール王城から離れていたのは本当に良かった。
一ヶ月間一緒に過ごしてみて分ったことだが、なぜかイララ様は人一倍他人の心配をする。俺がこうしてグロリアに行くとなったら、きっと止められていただろう。
―――あの手紙はちゃんと届いてくれているのだろうか。
ネクシスは思いを巡らせる。
王城を出る前に送った手紙に大まかな状況は書いておいた。彼女たちが王城に戻ってきた時に俺はいないだろうが、カイリ様がうまくイララ様を導いてくれるはずだ。
国王が「状況を伝えよ」と頼りにするくらい彼女には『 王』としての才能がある。幼い頃から近くで見てきた俺でもその才能は未だ末恐ろしく感じる。
・・・・・・だがそれもイララ様にベッタリの状態から正気に戻ってさえくれればの話だ。今はとにかく策に反した動きをしないことを祈るしか無い。
ネクシスはそう祈りながら馬車がグロリアにつくその時を待った。
◆◆◆
ネクシスとレンラントがグロリア王城に到着した時、すでに城都は民の姿が見られずしんと静まり返っていた。
おそらく民たちは皆それぞれの家に避難し、戦いに巻き込まれないようにしたのだ。
戦った痕跡は無く、血が流れた様子も見られない。反王家派貴族たちにとってあくまで倒すべき敵はグロリア王家だけだったのだろう。それに、何より民たちが死んでは国は成り立たない。
反乱を起こした逆賊といえど、そこのところはよく理解しているらしい。
しかし、人っ子一人いない城都はもはや街とは呼べないくらいに静かで、虚しい空気が漂っていた。
「・・・・・・・・・・・・悲しいな」
これが、初めて俺がグロリアに来たときの思い出になる。街の通りは活気がなく、生気が感じられない。
どれもこれも、民たちのせいではない。こんな街になってしまったのは、全て王城を占拠した反王家派貴族のせいだ。
だが願わくば、俺はいつもの明るいグロリアである時にイララ様やカイリ様たちと来てみたかった。こんな形で母の故郷に来たくはなかった。
そんな城都を眺めながら馬車は王城の正門前で停止した。
ネクシスは失意のままに馬車をおり、無言でグロリア王城を見上げる。
以前カイリ様に、グロリア王城とフォール王城はそれぞれほぼ同時期に建てられたものだということを聞いたことがあった。
両国はお互い建国当初から関係を深めてきたこともあり、内部構造や壁と屋根の上に高々と刻まれている王家の紋章以外の城の外観はかなり似ている。
そして城都では見られなかった激しい戦いの跡が王城には至る所に見られる。壁には亀裂が入り、一部崩れている。
さらには城だけでなく、全身を銀の鎧で覆った兵士と思しき人間の死体もいくつか転がっていた。
レンラントが準備していた防衛体制はたしかに破られてしまったのだ。
レンラントはその兵士の死体に歩み寄ろうとはせず、しかし無念そうに言った。
「・・・・・・王城の中へ入りましょう」
二人が王城へ入ろうとすると、数人の兵士が中から飛び出してきた。そして囲うように剣を向ける。
「貴様ら、ここに何の用だ」
死体の兵士が着ていた鎧とはまた違う型の鎧。彼らが着ている鎧はよりくたびれている。
やけに使い古された鎧だ。
この兵士らは敵方の兵士で間違いないようだが、何か違和感がある。どうも貴族に仕える兵士とは思えない、異なる風格が漂っていた。
ネクシスは本気で剣を突きつけられる前に口を開いた。
「フォール王国公爵家、ネクシス・ショウル。と言えば分かるか?」
「・・・・・・ネクシス、ショウルだとぉ?」
ネクシスが言うと、兵士たちは仲間内で何やら話し出してから剣を引く。
「はっ、なんだぁ? お前ら本当に来ちまったのかよ」
「お前らのことはあの貴族サマがお待ちかねだぜ」
「・・・・・・あの貴族、だと?」
王城の中にいる時点で反王家派貴族のことだろうが、それが誰なのかはわからない。俺を待っている、ということは母を攫った貴族に違いないが。
「おい、その貴族の下へ案内しろ」
「っと、そんなに睨むな。言われなくてもお前らは連れてくるよう指示されてるからな」
「殺気をしまってくれ。オレらは、少なくともまだアンタらと殺り合う気はねぇよ」
と、兵士たちはいつでも抜刀できる位置に手をおいて二人を王城の中に入れた。
「・・・・・・・・・・・・」
王城の中もやはり戦闘の痕跡が見られたが、ネクシスはそれ以上に自分の中の違和感に注視した。
使い古された鎧を纏い、やけに戦闘慣れしている兵士。
この兵士たちは普段警護にあたっているだけの人間ではない、むしろ実践的な戦闘を日々積み重ねた熟練兵に思える。つまりこいつらは・・・・・・。
「・・・・・・傭兵か」
小さく呟くと、どうやら聞こえていたらしく前を歩く傭兵が反応した。
「くっくっ。アンタ、よく解ったな」
「・・・・・・」
「そうだ。オレらは傭兵だよ。しかも貴族サマはオレらの他にも傭兵を雇ってやがる」
どうりで王城が落とされるまでの手際がよかったわけだ。
彼ら傭兵は依頼者も依頼場所もその多くは選ばない。何処にどんな依頼で傭兵がいても、まず不思議ではない。
だからこそあまり注目されず、国に敵が入ったのにそれに気付けなかったのだろう。
前を歩く傭兵は哀れみを向けるがごとくネクシスを見る。
「アンタらも最難だな。あんだけの傭兵を敵に回されて、戦っても確実に死ぬぞ」
その言葉をネクシスは無視しようとした。
だが、その前に彼らの目の前には行き止まりともいえる巨大な扉が待っていた。
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