第七話、座敷牢の男の話
十になった頃、屋敷の座敷牢にいる男に食事を差し入れる係になった。
本家の主人から「何を食いたいか聞いてはならない」と再三戒められた。
あれは化け物だから絆されてはならない、注意深く扱えば家を栄えさせてくれるのだ、とも言われた。
味噌汁と握り飯を盆に乗せ、開かずの間を開くと、大量の札を貼られた座敷牢に男がいた。
雑巾じみた髪を垂らし、骨と皮ほど痩せ、目は爛々と輝いていた。
思わず後退ると、男は禍々しさからは想像できない気さくな笑みを浮かべた。
男はよく食い、よく喋った。
自分の知らない家や一族の話を聞いた。
本家の当主は初めて男を見たときは小便を漏らしたと囁いた。
家が嵐で傾いだとき、怯える男衆を一喝したのは普段奥ゆかしいご隠居の妻だったと言った。
誰かが差し入れた古本の山から春画を抜き出し、自分に見せて揶揄った。
その度、牢の隙間から小さな八重歯が見えた。
男は口寂しいのかよく煙草を吸った。
何故それほど食べても空腹で痩せているのかと聞くと、「ひとの飯は俺の糧にならねえのさ」と答えた。
それなら食わなくても同じではないかと言うと、男は眉を下げた。
「お前さんに会えなくなるだろ」
汚れた畳を拭いたり、灰皿を取り替えるたび、男は牢の隙間から手を伸ばして頭を撫でた。
自分の親は物心つく前に死んでいるので、父がいたらこんなものかと思いもした。
ある日、当主に呼ばれ、決して座敷牢に近づいてはならない、男に飯を与えるなと言われた。
当主の妻は娘を抱きしめて震えていた。
男に会わなくなって数日後、自分は耐えかねて真夜中、開かずの間に忍び込んだ。
男は猿轡を嵌められ、座敷牢でぐったりと倒れていた。
牢の隙間から手を伸ばし、轡を外すと、男は「腹が減った。約束したのに、当主が何も食わせてくれねえんだ」と掠れた声で言った。
自分は思わず男の手を握って何が食いたいかと聞いた。
男は顔を上げ、目を光らせた。そして、宙を指さし、口を開き、聞いたこともない地を這うような声で言った。
「十六歳」「女」「北の屋敷」
男の口には牡丹の花のように何重にも鋭い歯が生えていた。
自分は開かずの間から逃げ出した。
暗闇の中、どこにも戻れず、震えながら蹲った。
屋敷からは地獄が現れたような阿鼻叫喚が聞こえ、座敷牢からは鉄錆の匂いと湯気が立ち込め、何か湿った柔らかいものを啜り、喰い千切る音が響いていたからだ。
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