第18話 不安に恐怖
私がピアスの魔力で過去にやって来てから一月が経とうとしていた。あっという間に時は過ぎていく。
過去に来たのがつい昨日のことのように思える。
私は日付を見ながら私の家族のことを考えていた。
お父様と弟のヒュルト。
未来で家族と呼べる人はその二人だけしかいない。だからだろうか、私が不在になったことで一人でもいなくなっていたら、と考えてしまう。
妄想も甚だしい、自分でも分かっている。分かっているはずなのに、考えなければいいことをどうしても考えてしまう。きっとこれは私の弱さだ。
すると。
「イーララ。どうしったの〜?」
こちらの顔を覗き込むようにカイリは独特のリズムで話しかけて来る。
「 ・・・・・・すこし、お父様と弟のことを考えいました」
「今日なにかあったの?」
「特にはなにも。ただ日付を見ていて・・・・・・」
「・・・・・・?」
イララが日付に視線を移すと、カイリも気になって今日の日付を探した。
「えーと、今日はなんかあったっけ・・・・・・ああ、そういうこと」
お祖母様も今日が何の日か理解したようだった。
「今日は、君が来てからちょうど一ヶ月か」
「はい。・・・・・・だから、考えてしまうんです。向こうのお父様と弟はどうしてるんだろうって」
そして考えるたびに、浮かんでくる。
私が消えたことでお父様とヒュルトには余計な心配をかけさせて、迷惑な思いをさせているのだろうと。
たかが一ヶ月だ、けれど今になってようやく「過去に来た」ことの重大さが私にのしかかって来た。
そして同時に痛感した。過去に来る前、私は家族を・・・・・・お父様を否定し、弟に大きな役を丸投げしようした。それがどんなに後悔することだったのかを、過去に来て、家族と断絶されて、ようやく理解できた。
私は愚かだ。愚かで、未熟でまだ子供なのだと、そう解った。
「・・・・・・私は、まるで子供のように自分のことしか考えていなかったんです。王城を抜け出そうとした時も、自分の感情だけで頭が埋まっていた」
「・・・・・・」
お祖母様とネクシスと、一ヶ月一緒に過去の王城で過ごせて表面的には私は満足したのだろう。この一ヶ月はとても楽しかった。
けれど、私の本当に奥底の中身は依然として空っぽのままだ。だからアロス水晶の魔力も私を未来に帰してくれない。私にはまだ何かが足りない、何かが必要なのだ。
私は本来はここより数十年先の、未来の人間だ。だけど水晶の魔力は私を過去に連れてきた。それには必ず理由が、ないしは意味がある。そしてそれは私が未来で生きていく中で必要なもの。
スキャルは苦しくても頑張れるなにか、と言っていたが、その仮説が正しいとしたら私はまだそれを見つけていないということになる。
いや、あるいはもう目には入っているのに気付いていないだけの可能性もある。
私は過去に来てからの日数が増えていくたび、この思考を幾度となく繰り返していた。でも、解らない。解らない、解らなくて、さらに私は解らなくなっていく。
「解って当然のはずなのに・・・・・・なんで解らないの、って思うんです」
「・・・・・・でも、そうしている内に時間だけが過ぎていくって?」
心の内を見透かしているかのようにカイリの瞳はイララを映す。彼女の瞳は純粋であり雑念がない。その瞳だけは、未来でも一切変わっていなかった。
「・・・・・・それで、このまま一生それを見つけられなかったら。私はどうなってしまうんだろうって恐怖が膨らんできて」
「恐怖かあ、・・・・・・恐怖ねえ」
「・・・・・・それが本当に恐いんです」
自分なりに家族を想う気持ちと、自分の奥底から生まれる恐怖が混同する。
皆んなの前では平然を装うようには意識しているが、本心はガタガタの橋に両足をつけているように不安定だった。
「・・・・・・私はどうすればいいんでしょう。このままお祖母様たちに甘えていいのか、それすらももう分からなくなってきてて」
これも私の弱さだ。お祖母様にすぐ縋ってしまう情けない弱さ。
こんなことお祖母様に聞いても分からないのにと、言ってから思うと、しかしカイリはイララの手を引きながら言った。
「恐怖感を抱くのは人として普通のことだよ。それにイララは存分に甘えてくれて良い」
「でも・・・・・・いつまでもそのままじゃ、永遠に私は私から抜け出せない」
「だから、いいんだよ。それで」
とカイリはイララの手を引いた先、ふかふかのソファーにイララを寝かせた。
「・・・・・・え? お祖母様?」
まだ太陽は東の空から出てきたばかりで到底横になる時間ではない。なのに彼女は私を寝かせる。
「どうしたんですか? 突然・・・・・・」
「はいはい。なにも言わないで。今はただ眠って」
「なん・・・・・・」
なぜ、と咄嗟に問おうとした瞬間、イララの頬には一粒透明な雫が垂れてきていた。
自分でも驚いた。涙を流すことを意識せず、自然と流れてきてしまったことが。私は一瞬、なんの涙か検討がつかなかった。
しかしカイリはその涙が何者なのか知っていると言わんばかりに、「やっぱり」と呟いた。
「イララ、君は一人で心の中に恐怖や不安を溜め込み過ぎ。もっとわたしたちに吐き出して」
「え・・・・・・?」
「自分で恐怖を意識できてるなら君は立派だよ。よくやってるって」
「でも私はとても立派な王女ではない・・・・・・」
もう一粒、乾いた頬を濡らすように雫が垂れる。
これ以上涙を見せたくなくて目を閉じると、カイリはイララの額をサラッと撫でた。
「いいんだよ、今は立派じゃなくても。わたしだって立派じゃないんだから、ゆっくりなっていけばいいよ」
その言葉に、胸の奥が強く締め付けられる。
「わたしがいるから、何も不安や恐怖はないよ。今はただ安心して眠って」
その後は何も言わなかった。言えなかった。
私はお祖母様が言う通りに眠ろうと、暖かい存在を側に感じながら意識を手放した。
♢♢♢
カイリはすぅすぅと眠るイララの横で、呆然と窓の外を眺めている。
スキャルは用事があると言って王城を出ているし、ネクシスも自分の仕事が残っているようで今この部屋にはいない。
先刻はイララを一人にしてしまった。
人は誰しも一人になる時間は必要だろう。だが、イララは逆に、その時間があるだけ不安や恐怖を溜め込んでいっていたようだった。
それに気付けなかったのはわたしの落ち度であり、または今回で気付けて良かった事とも言える。
わたしはイララと血の繋がりがある。しかし、一番近くの家族はここにはいない。どうやらこの子はやたらと自身の家族を心配し、同時に後悔しているらしい。
過去に来る直前の出来事は、イララからしたら恥ずかしい事らしく詳しくは聞いていない。それはこの子自身で決着をつけるべきことだからわたしは一歩身を引いていた。
だが、結果としてそれはイララの心に不安、恐怖を溜め込む原因になってしまった。
「・・・・・・わたしなんて、まだまだ立派じゃないよ。こんなことにも気付けてあげられない人間なんだから」
イララの目にはわたしは立派な王女に映っているようだが、それはまったく違う。わたしは立派な王女などではない。
そしてきっとわたしは一生立派な王女とやらにはなれないだろう。
これは自虐的に自身を観ている訳ではなく、単に確信していることだ。わたしは死ぬ直前まで、一瞬たりとも立派にはなれない。
わたしはそれでも良いと割り切っていた。けれどイララのように立派な王女になれる人間は簡単には割り切れないのだ。
必要以上に不安を駆り立て、自分を焦らせ、真っ直ぐな道を不安定にする。捻じ曲がった道は、自滅の未来に通じている。
やがてイララは過去に来た意味を見つけ、未来へと帰っていくだろう。その間はわたしが側でイララを支えていられる。
だが未来に帰った後は側にいることが叶わない。わたしにだってやるべき事はある、王女としてのやるべき事が。
だから今は、イララが未来へ帰ったときに誰にも頼らなくても強く生きられるように導くことが最優先だ。
「・・・・・・未来のわたしはなんで「これ」をこの子に渡したのかなあ」
呟き、片耳だけつけられた半透明の水晶に触る。その時―――
「カイリ様、入っていいですか?」
ネクシスの声が部屋の外から聞こえてきた。
彼は普段から膨大な量の仕事を請け負っているが、今日は早く終われたようだった。
「わたしはいないよ〜」
カイリはそんな青年に冗談を言ってやる。
「いや、いるじゃないですか。冗談はいいんで、入っていいですか?」
「いいよ」
カイリは笑いながら許可する。
いつものように冗談混じりのやり取りをして部屋に入ってきたネクシスはぎょっと目を見開いた。
「えっ・・・・・・カイリ様何してるんですか?」
青年はカイリの横で眠るイララを凝視した。
真っ昼間から自分の孫を寝かせている王女は彼女を除いて他にいない。
「寝かせてるんだよ」
「イララ様、今日そんなに体調悪そうにしてましたっけ」
「いやー、そっちじゃなくてね。ちょっと心の健康状態が悪かったから」
「心の・・・・・・?」
カイリは、五分ほどかけて、イララが過去に来たことで溜め込んでいた不安や恐怖があったことをネクシスに話した。
「・・・・・・この子はさ、たぶんわたしみたいに適当な人間じゃないんだよ」
「そうでしょうね」
「・・・・・・いや、もっと形だけでも否定してよ。カイリ様は適当なんかじゃないですよ、って」
そうカイリが言うと、ネクシスは「無理です」と素早く拒否する。
「・・・・・・それにしても魔力が発動する直前の家族とのいさかいに、未来への不安、ですか」
「まあ、結局はこの子にピアスを渡した未来のわたしが悪いんだけど。やっぱりまだ不安定だと思ったんだよ」
「このまま未来に帰ったら危ない、とでも?」
「うん」
ただでさえフォール王家は平均寿命が短く、早くに次代の王を立てなければならないというのに。わたしの息子は長い間イララを閉じ込めていたようだった。
そのせいで、とにかくイララには経験が足りない。未熟なまま国を背負っても意味はないのだから、経験を積んで強くなって欲しいのだ。
「親バカですね・・・・・・」
「なにが悪いのかな?」
「悪いとは言ってません。で、最終的にあなたはイララ様に何がしたいんです?」
ネクシスが訊くと、カイリは自分でも久しぶりの感情が湧いてきた。
「・・・・・・正直、分からない」
わたしは過去には行けないから、かといってイララを一生過去に留まらせるわけにもいかない。これからイララに与えてやれることも少ないだろう。
となると、わたしは何をしてあげればいいのか。それは久方ぶりに、まったく検討もつかないことだった。
「ネクシスは何か考えある?」
「・・・・・・無いですね」
「でしょ」
「・・・・・・」
本当に八方塞がりだった。
これ以上もうわたしたちができることはないのだろうか。その思いが頭をよぎり、カイリは思考に意識を落とした。
私でなくとも良い。せめて、せめて未来でもイララを側で支えられる人間が未来に居てくれればいいのだ、とカイリは思った。
「・・・・・・ま、これも望みは薄いよね」
カイリはぽそっと呟く。
未来にいるイララの家族は父親と弟だけ。平均寿命が短い王家の生まれ故、父親に最後まで支えられる力はないだろう。弟もイララの性格からすると頼ろうとはしない。
だから赤の他人でもいい。イララを想い、イララが頼ろうと思ってくれる人間が理想だ。が、さすがに都合よくいるわけがない。
イララの柔らかい頬を撫でながらカイリは「はーあ」とため息を漏らす。
―――とそこで、ネクシスは今思い出したと言わんばかりに部屋に来た目的を言った。
「そうだ。カイリ様、つい先程国王様から呼び出されてましたよ」
「えっ、うそうそ」
「本当です。何故か今回もあの御方は廊下で話しかけて来ましたけど」
「・・・・・・国王様らしいね~」
と言うと、仕方なくカイリは立ち上がり王の間へ行こうとした。
今はとにかくイララにとって最善のことをできるだけしてあげるしかない。
「ネクシスは今日の分終わったんでしょ?」
「ええ、まあ」
「ならイララのこと見てて。お願いね」
カイリは拒否権を許さず半ば強引にお目付け役をネクシスに頼むとすぐに行ってしまった。
「・・・・・・わかりました」
ネクシスも連日の疲れがどっと身体に襲いかかりながらも、その後数秒送れて返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます