第二十三話、子送り狼の話

 送り狼という言葉が生まれる前から、村には子送り狼と呼ばれるものがいた。


 遠目からは老婆のような白髪の女に見えた。髪は雪深い山で冬に耐える狼の毛皮のように硬かった。小豆色の着物は風雨に汚れて擦り切れていた。


 女が現れるのは決まって、子どもが道に迷ったときだった。

 村は四方を山に囲まれ、秋の終わりから雪が降り積もるせいで、薪を拾いに山に入った子どもが迷うことが度々あった。


 子どもたちは皆、吹雪に混じって狼の遠吠えのような声が聞こえたという。

 自分を食いに来たのではないかと恐れた子が逃げ惑い、右も左もわからなず困り果てた頃、女が現れる。雪に溶けて消えそうな白髪の女だ。


 女は子どもの手を取り、一寸先も見えないほどの雪の中を迷うことなく村に向かって進む。

 村人は重い木戸の向こうから、群れをはぐれた狼のような遠吠えを吹雪に混ぜて鳴く女の声を聞く。

 迷い子の親が慌てて戸を開けると、声は止む。

 親は子どもを迎え入れ、次の瞬間には女は消えている。


 自分もまだ幼い頃、猟師の父と冬山で逸れたとき、薄い着物一枚で立つ白髪の女に導かれたことがあったからだ。

 女の冷たい手と遠吠え、母が戸を開けて自分を抱きしめたときの温かさ、朝方まで自分を探していた父が帰宅したときの涙を覚えている。


 村人は子送り狼は山の守り神だとありがたがった。自分もあるときまではそう思っていた。



 村には自分の同い年の娘がいた。娘は捨て子だった。春の終わり、両親に置き去られて山で泣いているところを自分の父が見つけた。

 村は貧しく皆家族を養うので精一杯だった。誰かが引き取ることはなかったが、仕事の人手が足りないとき娘を呼び、代わりにその家が飯や寝床を与えた。

 娘は気立がよく、働き者だった。村人は敢えて仕事を余らせて娘を呼び、飯を振る舞って温かい寝床で寝かせた。娘は自分や周りの子どもとすぐ打ち解けた。家はないが、村の一員として誰もが認めていた。



 ある日、娘が薪になる木を拾いに行った。朝は晴れていたが、急に山おろしが吹き、ひどい雪となった。自分は山に父と一緒に娘を探しに行ったが、見つからなかった。家に帰ると、母は子送り狼が探してくれるだろうと言った。しかし、家のない娘をどこに送り届けるのだろう。


 その夜、眠れずにいると狼の遠吠えが聞こえた。自分は寝巻きのまま飛び出して戸を開けた。他の家々も戸を開けて、外を伺っているのが見えた。だが、子送り狼の姿も娘の姿も見当たらなかった。

 白雪にも染められない黒い闇の中、狼の遠吠えだけが響いた。娘はとうとう見つからなかった。



 数年後、雪が溶ける初夏の頃、自分がやっと氷が張らなくなった井戸から水を汲んでいるときだった。

 ふと狼の遠吠えを聞いたような気がした。顔を覗かせて通りを眺めると、ふたつの影が目に入った。


 ひとつは老婆のような白髪で小豆色の着物を着た女だった。もうひとつは女に手を引かれる、痩せこけた娘だった。

 顔は死人のように青く、着物は擦り切れ、足は何ヶ月も休まず歩き続けたように血が黒く固まって鉄のようになっていた。


 娘がこちらに顔を向けたとき、思わず自分は目を背けてしまった。そのとき、伏せた目に無数の足が映った。

 子送り狼の後ろに連綿と続く、血が黒く固まって鉄のようになった子どもの足が。



 今でも冬が訪れると、吹雪に混じって狼の遠吠えが聞こえる。

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