第十七話、座敷牢の牡丹の話
旦那様はひどいひとだ。
いつも暗いし、とても厳しくて、ちょっとでも掟を破ると子どもたちにも容赦なく叱る。
自分には特に厳しい。一度、掃除の最中開かずの間の襖を破ってしまったから。わざとではないのに、旦那様は鬼のように怒って、手をあげる寸前だった。
二度と開かずの間に近づくなと言われた。
旦那様だって昔は自分たちと同じ、下働き同然の子だったのに。
姉様たちが言うには、偶々先代の嫡子が亡くなって自分が当主になれたから、いつか同じように座を奪われないか心配なんだろうって。
旦那様が本当にひどいひとだと思い知ったのは、叱られた腹いせに、こっそり開かずの間に踏み入ったときだった。
古びた座敷牢の中に男のひとがいた。
雑巾じみた髪を垂らし、骨と皮ほど痩せ、目は爛々と輝いていた。今にも死にそうなのに、彼は驚くほど人懐こい笑みを向けた。
もう長い間何も食べていないのだという。自分が旦那様の奥様からもらったお菓子を分けてあげた。彼は格子の間から痩せぎすの手を伸ばして撫でてくれた。
「お前さんは優しいなあ」
旦那様にそんな言葉をかけてもらったことは一度もなかった。
自分はそれから毎日食事を少し残して、毎日座敷牢に通った。
男のひとは牡丹と呼ばれているそうだった。
どこも牡丹の花に似ていないけど、綺麗な名前で羨ましいと思った。
彼の口元には裁縫が下手な小間使いが縫いかけてやめたような古傷があった。旦那様にやられたが、周りの人間が止めたのだという。
自分がひどいと憤慨すると、彼は喉を鳴らして笑った。
「あいつも昔はお前さんみたいに優しかったんだよ。でも、あるときから嫌われちまった。何故かはわからねえや」
男のひとは数年に一度だけ好きなものを食べられるのだという。
その日を境に旦那様は冷たくなったらしい。たった一度の我儘も許さないなんて、厳しい旦那様らしいと思った。
自分が偉くなったらいつでも好きなものを食べさせてあげるというと、また頭を撫でてくれた。
ある夜、開かずの間に向かおうとしたら、暗闇の中で旦那様が立っていた。座敷牢の彼にあっていることを知られたらしい。
旦那様は真っ青になって「あの男に何が食いたいか聞いていないだろうな」と言った。自分が震えながら首を横に振るった。
それから、ひどく叱責され、これから食事は自分の前で取れと言われた。
旦那様に睨まれながら食べる食事はろくに喉を通らなかった。あの男のひとの笑顔と手が恋しかった。
彼はまたお腹を空かせているはずだ。
半月経った頃、真夜中、自分は見張りの目を盗んで開かずの間へ向かった。厨房から盗んだ米や野菜をいっぱいに抱えて飛び込むと、牢の中の彼は驚いた顔をした。
胸がいっぱいになって自分は牢に縋りついた。何でも食べていい、好きなものを言ってほしい、何が食べたいかと聞いた。
そのとき、彼は聞いたことない声で自分の名前を呼んだ。
堅牢な格子の扉が簡単に開いた。真っ暗闇の中で、彼が自分ににじり寄る音だけが響いた。
何度も頭を撫でてくれた手が自分の喉元に伸びる。
最後に見たのは大きく開いた口腔には何重にも歯が生えていている光景だった。
牡丹の花のようだと思った。
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