第3話 悪い顔
木々と草花がそよそよと揺らめき、天井から射し込む太陽に包まれ、イララは横たわっていた。
「・・・・・・ん、んん」
ゆっくりと目を開けながら起き上がる。
私は、寝ていた?
「それにここは・・・・・・って私、まだ父様から逃げてる最中だった」
そしてこの中庭を見つけ、隠れていた。すると突然お祖母様のピアスが光り始めて・・・・・・。
イララは自分の右手を確認する。
―――・・・・・・ない!?
なんと右手に握っていたピアスが二つとも無いのだ。
たしかに気を失う前は私の右手にあったはず。すぐ近くに落ちている可能性が高い。
焦る王女は手元を探るため顔を地面に近づけようとする。
耳元でシャラッとした音が聴こえた。
慌てて細い指で右耳に触れる。
「あ、あった。・・・・・・あれっ?」
安堵したのもつかの間、ピアスがつけられているのは右耳だけだった。二つ持っていたのに左耳にはなぜかついていない。
元々二つで一つの代物だ。片方だけでもなくしてはお祖母様に示しがつかない。
考える間もなく再びイララはピアスの捜索に戻る。
ピアス程の小さな物はこんな深く草が茂る場所で失くしてしまうと探すのは困難を極める。
だが諦めるわけにはいかない。
諦めるわけには―――
形見の捜索で一心になっていると、ふと背後から人間の声が聞こえてきた。
「大丈夫ですか?」
「へっ?」と突然のことで気の抜けた返事を返したイララは銀色の髪を大きく翻し、振り向く。
振り向くと目の前には眉目秀麗な男が立っていた。
王女は言葉が詰まりキョトンとした顔になる。
急に声を掛けられたことに驚いているのではない。ただ、目の前の男の顔が自身の記憶にないことに驚いてるのだ。
―――この人、誰? ・・・・・・わからない。
黒髪の・・・・・・使用人の服を着ていないことを見るに、王城に来ている貴族か、そんなところだろう。
偶然ここに行き着いたわけではなさそうだが、雰囲気的にも私を連れ戻しに来たわけでもなさそうだ。
でも、だからこそ不思議だ。
私は王城で催されるパーティーに王女として出席したとき、嫌というほど自国の貴族たちの顔を見てきた。
だがその記憶の中にこの男の顔は無い気がする・・・・・・。
先に静寂を破ったのは男の方だった。
「あの・・・・・・俺の顔に何かついているのでしょうか?」
男の口から発せられる言葉は細くも美しい。
天井から届く光を一身に受け、輝く黒髪に、吸い込まれそうな灰色の眼を兼ね備えた容姿は思わず魅入ってしまう。
「・・・・・・?」
「あっ、いいえ。あなたの顔には何もついてないわよ。ただ珍しい髪だったから」
「・・・・・・なるほど」
本当は顔があまりにも綺麗だったからつい凝視してしまっただけである。
男はさらに聞いてくる。
「それで、貴女はここで何をしていたんですか?」
まさか国王である父から逃げていたとは口が裂けても言えない。どうやらこの男は王城での騒ぎを知らないようだし。
「少し探しものを・・・・・・」
「探しもの?」
「えぇ。大切にしているピアスのもう片方がどこかにいってしまったの」
イララは右耳につけているピアスを指で持ち上げて言う。「そうですか」と男はピアスに視線を当てた。
「・・・・・・ちなみに、それはどこで買ったものですか? 良ければ俺に教えて頂けませんか」
「え? えっと、残念ながらこれはお祖母様から貰ったものなの。それに店で売っているものでもないわ」
「そうですか・・・・・・」
「・・・・・・?」
―――どういうことなのだろう。質問の意図がまったくわからない。
イララが内心で男の質問に戸惑っていると、男は驚くべきことを言った。
「貴女は・・・・・・ただの盗人ではないようですね」
私が、盗人・・・・・・?
わけが分からない。このピアスはお祖母様が亡くなってからずっと私のものだ。
誰かに貸したこともないのだが、この男はなにか勘違いをしている。
「・・・・・・盗人ってどういう意味?」
「そのままの意味です。そのピアスは我が主のものだ」
さらにわけが分からなくなった。
この男の言う主とは誰のことなのか。
まさか片方無いのと関係がある? ならば聴く必要がある。
「あなたの主って誰のことなの?」
男はすました顔で言う。
「そのピアスを所持している方は一人しかいない。我が主はカイリ・ユウ・フォール。この国の王女です」
「えっ・・・・・・えぇ!?」
「そんなに声を張り上げなくても・・・・・・」
いや、叫んでしまうのは普通のことだろう。
カイリ・ユウ・フォール。それは私のお祖母様の名だ。
既に故人のお祖母様がこの人の主?
「ここは死者の世界かなにかかしら・・・・・・」
「・・・・・・何を仰っているんです?」
この男の表情。とても嘘を言っている顔ではない。それによく観ると、この中庭を囲うレンガの表面が欠けていないし、苔もついていない。
なら私は、過去に来てしまったということになる。
「私のお祖母様もカイリ・ユウ・フォールという名なのだけれど」
「・・・・・・」
「本当のことよ」
「・・・・・・」
「本当にお祖母様が主ならあなたには信じられないかもしれないけれど、信じて」
「そうですか・・・・・・」
一瞬男の顔が揺らいだ。
少しだけだけれど分かってくれたのかな。と思っていると、男は微かに表情を緩めて私の髪に優しく触れる。
―――自分の口元まで寄せ、口づけをした。
「申しわけありません。主の命で少し貴女を試していました」
今まで誰にもされたことがなかった行為をされ、イララは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「へっ、え!?」
「数分前、貴女が起きる以前に突如カイリ様のつけていたピアスが片方、失くなりました。そしてあの方は私にピアスではなく、ご自身と同じ髪の者を探せと命じました」
「同じ髪・・・・・・」
「はい。この国にカイリ様と同じ髪色の人間はいない。あの方が言っていたのは貴女のことで間違いないでしょう」
この人、表情がまた何を考えているのかわからない、無表情に戻ってしまったけれど、確かにさっきこちらに微笑みかけていたのが見えた。
それにお祖母様がこの人に私を探せと言ったのと、最初から私だと分かっていながら質問されていたのだ。
これは、お祖母様に遊ばれた!
「どうかしましたか?」
「いや、悔しいというかなんというか・・・・・・」
お祖母様とは幼い頃、父様と話せない分何度も話したことがある。自分が床に臥せっているはずなのに、毎回私を笑顔にしてくれるような話をしてくれた。
お祖母様の性格は憶えているけれど、それは若い頃から健在だったのね。
「私はこれからどうすればいいの? お祖母様が他に言ってたことはありますか?」
「とりあえず見つけたら会いたい、と言っていたので貴女をカイリ様のもとへお連れします」
「まっ、待って! その・・・・・・会う前に着替えてもいい? ドレスが砂で汚れてて・・・・・・」
恥ずかしがる王女の言葉に頷き、男は手を差し出した。
「もちろん。先に来客用の部屋に行きましょう」
♢♢♢
イララが目覚める数分前、王女の私室からは話し声と盤上遊戯の音が聴こえていた。
「ねぇ、君はグロリアの噂って知ってる?」
「噂・・・・・・。知らないな」
フォール王国より三つの山を越えたところにある隣国グロリアの市井ではある噂で持ちきりだった。
現国王夫妻の間に産まれた唯一無二の御子が男ではなく女だという噂である。
すでに産まれるという発表がされてから一年は過ぎている。それなのにまだ産まれた御子が男か女かということが発表されていなかった。
王家が頑なに隠そうとする御子の性別にはなにか理由があるのではないか、と数人の民が放った言葉はすぐに国全域を巻き込む噂となった。
グロリア王家は代々直系の男児が王となる。今までに女王はおらず、婿をとって国王として即位させることは禁じられていた。
つまり、グロリアでは王家に女児だけが産まれるなどあってはならない事だとされてきたのである。
そしてそれが現実になった。
グロリアの噂は日に日に人から人へ伝播していき、やがて隣国のフォール王国にも広まった。
「そんな感じで、どうやらグロリアはまずい状態になってるらしいんだよね」
銀色の髪に整った容姿の王女は盤上の駒を動かしながら言った。
「へぇ。それは深刻だ」
向かい合って座る黒髪の青年は盤を見つめ、適当な返事を返す。
「わたしたちの国はともかく、グロリアは女王が慣わしで認められてないんだから」
「慣わしなんて捨てればいいものを・・・・・・」
「それが、そうもいかないんだよ」
言葉が飛び交う合間に次々と盤上のマスは埋められていく。
「これで、どう」
「こう返す」
「それなら・・・・・・こうだ!」
「残念。こうだよ」
「うっ・・・・・・。なるほど」
彼女らが勤しんでいるこの遊戯は、それぞれ役割を持った駒をすべて使い切るまで盤に並べ、最終的に勝ち取った陣地の広さを競うものである。
この遊戯をやりたいと言い出したのは王女の方だったが、中々自分の幼馴染は手強く、勝った回数が未だに片手の指で数えるほどだった。
「・・・・・・君はもうちょっと手加減を覚えたほうがいいわよ」
「あいにく生まれてから手加減なんてしたことがないもので」
「幼馴染の私に対して思いやりが無いと思わない?」
「思いません。ちなみにこれで私の勝ちです」
「えっ、うそ!」
また、負けた。と王女は思いながら盤が置かれている机に頭をつける。
「はぁー。悔しい」
「その悔しさを忘れなければまたやってあげます」
「・・・・・・ずいぶん生意気になったね。君は好きな人を作ったほうがいいわよ」
「この話となんの関係が?」
「君にも恋人がいれば少しは思いやりがある人間になると思っただけよ」
王女は執務に戻るべく、盤を片付けていく。自分にも与えられた仕事があるから、お遊びは程々にしておかなければならない。
「次こそは絶対に負かしてやるんだから!」
「はいはい・・・・・・」
黒髪の男もそれに加わろうとする。
―――フッ
瞬間 、何かが光った。
それはより強く光りだし、すぐに収束した。
部屋にはしんと沈黙だけが残る。
「んー? なにが起きたの?」
「・・・・・・カイリ様。失くなってますよ」
「失くなってる?」
「ええ。片耳のピアス」
黒髪の青年はまるで動じず、ちょいちょいと自分の耳を指す。
王女は喜色を浮かべながら驚く。そして彼女はどちらかというと、嬉しそうに言った。
「悪いけど今から君には人探しをしてもらうわ」
「は? 誰を」
「失くなった片方のピアスを持っていて、わたしと同じ髪色の人をよ!」
「・・・・・・あなたと同じ髪色なんてこの国にはあなたの母君くらいしかいませんけど」
「お母さまじゃない。わたしと同じくらいの年齢を探して。その人と会うわ」
「はぁ・・・・・・」
意味のわからない条件付きで人探しを頼まれ青年は納得してないような顔で部屋を出て行こうとする。
「あっ、ちょっと待って!」
「なんです?」
「その人を見つけても最初は盗っ人だとか言って、反応を試してみて!」
「・・・・・・わかりました」
王女は整った容姿には似つかないような悪い顔で笑った。
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