第三十話、よくわからない話(三)

 兄さんがね、いるんだよ。 

 そう。当然自分が生まれたときからね。物心ついたときから兄さんがいた。


 年も離れてたから喧嘩した記憶もないし、寧ろ可愛がってもらった。両親よりも少し距離が近い親がもうひとりいるみたいだったよ。


 今思えば少し変わってたのは、寝る前、子守唄代わりに怖い話を聞かせてくれたことかな。

 悪ふざけも揶揄いもしないひとだから、寝られなくしてやろうと思ってた訳じゃないと思う。事実、怖くて眠れないなんてこともなかったしね。


 兄さんの話は学校の怪談とも昔話とも違う、他で聞いたことのないものだった。

 雪山で遭難した子どもの元に現れる狼女や、ハロウィンの夜だけ本性を表す骸骨男の話なんか。

 布団に寝転んで、兄さんの口元の黒子が上下するのを眺めてた記憶がしっかりある。本当なんだよ。



 それで、自分が中学生ぐらいのときだったかな。

 部活から帰ったら、家の前に知らない女がいたんだ。四十代くらいの痩せてて髪が長くて、生活に疲れた雰囲気だった。


 気色悪いなと思って通り過ぎようとしたら呼び止められて。両親は呼ばないでほしいって言われてさ。

 通報しようか迷ってたら、ちょっと変な話なんだけど、その女のひとが「あなたの兄の母親です」って言うんだ。おかしいでしょ。


 父さんが不倫してて隠し子を作ってたっていうならまだわかるよ。でも、兄さんはうちにいるし。

 金を強請りに来たのかって悩んだけど違うんだ。

 その女のひと、息子さんはもう亡くなってて、このままじゃあんまりだから家に遺影だけでも置いてくれないかって言うんだよ。

 このことはご両親に内緒でって念押しした後、写真を押しつけて帰って行ってさ。


 女のひとがいなくなった後、写真を見たら、兄さんが写ってるんだよ。背景は湖で、自分が幼稚園生の頃、夏休みに家族旅行に行った場所だった。

 一緒について行って隠し撮りした訳じゃなく、しっかり兄さんはカメラを見て笑ってるんだ。


 よくわからなかったし、気味悪かったけど、下手に騒いで大事になっても嫌だし、万一家族の知らない方がいいことを知る羽目になるかもと思ったから、その話は誰にもしなかった。

 何事もなく毎日進んだよ。



 でも、それから自分がひとりでいるときに限ってあの女のひとが来るんだ。一、二年に一度とか、多いときは半年足らずで来たこともあったかな。


 毎回兄さんの写真を置いて思い出話を聞かせて帰っていくだけなんだよ。

 その写真もお正月に神社の初詣に行って甘酒を飲んだときとか、ひいおばあちゃんの法事のために帰省した帰り道寄ったサービスエリアとか、思い出の一場面ばっかりなんだ。家族のアルバムに紛れ込ませても気づかれないくらい自然な写真だよ。


 捨てるのも気まずくて毎度机の引き出しに隠してたんだけどね。

 あるとき、ふっと不安になったんだ。確かにもらった写真は家族の思い出のものなんだよ。

 湖で父さんが沢蟹を見つけたりとか、甘酒を溢して火傷して母さんが御手水で冷やしてくれたことは覚えてるんだ。


 でも、兄さんに関することが写真の場面以外思い出せないんだ。というより、写真を見て初めて兄さんもあのときいたなと思い出すんだよね。

 よく考えたら、ずっと一緒にいるのに、兄さんに関する思い出ってほぼなくてさ。


 関わらないほど険悪だった訳じゃないし。というか、喧嘩したこともないんだけど。でも、兄さんと毎日してるはずの会話が何も記憶に残ってないんだよ。雑談の内容のひとつくらい覚えてていいはずなのに。


 唯一覚えてるのは、兄さんの怪談の内容と、昔一度だけ質問したことでね。

 子どもの頃、何でそんなに怖い話をたくさん話してくれるのって聞いたんだ。そうしたら、兄さん、「一個くらいは本当になるから」って言ったんだよね。



 兄さんってさ、本当にいるのかな。

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