第23話 主人と眷属

「あなたがアットマさん!? 初めまして!」

「はい、お初にお目にかかります」


 キューが次に教室を訪れたとき、アットマは平然と初見面をしていた。


「あ、キューたん! 来てたんだ! ほらこの子、うちのクラスの子だっ——」

「ああ、知っとるよ」


 キューはおもむろにアットマの机を蹴り倒した。


「えっ……なんですか」

「キューたん突然どうしたの? そういう日?」


 不気味で、許せない。

 アットマはツンとした態度でキューを見つめた。


「私の何が気に入らなかったか伺ってもよろしいですか? 改善してまいります」

「じゃあ気に入らんとこ言ったるわ。その口調、その人格、その風貌、何もかも一切合切気に入らんな。ほら、どうにかできるもんならしてみろ」


 キューは無理難題を突き付けたつもりだった。こういうどうしようもない要件を突き付ければ、滅多なことも言わないようになるだろう——と。


「そうですか。なら何もかも変えてきましょう」

「——は?」

「けれど全部変えるとなると少しかかりまして。出直すとします。最後にくるり、と」


 アットマは去り際に一度杖を振った。紫色のそよ風が吹く。


「ん……ん? あれ、キューたん? おはよ!」

「なあノルンはん。アットマという人間のことを覚えとるか?」

「ん? このクラスの三人目の人の名前でしょ? 早く会ってみたいね!」





 翌週。


「やっほー! 初めまして、私、アットマって言います!」


 パチッと開いた目、声にも張りがある。魔法で耳と尻尾を隠して、髪は茶色に見せていた。


「え、あなたが三人目!? あれ、髪型おそろじゃない!?」

「え!? マジで!? うそ、髪色まで同じだ!」

「うおお! ブロンド同盟組んじゃう!?」

「えっ、いいの? やったあ!」


 キューは顔を上げることが出来なかった。


 ——うそ……やろ。


 息が詰まる。意識が尖って視界が狭まる。動機がして息が荒くなっていく。


 ——まさか。


 本物のアットマだなんて幻想は、どこにも存在していなかったのだ。


 ——わ、私のせい、か?


 アットマの忘却魔法は、記憶の齟齬を自動で補正する。挟み込んだ記憶は本人すら気付かないうちに他の記憶に干渉し、矛盾を修正していく——それは身体を蝕むがん細胞のように。この魔法で自分の記憶を操作したならば——自分の人格形成に関わる記憶を消して、別の記憶を代わりに入れたというならば——人格は簡単に変容する。

 キューが以前会話した彼女は死んでしまった。そもそも彼女はアットマが創り上げてはそのたび捨ててきた無数の人格の一つに過ぎない。そして彼女が存在したことを、誰も、アットマ自身すらも覚えていない。

 彼女が生きていた証は、キューの記憶だけ。

 恥ずかしがり屋で、引っ込み思案で、しかし自分のこととなると饒舌になる調子のいいアットマは、泡沫のように失われてしまった。


「初めまして、えっと……キューさんだね!」

「すまんちょっと話しかけんといてもらえる?」


 アットマはムッと顔をしかめた。


「キューさんは気難しいタイプなんだね。これは理想のキャラクター像を掴むまでちょっと時間がかかるかもなあ」

「なあ、ノルンはんの真似するのは流石に安直すぎんか?」

「え、やっぱり? いやー私もそう思いはしたんだけど、まだノーヒントだったからとりあえず——」


 たははと頭を掻くアットマは、そこまで言ってから遂にキューの発言の異常性に気付いた。


「——えっ?」

「私は最初のお前が一番好きやったで。二週間前、初対面の時のおどれや。アレ以外は認めん。アレ以外で私の前に現れたって、おどれをアットマやとは絶対に認めん。それ以外で私の視界に入ってみろ、殺したる」


 アットマは後退るとき机に足をかけて腰を落とした。アットマの顔にはただならぬ恐怖が浮かんでいる。キューが見下ろせば、顔は白く汗は浮かび、次第に頭を抱えて震え始めた。


「な、なんでっ。なんでなんでなんで、なんで。なんで!? なんでなの!? なんで私のことを覚えてられるの!!? 嫌だ、嫌だいやだいやだっ……嫌だ、嫌だよ……」

「なあ、再現できるもんならしてみろ。まさか覚えてない訳ないよな?」

「なんでなの……わたし……いや……」

「ハッ! その惨めな姿に免じて一個だけヒントをやろうやないか。あの日のお前は自分のことを——『ボク』って呼んどったぞ!!」





**





 眷属は私の身体を抱き上げて、ただ頷いて話を聞いてくれている。


「私はアットマに、あの日の彼女を、求めましたわ。でもそれは……私が、殺してしまった彼女に、生き返ってほしい、と……罪逃れの、気持ちから。エゴ、です。でもそのたび、きっとアットマは、また違うアットマを、殺してきた」

「ゆっくりで大丈夫だよ」


 嗚咽に息を飲む。


「わ……私は、自分を許せない……。ただ、私、は……」


 瞬きと共に、両目から涙がこぼれた。


「彼女を、助けたい、だけ、なんです」


 眷属の裾を掴んでただ懇願する。


「お願いします……もうアットマに、自分を殺させないで、ください……」


 目を閉じて、また開くと、眷属は柔らかく微笑んでいた。あのときと、同様に。


「はい。承りました。ご主人様」


 ——あっ。


 眷属は私の涙をぬぐい、自分の唇に当てて笑った。


「アットマさんのことは僕に任せて。大丈夫」


 ——オズ。


「じゃあコン、キューは任せた。うっかりでも殺したりなんてしたらダメだよ?」

「お任せあれ!」


 眷属は行った。

 地面の冷たさを感じながら、夜空を見上げる。


 ——月が、綺麗。





**





 学園の通りを歩くアットマ。そのインカムに、ふとオズの声が届いた。


『神様、神様』


 おっと驚きつつ、タブレットを操作してノルンの携帯に繋ぐ。携帯のカメラもハックすれば、画面をのぞき込むオズの顔が全面に映った。


 ——ガチ恋距離だあ。スクショしとこ。


「あ、ああ、オズか。数時間ぶりかな。首尾はどうだ?」

『はーい、この通話に出た時点でアットマさんの負けだよ』

「……え?」


 画面に映ったオズが、頭の上から一枚の葉っぱを取り上げる。それと同時にポンと変化が解けて、代わりにコンの顔が写った。


『ははっ、何も見てないねアットマさん。なーんにも、見えてなーい!』





**





「あまりにも……あまりにも杜撰な嘘だったね、神様。いや、アットマさん」


 前方に立つアットマは、僕の声を理解するのにかなりの時間をかけたようだった。画面からゆっくりと目を上げる。その表情には、驚きと、そして絶望が浮かんでいた。


「最初からここに立ってたよ。やっぱりアットマさんが神様だったんだ」

「う、うそだ。ぼ、ボクは、誰の尾行も許さないよう、周囲の魔力反応を常に——」


 言いながら気付いて、自分の頭をバンと強く叩いた。


「——ああ、クソ。ボクの馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿」

「そうだね。僕は今、画面しか見てない君にとって透明人間だったんだと思う」


 手の平に乗せたキューの血に口を付ける。


「アットマさんが去ってすぐ、意識を取り戻したキューが掻い摘んで教えてくれたよ」


 アットマは咄嗟にタブレットを操作した。魔法陣が浮かび上がるが——しかしそこまでやってから、アットマは自分の魔法陣をくしゃりと握りつぶした。紫色の魔力が霧散する。


「クソ……消せない、なんて……」

「その仕草が癖になるほど人の記憶を消してきたんだね。だから『ごまかしの嘘』が下手だったんだ。誰だって自分のことを覚えていられないんだから、ごまかすという行為をしたことがない」


 アットマは無言でタブレットを操作している。


「アットマさん。僕はあなたとお話ししなくちゃいけないことがたくさんあるね」

「……『アットマさん』? 『あなた』?」

「どこまでが嘘だったのか、善意だったのか悪意だったのか」

「嫌だ、嫌だよそんなの。こうなったら力づくで君を倒してみせる」


 僕は負ける気がしなかった。僕の背中に手を置く誰かの気配を感じ取っていたからだ。


 ──そうか。誰かに頼りにされるって、こんなに嬉しいものなんだ。


「悪いけど、僕は負けないよ。なんてったって、先生とご主人様の想いを背負ってきてるからね! 絶対に負けらんないんだ!!」

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