第30話 最先端の最高到達地点

 魔法探求は「理屈」とのせめぎあいである。何ができて、何ができないのか。どういう「理屈」があれば魔法は成立して、魔法が成立しない場合はどういう「理屈」によるのか。まるで上位存在が定めたとしか思えない普遍的で揺らぎない法則を、ひたすらに解明していく。

 その過程で稀に、発想の逆転に至る魔法使いが現れる。

 「理屈」に従って魔法を成立させるという捉え方。それは見方を変えれば——「理屈」さえあればどんな魔法だって成立させることができるということだ。


 風があるところでないと高度な風魔法は成立しない。そうではなく、風魔法を成立させるために、風が産まれうる状況を作り出すのだ。そうして風を吹かせ雲を呼んだなら——いつか嵐だって生み出せる。嵐の中でこそ撃てる魔法が、未だ見ぬ魔法があるはずなのだ。

 「理屈」を作ってしまう——そう、それはルールを定める神の側。ゆえに大賢者はみな同様に、神域と呼ばれるのである。





 僕が敷いたアリの子一匹通さない飽和爆撃の中にあって、しかしクレイトスは全方位の〝精霊の結びつき《フィー・ド・リンク》〟で耐えきっている。

「〝精霊の結びつき〟だってもう割れるよ! 詠唱は間に合った!?」

「この魔法の名前を聞き届けたまえ——〝偏在スキップ〟」


 瞬間、僕の背中から光の刃が貫いていた。クレイトスの杖から伸びる光の刃が。


「——ッ!?」


 すぐに背中側に爆発を起こして振り返るも既にそこにクレイトスはおらず、また背後から刃が突き刺される。


「瞬間移動ね!?」


 自分の周囲を囲うように爆発を起こし——続ける。そうすれば刺突攻撃は止むが、しかしいつまでもこうしてはいられない。哺乳瓶に口をつける。内容量は四分の三。


「〝二重詠唱にじゅうえいしょう〟——〝透視界サーチライト〟」


 爆破魔法で周囲を満たしつつ、走査魔法でクレイトスの反応を探すのだが——。


「なるほど魔力の反応は隠されてて! 視覚情報で追おうとしたなら——」


 爆発魔法を躊躇したならまた光の刃の斬撃を喰らう。傷自体はすぐに治せるものの、これでは埒が明かない。


「範囲攻撃をされたら逃げに徹する。隙を見せたらすかさず刺しに行く。魔力切れと身体消耗の二者択一を迫る戦術!」


 また隙を見つけて光の刃を突き刺してくる。脳に響く激痛。喉から湧いた血を拭いながら、目の前で杖刃を突き出すクレイトスに笑いかけた。


「決闘特化型の魔法使いか!」

「そうでもなきゃあこの歳で大賢者は無理ですねぇ!」


 周囲一帯を爆炎で埋め尽くす。クレイトスはすぐさま姿を消した。


「じゃあこうだ! この魔法の名前は——〝潮汐暴走タイドリベリオン〟!!」


 爆発の絨毯はそのままに、ホールの天井近くに浮かぶ、月を模した明かりを指差した。


 ——せっかく月を模してるんだ、タダ乗りさせてもらうよ!


 この部屋を覆っていた透明な膜の全てが、パチンと割れるように弾けた。強化した明かりの引力に吊られ、怒涛の勢いで海水が侵入してくる。

 周囲は冷たい海水に満たされた。塩っぽい匂い、耳には圧迫感。

 口元を押さえながら上を見上げた。水色の陽光はごくごくわずかに差している気がする。


 ——深さは三十メートルくらいか。回復魔法でゴリ押せば体調不良は無し。それじゃあ続けて——〝三重詠唱さんじゅうえいしょう〟。〝宇宙空間コズミック〟からの〝氷河期アイスエイジ〟。


 〝氷河期〟は確かに発動した。ミオンからの受け売りだが上手くいったようだ。

 氷はみるみるまに広がっていった。空気中ですら空間を氷で満たす魔法である。海中にあっては氷の広がるスピードは異次元。すぐに周囲一キロの海水を凍らせた。そこから先も、鈍化はしつつしかし着々と凍らせていく。


「魔力を帯びた氷で埋め尽くせばどこかに空白が出来るはず……」


 改めて走査魔法でソナーすれば、確かに数百メートル先に人ひとり分の空白があった。しかし空白は上方へと移動していっている。


 ——何らかの方法で氷に飲み込まれるのを回避してて、かつ海上に逃げようとしてる?


 哺乳瓶は残り半分。僕は上方の氷を水に戻しながら足元から氷を迫り上げさせて、すぐに三十メートルの海を登り切った。ぴょんと飛び出る。


 海面は一帯が氷に変貌していた。夕陽が眩しく反射する。

 商船は立ち往生し、港町の人間が埠頭の周りに大勢集まっている。断崖絶壁の上、学園の方を見れば、こちらも外向きの通路に生徒がごった返していた。

 向こうに立つクレイトスの輪郭が、冷たい風に流されぼやけて見えた。濡れた白衣がバタバタと吹かれている。


「よそ見ですかぁ」

「目は逸らしてるけど、頭では術式を構築してるよ。さっきの光の刃の情報を〝魔法反射衣リフレクローク〟に組み込んだ。もう貫通はさせない」

「へえーっ、凄いですねぇ。少しだけ、ですけど」

「でも君は次の魔法の備えがあるみたいみたいだね」


 クレイトスが身体を揺らすと、やはり輪郭が世界に溶け出すようにして、潮風にたなびいてるように見える。


「私は〝偏在へんざい〟している。世界に遍く満ちる精霊と同じ様に。ゆえに私は——〝精霊体メルヘン〟」

「身体を精霊と同種の構成に置換する魔法? それで?」

「だから私は精霊に直接触れることが出来るわけでぇ」


 クレイトスは杖を仕舞って腕をくるりと回した。視界がぐにゃりと歪む。


「——!!」


 炸裂する空気に上半身を弾き飛ばされた。上半身の骨と内臓が木っ端みじんになる。すぐに治療して目線を戻せば、左右の氷がえぐり取られてキラキラと消し飛んでいた。


「〝精霊干渉体質メルヘンタッチ〟。これこそが私の魔法の粋」


 精霊とは世界に遍く存在している。まるで大気のように。しかしそれは魔法工程を経なければ現実世界に干渉することがない。そうでなければ大気に押しのけられるはずだから。だが、もしもそれら精霊をそこにいるままに接触可能な存在にできたなら? 本来大気に押しのけられているはずのものが、突然そこに重なって現れると——一瞬のうちに、空気と精霊が炸裂することになる。それこそが——。


「〝精霊の単純活用フィー・ド・バン〟」


 光の歪みが何百何千と出現した。〝精霊の単純活用〟が発動する直前の反応である。


「なるほど。〝精霊干渉体質〟。古代魔術の性能を底上げする魔法なんだ」

「古代魔術は現代の魔法工程を経ていない以上『魔法とは異なる現象』——『魔術』ですぅ。反射はできないはず」

「そうだね。これを喰らったら僕は跡形もなく消し飛ぶだろう」


 満を持して、クレイトスが指を鳴らした。

 周辺一千平方メートル、逃げ場なく押し潰すような炸裂が襲い掛かる——直前に、僕とクレイトスの足元の氷が一斉に隆起して、二人とも超上空にぶっ飛んだ。〝精霊の単純活用〟の嵐は回避できる。


「なっ——!? 何が——起こったんですぅ!?」

「あははっ! こんなに吹っ飛ぶんだ!!」


 クレイトスは割れた海を見下ろしている。僕も続けて見下ろせば、海底一帯には凝固した黒いマグマがあった。


「海中に置いてきた〝宇宙空間〟に剥き出しの星を召喚したんだー! 溶岩と氷が反応したら水蒸気爆発が起こるってこと!!」


 港町に降りかかった超体積の氷はアカラの分体が防いでくれているようだ。


 ——遅れて大津波も起こるだろうけどそっちも頼んだよ!


 雲を纏う高さから夕焼けを見下ろす。高度ゆえの極寒の暴風に煽られながら、哺乳瓶に口をつけた。残り四分の一。


「じゃあここが最終ラウンドだね! ふっふふ。教えてあげるよ魔法の粋を」

「なっ——」


 逆さに落下しながら右腕を掲げれば、座標的には下方に、それぞれ十メートルはある黄色い魔法陣が大量に現れた。一目で全貌を捕らえるのは不可能なほどに大規模で、複雑に絡み合ったその姿はまるで天球儀のようでもある。


「この魔法の名前は——〝百火繚乱オーロラバースト〟!」


 これが爆発したら、それ一つで建物一つを包み込める。まともに喰らった人体は蒸発させ、衝撃波だけで数キロ先の塀まで叩き割る。ここくらいでしか撃てない大魔法。


「神様? 間に合った?」

『バッチリ中継中だ』

「よっしゃ! じゃあみんな一緒に叫ぼうね! 魔法の粋は——〝爆発〟じゃあ——!!」


 雲を蹴散らす大爆発がドミノを倒したように連鎖して、空一面を埋め尽くした。

 学園と港の大歓声を遠くに受けつつ、目を回すもののクレイトスの姿は見当たらない。


「〝偏在スキップ〟がある以上!」


 分厚い煙を抜けた頃、クレイトスの声が背後からした。振り返れば右腕を構えて〝精霊の単純活用〟を撃たんとしている。


「結局あなたの攻撃が私に当たることはないんですよぉ!」

「ああうん、今のはパフォーマンスだからね。ファンサービス……これこそが、僕がこの学園で学んだ大事なことの一つなんだ……」

「は?」

「さてその瞬間移動、慣性は保存されるんだね。自由落下しながら、発生までにラグのある座標指定攻撃を当てれる自信がある? そんな経験ないんじゃない?」

「あっ……てれ、ますけどぉ……!?」

「ちなみに僕は全く同じ条件での戦闘経験があるよ!」

「なっ——じゃあ逃げるだけですぅ!」


 クレイトスは視線を下に向けた。下方向へ瞬間移動を繰り返し、落下距離を縮めるつもりなのだろう。


「そうもさせない! このまま二人で海の底に叩きつけられちゃおうか! この魔法の名前は——〝超惑星セレスティエラ〟——」

「なっ……まさかその魔法はっ……!」


 空になった哺乳瓶を投げ捨てる。


「これが僕の奥義にして最先端のその先だ! ——〝閏秒トゥ・ザ・フューチャー〟!!」


 〝閏秒〟。これはわずかな時間を世界に挿入することができる魔法だ。この時間中、僕以外の人間は意識を失う。発動さえできてしまえば必殺といって差し支えない。

 しかしこの魔法を撃てる状況はごくごく限られる。元より世界に時空間以上が起こるような状況が無ければ撃てない魔法なのだ。

 なので僕は、地球の傍に、地球より大きな惑星を一瞬だけ召喚した。それが〝超惑星〟。


「——じゃあ二十二秒の間、みんなおやすみー!」





 僕とクレイトスは、数百メートルの落下の果て、海底に叩きつけられた。

 元いた場所、アカラ本体の前。

 自分の傷を先に治して、ぺしゃんこに潰れたクレイトスに〝魔法反射衣〟をかける。


「これで君はもう回復魔法を受け付けない」

「ぁ————」


 波に押し寄せられた巨大な氷が僕らを挟み潰さんと迫ってきている。

 機械の中、クラゲが触手を動かすと、周囲に魔法陣が浮かび上がった。それは収縮すると同時に始めにあったような透明な膜を張る。氷は膜に触れたところから海水に戻っていった。

 再び太陽と月が浮かび上がる。


「勝負あり。無名の魔法使い、オズ・イリズムの勝利です」


 声に目を遣れば、そこには透き通るゼラチンの身体の人型が——アカラが立っていた。

 魚の群れがクレイトスの身体を覆う。


「ありがとうございました。クレイトス」


 アカラの声と視線には、疑いようのない、心からの労いが込められていた。


「では……手続きを済ませましょう」


 そうして僕は彼女と目を合わせたのだった。こちらの背が低いので、見上げる形で。


「新たな大賢者。あなたは何を名乗るのですか?」

「ごめんねアカラ。これは、僕とクレイトスさんがそれぞれをアカラの守護に推挙する決闘であった以上、クレイトスさんの冠名はいただけないな」

「となると——」

「いや——」


 傷を治療されたクレイトスが、腕をついて顔を上げた。


「あなたが私より強いことは証明された。なら、いずれにせよアカラ様の守護にふさわしいのはあなたの方ですぅ。わ、私はぁ、そのつもりで——」


 思わず苦笑する。


「クレイトスさん、あなたもアカラの極端な思考回路に毒されてたみたいだね」

「ん? どの口が誰を極端って言いました?」

「別に僕が勝ったからってこの学園からクレイトスさんを追い出すわけじゃないのに」

「えっ。そ、れはぁ」


 僕はそこにアットマがいるだろうと確信して振り返った。

 きょどきょどと辺りを伺いつつ——しかしアットマは確かに、僕の元へ歩いてきていた。他の二人は見当たらないが、きっと伸びてしまっているのだろう。流石にルルキスとミオンを相手してまだ余裕があるのはアットマだけだったようだ。


「ぜ、ぜぜ、全部、少なくとも学園内では配信できてるよ。あ、あとは近くの街と、大陸の主要都市くらいには」

「十分以上すぎて怖いくらいだよ、流石だね。ありがとう、僕の神様」

「えっ? 尊死——」

「まだ死なないで!?」


 改めて、僕はタブレットのカメラに手を振った。


「ではみなさん、こんにちは、初めまして! 新たに大賢者に名を連ねることになりました、八冠の一粒、〝彼方〟のオズ・イリズムです! みんな、これからは僕をこの学園の戦力に数えてね。ということで、よろしくお願いしまーす!」


 クレイトスは目を丸くしている。


「つまりそれは——」

「うん。この学園がいわくつきの僕を受け入れてくれた以上、僕にはこの学園を守る責務があると思って。これでクレイトスさんが懸念してただろう問題は解決するんじゃないかな。つまりこれで学園は社会的中立を維持できる。三人の大賢者という大戦力でもって……ね!」

「それはそれでまた別の問題が発生しそうですけどぉ!?」

「後のことは後で考えよう!」


 アカラが目を逸らしながらごにょごにょと何か言っている。


「結局守ってくれるんですね。ふん、別に嬉しくなんてないですけど」

「は、半世紀越しの念願なのに素直に喜べない!? そ、そそ、それはもう、筋金入りのツンデレを通り越して、異常者の域なんじゃ……!?」

「いいえアットマさん。私は本体の最後の記憶をインストールされているだけで、あくまで別の存在です。決して私本人がこんな人間だったという訳ではありませんよ」

「言い訳に余念がないっ!」


 僕とクレイトスは顔を合わせてお互い困ったように笑った。

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