第二十九話、運動靴の話

 三週間くらい前かな。マンションのエレベーターホールに運動靴が置いてあって。


 男女兼用の白いスニーカーだったと思う。

 明らかにゴミなら放っておいたけど、ソールがすり減ってそれなりに汚れてたけど、まだ全然使えそうだから、捨てたのかどうか迷ったんだよな。


 それに、置き方が不思議でさ。

 エレベーターの目の前に爪先を揃えて置いてあったの。下向いてスマホいじってるときだったから、乗るのを待ってるひとがいるのかなって驚いたくらい。

 乗り降りするひとの邪魔になるし、学生が体育の授業か何かで持っていく最中に鞄から落としたのかなと思って、とりあえずわかりやすいように移動させたんだ。

 エントランスの出入り口のガラス扉の前に置いておいた。



 その日、帰ったらもう靴はなくて。やっぱり落とし物だったのかなとか、持ち主が見つけたならよかったなとか、管理人が捨てたのかなとか思った。

 ちょうど雨が降ってきたから濡れてひどいことになる前に回収されたならよかったなって。



 それっきりで忘れてたんだけど、十日くらい経ってから、ゴミ捨てに行くとき、マンションの隣人に話しかけられてさ。

 普段は挨拶程度で立ち話なんかしないんだけど、その日は深刻な顔してこっちに寄ってきて。

 大学生くらいの女のひとなんだけど、しっかりしてて、昔粗大ゴミを放置した隣人に文句言ったって話聞いてたから、自分が何かやっちゃったかなって身構えたよ。


 そのひとが言い辛そうな顔して、「最近マンションに白い運動靴が捨ててありませんか」って。

 あの靴かって思い出して、このひとの落とし物で、今も探してるのかなと思った。

 だから、「十日くらい前にありましたね。ゴミが落とし物かわからなかったから、エントランスの前に出しておいたんですけど、その日のうちに回収されましたよ」って答えたんだ。


 そうしたら、隣人が安心したような困惑したような顔してさ。

 どうも、あの日靴を回収したのは隣人だったらしいんだよ。そのひとのものじゃないんだけど、落とし物かと思って、雨で濡れたら可哀想だから、共同ポストの前に置いておいてあげたんだって。

 自分はろくに郵便物を確認しないから気づかなかったな。



 次の日、隣人が見たら靴がなかったから誰かが回収したんだろうと思ってたけど、どうも最近同じ靴をマンションで見かけるんだって。

 非常階段の踊り場にポツンと転がってたり、廊下の消火器の上に揃えて置いてあったり、角部屋の住人がマウンテンバイク停めたり植木鉢置いてるところに紛れてたり。

 変なことするひとがいるな、いたずらにしても気持ち悪いですね、って話して、その日は別れたんだけど。



 それから五日くらい経った頃かな。

 朝、仕事行こうと思って家出たら、隣人の郵便受けに白い運動靴二足が突っ込まれてたんだよ。全部入る訳ないから、爪先のところだけ入れて。重みで落っこちてもおかしくないのに、靴を潰して念入りに捻じ込んであった。


 嫌がらせかストーカーか知らないけど気色悪いことするなと思ったよ。

 インターホン押して隣人に伝えるか、管理人に連絡するかと思ったけど、出勤前だからひとまず後にしようと思ってマンションを出た。


 行きの電車で、何で隣人が標的にされるんだろうなとかぼんやり考えた。運動靴に触ったのは自分も同じだし、いたずらにしても犯人探しをしたりそれを咎めるような貼り紙を貼った訳でもないし、隣人だけ逆恨みされるようなこともよなって。



 仕事中も頭から離れなくて、喫煙所で会った後輩に話してみたんだ。何か思いつくことあるかって。

 後輩は首の黒子を掻きながら、そいつの考え事するときの癖なんだけど、「優しいひとに憑いていくって言いますからね」って。

 何だよそれと思ったら、「先輩は靴を外に出したけど、隣人の女のひとは中に入れたんでしょう。招き入れてくれたと思ったんじゃないですか」って笑ってた。

 靴よりもそいつのが怖かったよ。



 隣人にこんな話聞かせる訳にもいかないしなと思って帰ったんだけど、その心配はなくなった。なくなったというか手遅れだったというか。


 隣人が失踪してたんだよ。

 家賃の滞納したり、宅配物の不在票や貯まった公共料金の督促状がポストに詰まってたりして、今までこんなことないから怪しいと思った管理人が踏み入ったんだって。


 玄関からリビングまで靴跡が大量にあって、警察が来る大騒ぎになった。入り込まれたんだろうな。

 部屋には携帯とか財布から家財道具まで全部残ってたから自分の意思で失踪したとは思えないって聞いた。

 でも、靴だけは一足もなかったらしい。

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