第24話 オズ vs アットマ

 僕の前にいるのは〝記憶〟魔法のスペシャリスト。この歳で「理屈を欺く」という発想に至っている正真正銘の天才だ。〝幻覚〟や〝呪い〟すらも操る、幻惑の炎の主。


 彼女はその才能をいかんなく発揮し、呪いのチェーンメールで学園全体を高熱に寝込ませた。しかしそれはそれ自体が目的ではなく、僕にミオンたちの悪だくみを発見させるためのただの前振りだったようだ。なぜそんな回りくどい真似をしたのか。


 それはただ、僕に対して自分のことを有能に見せようと思ったからだろう。そうでなければ「ミオンの動向を探っていたら悪だくみに気付いた」と正直に言い出せばよかった。そうしなかったのは、僕から神様を頼る形にしたかったからだ。事件の解決に乗り出した僕を補助する形にしたかった。こう切り取れば、マッチポンプの側面があったことが分かる。


 もちろん、僕たちが彼女に助けられた事実は無視できない。彼女の介入なしではミオンたちの企みに気付けず、ノルンとキューが命を失っていた可能性は大いにある。


 だから彼女を責めることはできない。けれど彼女を見逃してもならない。





 アットマのタブレットにからほわわっと紫色の魔法陣が浮かび上がった。


「簡易術式起動——〝マッチの炎〟。コピーして乗算」


 ミオンの助言通り、既に〝魔法反射衣〟は纏っている。


「幻覚だって僕の魔法反射は貫通できない。なにしたって無駄だよ」

「それはどうかな。だってこの夜は少し冷えるから」


 アットマは自分の頭にトンと指を置いた。


「ボクは心の底から、ただただオズを温めたい一心で、炎を見せるよ」


 瞬間、僕は火炎の真っ只中にいた。喉を刺す熱風に口を押さえる。肌が溶けるような熱さ。


 ——なるほど!? 善意の魔法だから反射できなかったのか! というか僕の魔法反射ってそんな穴があったんだ。僕よりも僕の魔法に詳しいね……!


 陽炎に揺れるアットマが、再び指で額に触れる。


「敵意はここからだ、既に炎は千度を越えた。元より幻覚、際限は無い。炎は加速度的に熱くなり続ける。いくらオズが防御しようが、気絶させるまで一分もかからない」


 ならば一分で勝負をつけるまで。指を上に掲げる。


「三位の精霊よ。目を醒ませ、思い出せ、セレンの馬車を引き綺羅星を跨いだ栄光を」

「——!? オズが、詠唱!?」

「描かず。象らず。それは既にそらにある。法陣は天球の円環」

「〝星〟の魔法か!? なら——」


 炎の壁は、僕の頭上すらも覆った。


「燃焼は真空と反する現象! そこは宇宙の対極! 夜空の見えない炎の中にあって星が生まれる理屈はない!」

「この魔法の名前を聞き届けたまえ——〝太陽斥下〟!」


 直上の遥か上空にポンと小さな火球が生まれた。それは瞬く間に大きくなり、やがてコロナを纏い橙の炎を蠢かせる太陽に変化する。十メートル近くある巨大な火球である。

 アットマは汗を浮かべながら空を見上げた。


「や、られた。星は星でも太陽か。それなら当然——」

「炎の中からでも生み出せるよね。ああもうあっつい。じゃあもう落としちゃうから!」


 指を振り下ろせば、火球はズズズと落下を始めた。


「僕に見えてる君はどうせ幻覚でしょ? なら周囲一帯を焼き払うことにするよ。周辺十キロくらいは焼け野原になるから、逃げたって無駄だからね」

「なるほど、この規模が相手では下手な防御魔法も焼け石に水だな」


 落下まであと三十秒。


「さあ交渉といこう。幻覚を解いてくれたら、こちらも火球を消してあげる」

「いいや。オズはもう気絶寸前なハズだ。幻覚は解かない」

「そう思う? 僕が平然なように見えてはいない?」

「オズは無詠唱で回復魔法を使える。焼ける身体を回復しながら無理やり喋ってるだけだ。そしてそれはもう間に合わなくなる」


 正解。流石に僕への造詣が深い。


 あと二十秒。僕には見えていないが、火球はもう地表を焦がすほどに近付いてきているはずだ。アットマの視界は赤色に染められている事だろう。


「僕に対しては関心があるんだよね、じゃあ僕は『物語の登場人物』ではないのかな」

「そうだね。ボクの忘却魔法から逃れられる以上、君は世界から際立って見える」


 あと十秒。周辺の植物が自然発火し始める。


「じゃあ、僕に忘却をかけてしまったら、僕はきっと君にとって他愛も無い存在になるんだろうね」

「——そ、それ、は」


 あと一秒——僕を取り巻いていた炎がパッと消えた。同時に落撃寸前だった火球を解除する。火球は熱波に変じて辺りに吹き荒れ、星明りの夜に赤い風を幻視させた。

 背後にいると確信して、振り返りながら右手をかざす。


「——〝爆ぜろ〟!!」

「——〝精霊の単純活用〟!!」


 お互いに攻撃し、そしてお互いに〝精霊の結びつき〟で防御した。


「すうー、はあー……。まさかその歳で——いや、クレイトスさんのアプリか」


 試験運用という話だったが、アットマのことだ。勝手にダウンロードしたのだろう。


「はあ、はあ……。ぼ、ボクにとって君は、生まれて初めて見つけた理解者なんだよ、オズ」


 攻撃の気配が途絶えた。話し合いに応じてくれるらしい。


「理解者って……理解してくれる人、だよね。僕は君のことを理解した覚えはないけど」

「ボクにとっての理解者とは、ボクのことを理解してくれるであろう人のことなんだ」

「それで君は満足なの? 相手からの承認は必要としないの?」

「あるいはたまに、尊敬してくれるなら」


「僕が尊敬するのは仮初めの君なのに?」

「ボクに仮初めじゃないボクだなんてものはいない」

「じゃあどうして『ボク』という一人称に拘っているの?」


 返事が途切れた。構わず尋ねる。


「どうしていつも吃りのある喋り方をしていたの? 神様として尊敬されたいというならもっと頼りがいのある口調の方が適してるはずなのに」

「なっ……い、いや。いや! そ、それ、ほ、本当!? 口調は変えたりしてたはずじゃ——」


 アットマはハッと自分の口を押さえた。そう、アットマは動揺すると「素」が出る。

 僕はそれを知っている。今のアットマを誰よりも知っているのは、間違いなく僕だ。


「君は、もしかしたらこの学園に来るまでは本当に一個のアイデンティティとして確立していなかったのかもしれないね。けれど君はこの一年間、ただ一つの人格を目標としてそれに近付こうと自分の記憶を細かに操作してきた」


 偶然の産物だ、キューの狙いがそこにあったわけではない。しかし今の彼女には、「無くすには惜しい人格」が、確実に存在している。


「そして、そこから大きく離れるのを恐れているから、根っこのところの性格が大きく変わるほどの記憶改変は行えなくなっている。記憶を自動で修正していく完璧な術式は使えず、すぐに矛盾に気付けてしまうような極端で単純な記憶改変しかできない」

「そ、そんなことはない! だ、だって——」

「君にとって真に大事なのは僕からの理解なんかじゃあない。周りの人間からの尊敬でもない。ただ君は、キューに認められたかったんだよね!?」


 けれど会いに行かない。審判を受ける日を先延ばしにし続けている。


「もし君が、本当に心の底から、自分の記憶や人格をないがしろにしていいと思っているのなら、僕から言えることは無かった。けれど僕にはそれ以外の可能性が一つ浮かんでるんだ」


 幼少期から魔法に頼ったコミュニケーションしかしてこなかったというのなら。


「もしかしたら君はさ。それ以外のやり方を知らないだけなんじゃないの?」


 忘却の通じない相手との関係の作り方が、修復の仕方が分からない。だからアットマはキューに会いに行けない。もう十分に時間は経っているというのに。


「好きなようにキャラクターを変えて、行き詰まったら人間関係をリセットする。それが可能な環境に幼少期から身を置いていたせいで、人との付き合い方が分からない、あるいは分からなくなっちゃっただけ……なんじゃあないかなって、どうかな」

「い……いや、ぼ、ボクはそんな……」

「もしそうなら、君は不気味な非人間なんかじゃあない。人付き合いのいろはを学ぶ機会を失した——ただの引きこもりだ!」

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