第二十五話、鬼がいた山の話

 物心ついたときから、父と二人暮らしだった。


 家は鬼が住むという山の奥にある、荒れ果てた屋敷だった。

 元は広く豪奢な家だったのだろうが、自分が知っているのは、屋根には穴が開き、襖は破れ、畳は裂けた姿だけだった。


 母のことを聞くと、いつも父は難しい顔をした。

「家人が俺との結婚に反対でな。隠れてお前を生んだのが見つかって、折檻されて、井戸に当てつけに身を投げてしまったんだ」

 そう言って父は庭の隅の井戸を指した。ここは母の生家らしい。母の家族がどうなったかは聞かなかったが、父が殺したのだろうと思った。

 軒先には鉄の風鈴が揺れていた。



 ある夜、父に叩き起こされ、屋敷から逃げることになった。

 父に手を引かれながら山の中を駆ける間、麓にちらつく松明の火を見た。父の殺しがバレたのだろうと思った。


 次に移り住んだ山も、鬼が住むと噂があった。

「そういう山は多いんだろう」

 父はそう言った。父が夜仕事に出かけると、翌朝は血の匂いがした。父は盗人なのだろうと思った。


 自分は父が捕まったら独りになる。それは嫌だと思い、草履を編んだり、傘張りの仕事を覚えた。

 父は感心して、それを売るため麓の村に連れて行ってくれた。稼いだ金で茶屋に寄ると、父は周りに自慢の息子なのだと言いふらした。



 しばらくして、また夜逃げをする羽目になった。

 今度は松明の火は見えなかったが、代わりに猟銃の音が響いていた。我が子を返せと怒鳴る男の声が聞こえた。


 次の山も鬼が住む山だった。

 自分は草履だけでなく木箱や仕掛け細工も作れるようになった。

 自分は大きくなっていたのが、父は変わらなかった。

「兄弟の方が通りがいいな」

 その一声で、父は兄になった。麓の村に木箱を売りに行き、飯屋に寄るたび、兄は自慢の弟なのだと言いふらした。



 ある日、些細なことで兄と喧嘩になった。

 根無し草のような暮らしに辟易していたのもあった。自分が出ていくというと、兄は何も言わずに肩を落とした。


 行く当てもなく麓の村でふらついていると、兄とよく訪れた飯屋の娘が声をかけてきた。

 事の顛末を話すと、仲の良さそうな兄弟だったのにと言われ、胸が痛んだ。娘は少しの間ならうちに置いていいと言ってくれた。娘の両親も受け入れてくれた。


 自分は飯屋を手伝いながらそこで寝起きした。

 山で兄と二人暮らしだったからか、娘が当然のように知っていることも知らず、子どものようだとよく笑われた。娘の両親と、自分と兄の関係は随分違った。


 戸惑いつつも楽しい日々が流れ、自分は娘と夫婦になった。しばらくして息子が生まれた。子育てとはこんなに大変なものかと思ううちに、自分を育ててくれたふと兄が恋しくなった。

 兄はまだ山にいるのだろうか。とっくに逃げたかもしれない。


 息子が三つになる頃、村で病が流行った。

 最初に妻の両親が倒れ、看病をしていた妻が続いた。最後に、息子は母の後を追うように死んだ。

 家族の墓を作り終え、自分はまた独りになった。

 兄に会いたいと思った。



 自分は久しぶりに山を掻き分け、兄の家を探した。村の暮らしに慣れた身体に山道は堪え、夜更けになって引き返そうかと思ったとき、仄明かりを見つけた。


 兄の家はまだそこにあった。扉を開けると、兄は飛びかかろうとした。自分だと告げると、兄は驚き、全く変わらない顔で笑った。

「大きくなったなあ」

 ここでの暮らしも限界だと思ったが、自分を待っていたので動けずにいたらしい。その夜は数年ぶりに兄と眠り、夜明け前に山を発った。



 また別の鬼の住む山に来た。

 雪深い山の鄙びた小屋で二人暮らしが始まった。その頃、自分は兄より老けていた。兄は弟ということになった。毎夜、囲炉裏の側で離れて暮らした数年分の話をした。

 弟は「また家族が欲しいか?」と聞いた。弟がいれば充分だと言うと、安堵したようにまた笑った。



 豪雪の日、山小屋が潰れてしまったので、自分と弟はまた場所を移った。


 いつも通り鬼の住むという山に来た。自分は冬の厳しさで更に老け、弟は息子になった。麓の山に商売に行き、茶屋に寄ると、今度は自分が彼は自慢の息子なのだと嘯く番だった。



 山を越え、また家を変え、鬼の住む場所を転々としながら暮らした。もう息子では通らなくなったので、孫と紹介した。


 目が悪くなり、指も衰え、草履もろくに編めなくなったので、麓の村に行く機会も減った。孫は笑って言った。

「いいんだ、昔みたいにまた俺が稼いでくるから」

 盗みはやめてくれと言ったら、「言うことまで爺さんになったな」と揶揄われた。



 いつもの如く真夜中に家を追われたが、もう自力では歩けず、孫に背負われて逃げた。


 どれほど進んだかわからないまま揺られて辿り着くと、懐かしい風鈴の音がした。

 自分が最初に住んでいたあの屋敷だった。あれからどれほど荒れ果てたのか。このときばかりは目も耳も悪くなって幸いだった。



 それからすぐに自分は寝ているのか起きているのかもわからないほどになった。


 孫が頭を抱いて膝に乗せてくれていることはわかった。自分がまだ幼い頃、よく寝付く前にそうしてもらった。

「父さん」

 思わず呟くと、鬼は何ひとつ変わらない顔で笑った。

「そうか、最後はそう呼ぶのか」



 父の肩越しに、鉄の風鈴が揺れた。

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