第二十話、よくわからない話(二)
夏、両親に連れられて田舎の祖父母の家に行くとき、毎年会うお姉さんがいたんです。
毎回磨りガラスの窓をノックして、「いる?」って聞いてきて。田舎だから玄関の鍵なんか開けっぱなしなんですけど、必ず窓から顔を出すんですね。
色が白くて、髪が長くて、首筋に黒子があって、最初に会ったときは中学生くらいかな。
大人しそうに見えるのに、近所の悪ガキに混ざって虫取りしたり、流しそうめん大会で誰よりはしゃいだりしてました。
でも、一番思い出に残ってるのは怪談です。
お姉さんはたくさん怖い話を知ってました。
夜八時には町中真っ暗になる田舎では、夏の夜に百物語をするくらいしか楽しみがないって言ってたんです。
自分は生まれてからずっと都会暮らしだったし、夜はオンラインでゲームしたりするのが当たり前でしたから、怪談なんて新鮮でした。
周りの同世代の子より怖がるもんだから気に入られたんでしょうね。
大きな家の子たちとお泊まり会で百物語をするとき以外もたくさん聞かせてくれました。
毎回、磨りガラスの窓をノックして「いる?」って聞いてきて、怖い話を聞かせに来ました。
全然嫌じゃなかったんですよ。
寧ろお姉さんが来そうな日はプールの約束も断って、ノックの音を待ってました。
お姉さんは学校の怪談の本に載ってるようなものじゃない、珍しい話を聞かせてくれました。
蜘蛛みたいな化け物が住む村と人知れず村を守る続けていた地主の話や、夢に出てきて山の中でひとを殺させる男の話とか。昔話とも神話とも違う不思議な話でした。
何でそんなに詳しいのか聞いてみたら、お姉さんは困ったようにちょっと笑って「家柄」かなと言って、それ以上教えてくれませんでした。
自分が中学に入った頃、祖父が亡くなって、祖母がひとりじゃ心配だから家で引き取ろうって話になったんです。
田舎の家は引き払うから、夏に遊びに来るのもこれが最後だろうってことでした。
夕暮れの居間で、お姉さんに会えなくなってしまうなってぼんやり考えてたらノックの音がしたんです。
磨りガラスの向こうにお姉さんが立ってて「いる?」って。いつもなら答えると、窓から玄関に回り込んで入ってくるのに、その日は外に立ったままでした。
来年はもう来ないことを伝えたら、お姉さんは笑って「忘れないでね」って言いました。
忘れる訳ないよって言ったら、違うんです。「これから言うことを忘れないで」って。
「君がここ以外で次私を見かけても絶対に話しかけちゃいけないよ」
って言うんです。
何のことがわからずに呆然としてたら、お姉さんはじゃあねと手を振って行っちゃいました。真夏なのに長袖のカーディガンを着ていました。
あれから大人になっても片方の言いつけは守れています。ずっとお姉さんを覚えてます。
だから、もう片方が守れそうにないんです。
今は都内のアパートで一人暮らししてるんですけど、キッチンの上の廊下に通じる窓に磨りガラスが嵌めてあるんです。
真夜中、真っ暗な窓をノックされるんですよ。「いる?」って。
白い手も、黒子がある細い首も、自分を呼ぶ声もあの夏のままなんです。ノックが聞こえた夜は台所で今さっき切ったみたいに西瓜の匂いがするんです。
あとどれくらいお姉さんの言いつけを守れるでしょうか。
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