第29話 奇跡

 グロリアの内乱が落ち着き、イララたちは最後の障害にぶつかった。

 それはネクシスの母親。

 リニア・ショウルの余命のことである。


 「諦めるなら全部の手を尽くしてから」

 イララはネクシスとそう約束していた。

 グロリア王国の内乱が終結し、アウデラは長らく療養地として住んでいたシェリヤナクを出て、フォール王国城都近くの別邸でその身をおいている。

 今回は辺境ゆえに容易に攫われてしまった。緊急時にいつでも護れる場所にとネクシスが療養地を移させたそうだ。


 しかし楽観もしていられない。

 彼女の余命は、先の内乱で攫われ劣悪な地下牢獄に閉じ込められたことでさらに短くなってしまっていた。

 もはや助かる方法を探している猶予もなく、ネクシスとイララ、そしてカイリはリニアがいる別邸に向かった。


 別邸はフォール王国城都の正面門に繋がる大街道から一本脇道にそれ、広大な草原が広がる土地にあった。

 シェリヤナクの別邸とは違い、こちらの別邸は城都にいくつもある民家のような大きさだ。

 公爵家の別邸にしては少し小さい。

 邸内にも使用人は一人しか居らず、長年彼女に付き従うメイドのみ。


 別邸に着くとそのメイドが出迎えに待っていた。


「お待ちしておりました。ネクシス様に王女様方」


 メイドは五十代前半の女。

 彼女はネクシスが産まれたときからリニア付きのメイドとしてショウル公爵家に仕えていた。


「久しぶりでございます。元気にしておりましたか、ネクシス様」

「・・・・・・ああ。十年ぶりくらいか?」

「そうですね、ちょうどそのくらいかと」


 本当に久しぶりの顔だった。

 母が別邸での療養に入る以前は、母付きのメイドということもありほぼ毎日顔を合わせていた。

 少々老けたような気もするが、これは口にしてはいけない禁句だろう。


 その言葉を呑み込んでネクシスは訊いた。


「母上は・・・・・・?」


 母付きのメイドは主を案じるような目で邸内の二階を見上げる。


「最近は、室内すら自由に歩けず自室のベッドで一日中眠っておられる状態です」

「・・・・・・食事は?」

「食事も、食べられる時は食べるんですが・・・・・・。たまに食べ物を飲み込むとその衝撃で全身が痛くなるようで」

「・・・・・・あまり食事もできていないのか」

「・・・・・・・・・・・・はい」


 そう、昔から母はときどき食事ができないほどの痛みに襲われることがあるらしいのだ。

 ひとえに体が弱いと言っても、母の場合常に全身が痛いようで、その苦痛が今まで母の余命を削ってきた。


「グロリアに連れ去られてから、症状は酷くなるばかりだとおっしゃられておりました」

「・・・・・・そうか。分かった、ありがとう」


 ネクシスが礼を言うと、メイドはふるふると首を横に振ってから返した。


「この十年近く、言葉には出さねどリニア様はネクシス様に会いたがっておりました。なので御母上との時間、大切にしてください」

「・・・・・・分かってる」


 メイドは穏やかな顔で頷き、王女たちの方を向く。


「では、王女様方、何かあればお知らせください。私は庭におりますので」

「はい。わかりました」

「ありがとねー」


 王女たちがお礼を言うと、ネクシスは無言で別邸内に入っていき、イララとカイリはそれに何も言わずついて行く。


 彼にも思うところはあるのだろう。

 グロリアの内乱において、意図してやったのではないにせよ自分のせいで母を危険に晒してしまったのだ。

 どれだけイララやカイリがその行為を間違いではないと肯定しても、自分の胸の奥では結局間違いだったと考えてしまう。

 

 別邸内は落ち着いた雰囲気で花の香りが漂っていた。部屋のいたるところに花瓶が置かれ、花がさしてあった。


「ネクシスのお母さんってこんなに花好きなひとだったっけ?」

「・・・・・・いえ、そんなことはないと思いますけど」

「じゃあこの量いくらなんでも多すぎじゃない?」

「・・・・・・・・・・・・」


 ネクシスには分かっていた。母が沢山の花を置く理由は、考えずともすぐ分った。

 ヒヌユナ、タソハユ、ハカタネハナカ。

 邸内に飾ってある花はざっとこの三種類。

 そして、この花のどれもが咲いてから散るまでの期間が短い。適切な温度と水分量を保たなければすぐに散ってしまう。


 母は花と自分を重ね合わせているのだろう。

 そしてその花を多く飾るのは、おそらく自分が死ぬ時に寂しくないようにするため。

 自分と同じ、仲間に傍にいてほしいのだろう。


 ネクシスは両手にぐっと力を入れた。

 母にとって死に際で心を寄り添おうとするのは実の息子の自分ではなく、花たちだということだった。

 いつからこんなにも母は孤独に過ごしていたのだろう。

 俺は俺でそんな母のことを早いうちから諦め、挙げ句にはもう会わないつもりでいた。


 あまりにも愚かで、酷すぎる。

 今の俺も、昔の俺も。


 そう考えている間に母のいる部屋の扉に着いていた。

 ネクシスは立ち止まった。


「・・・・・・・・・・・・」


 グロリアの地下牢獄のときは話せなかったが、今度は話せる。

 だが、この扉を開いて母に会ったとき俺はどんなことを話せるのか、と嫌でも考えてしまう。

 

 扉に手を伸ばせず立ち竦んでいると、イララが隣に立って言った。


「大丈夫だよ。いつものネクシスで」

「・・・・・・そうですか?」

「うん。さっきの人も言ってたでしょ。言葉には出さないけどネクシスに会いたがってた、って」

「・・・・・・・・・・・・」

「それに、どうやらお祖母様が何か考えがあるらしいしね」


 するとカイリも同調する。


「そうそう。早く入りな〜」

「いつものネクシスで、この時間を大切にして」

「・・・・・・わかりました」


 ネクシスはゆっくりと扉を開く。

 開こうとした瞬間、その時間がやけに長く、緊張した。

 

 扉を開いた先で待っていたのは、外の景色を見つめる母だった。

 窓は開かれ、さあっと小風が吹き抜ける。


「・・・・・・母上」


 ネクシスは母を呼ぶ。

 こうして落ち着いた時間で母を呼ぶのも何年ぶりか。

 呼ぶと母は顔をこちらに向けた。

 

「久しぶりね。ネクシス」


 透き通るような、それでいて暖かい声。

 母の声だった。いつかに聴いたばかりだったあの声が今はとても大切に思える。

 

「・・・・・・っ」


 ネクシスは思わず涙をこぼしそうになる。

 こぼす前に必死に涙を止められたかと思うと、母は微苦笑した。


「あらあら、大丈夫?」

「・・・・・・っ、だい、じょうぶです」


 目に熱い涙が溜まっていく。

 拭いても拭いても溢れてくる。視界はその水でグラグラになっていた。


「大丈夫じゃないわね。・・・・・・こっちに来なさい」


 母は自分の横に来るようベッドをポンポンと叩いた。

 ネクシスは溢れてくる涙を拭いながらそこに座った。


「すこし、お話をしましょうか。これまでできていなかった分も」


 と言ってリニアは息子の頭を優しく撫でる。

 その様子を扉の近くで見ていたカイリはコソッとイララに耳打ちした。


「わたしたちお邪魔っぽいから、一回でない?」


 そう言われ、イララはネクシスとリニアの姿を見やる。

 ―――もう、大丈夫だよね。

 と思うとイララは頷いた。


「そうですね」


 イララたちが部屋から出ていくと、幼子のような泣き声が数分間止まらず聞こえてきた。



            ◇◇◇

 


 部屋を出てから三十分ほどして、イララたちはまた部屋に入った。


「お話は終わった?」


 カイリが訊くと、リニアは満足そうに微笑む。

 部屋を出てからイララたちは暇を持て余していたが、親子の会話に水を指すようなことはしなかった。

 扉の前に張り付いて盗み聞きなど(カイリはしそうになった)も一切せず、ただ待っていた。

 

 リニアは微笑みながら言う。


「カイリ様・・・・・・とイララ様。ありがとうございます。おかげでネクシスとゆっくり話すことができました」


 カイリは二回三回と嬉しそうに首を縦に振る。


「うんうん。それはなによりだよ」

「あの・・・・・・」

「ん? なになに」

「・・・・・・何か秘策があるんでしょう?」


 今度はイララがカイリにコソコソとしながら訊く。

 お祖母様の秘策や考えはこういうときに限ってものすごいものが出てきたりする。


「もちろん、あるよ。だからさ・・・・・・」

「・・・・・・だから?」

「本人たちに訊きたいんだよ」


 カイリは真剣な顔でネクシスとリニアに改まって問う。


「ネクシスとリニアさん。今だけでも満足そうだけど、もっと話してたい? ネクシスはお母さんにこれからも生きていて欲しい?」


 いつものお祖母様の急な質問で彼女たちは一瞬きょとんとしたが、すぐに顔を見合わせ、答えた。


「はい。もちろんです」

「俺ももっと母上には生きていて欲しいです」


 と言うとカイリは笑顔で宣言する。


「じゃあこれからリニアさんの余命っていう概念をふっ飛ばそうと思います」

「・・・・・・え?」

「・・・・・・どういうことですか カイリ様?」


 お祖母様はさらっととてつもないことを宣言してしまった。


「水晶にお願いするんだよ」

「・・・・・・水晶に?」

「でも、アロス水晶の魔力はなくなったんじゃ?」


 しかしカイリはちっちっちー、と指を振る。

 

「たしかにイララのは無くなっちゃったけど、わたしのほうの水晶はまだ魔力残ってるよ」


 お祖母様の片耳だけ着けたピアス。

 あのとき地下牢獄で使った魔力はイララが着けた水晶の魔力分だけ。

 つまりお祖母様の方の水晶はまだ魔力を宿しているのだ。

 ネクシスは遠慮気味に訊く。


「でも、良いんですか? 自分のことじゃなくて」

「わたしはどうせ使わないからさ。こういう時に使わせてよ」

「・・・・・・わかりました。カイリ様良いと言うなら、それに甘えます」

「よしよし。じゃあリニアさん。覚悟はいい!?」


 カイリは半ば悪い人と勘違いされそうな声をかける。

 アロス水晶のことを知らないのだろう、リニアは何のことかと言う顔だ。しかし彼女はそれを気にせず魔力を発動させた。


 その瞬間、部屋一帯が金の光で満たされた。

 金の光は一瞬にして奇跡をもたらした。






 



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る