第二十七話、山神ではなかった話

 その山には、神がいるとも鬼がいるとも言われてたんだ。

 思うに、どちらともつかないほど得体の知れない恐ろしいものがいたんだろう。



 昔は山の麓にすら村を作らなかった。広くて日の当たる土地があるってのに、皆あの山を恐れて寄りつかなかったんだ。

 だが、あるとき、元いた村を洪水で追われた人間たちが集まって麓に流れ着いた。他に行くところもない。恐ろしいが、ここに村を作ろうと決まったんだ。


 神様にご挨拶しなければならんと、元の村の長とその家族が山に登った。

 村長の家族は途中、山伏に会ったそうだ。彼はこの山には入ってはならんときつく諭したが、皆の事情を知ると仕方ないからせめて自分もついていくと加わったそうだ。



 一晩かけて山を登り、神か魔物が住むという洞窟へ辿り着いた。早朝でも夜のように暗く、捩れた洞穴が何重にも歯が生えた口のように見えたそうだ。


 村長と一家は地に額をつき、どうか麓に村を開かせてほしいと告げた。すると、洞窟の奥から禍々しい男の声が響き、「何人いる」と尋ねたそうだ。村長は恐怖に耐えながら正直に答えた。


 しばしの沈黙の後、今度は打って変わって、穏やかで明るい声が響いた。村を開くのを許す、山に近いところに作るといい、水場や薬草の場所も教えてやろうと。村長たちは歓喜し、何度も礼を言って去った。

 洞窟の外にいた山伏だけはあんなものは神ではない、すぐここを離れろと言ったが、誰も聞かなかった。



 人々は村長が戻ってすぐに村を開いた。

 困り事があるたび、山に行くと、男の声が何でも教えてくれた。

 土に合う作物や、流行病に効く薬草や、獣を狩りやすい溜まり場も教えてくれた。村はたちまち栄えた。山伏はしばらく村に留まったが、やがて諦めたように去っていったそうだ。



 村が開かれてから七年が経ち、亡くなった村長の代わりに彼の息子夫婦が長を継いだ。

 夫婦は山神に礼を言いに行こうと洞窟を訪れた。


 神様のお陰で村は栄えた、一生安泰だ、と告げると、男は嬉しそうに笑った。

 息子の妻は何故それほどまで人間に良くしてくれるのかと尋ねた。声は笑って答えた。

「お前たちが畑を耕し、獣を飼うのと同じ理由さ」と。


 村長の夫婦は、神は自然を愛するようにひとを愛してくれているのだろうと喜んで帰ったそうだ。



 その日の夜、村はなくなった。


 一夜のうちに村人は皆死に絶えた。

 よその村から畑仕事に呼ばれた農夫たちが、村の一面に這う夥しい血の跡を見つけた。村人は皆、何重もの歯がある獣に食い破られたような悲惨な様だったらしい。獣は家畜には目もくれず、ひとだけを食い散らかした。


 村の奥の屋敷に駆けつけると、村長の妻が血まみれの座敷に倒れていた。身籠もっていた子どもごと腹を食い破られていた。


 彼女は虫の息で天井を見上げながら、譫言のように呟いた。

「あれは神じゃない、鬼でもない……もっと悍ましいもんだ……あれは最初から私たちを飼っていたんだ……こうして栄えて腹一杯食い散らかせるときまで……」

 村長の妻は血を吐いて死んだ。



 葬儀を上げることもできず、農夫たちは仕方なく村に火をつけて死体を焼いたそうだ。


 今ではもう、その村がどこにあったのかもわからない。

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