第23話 主人と眷属
「アットマさんって言うの? 初めまして!」
「うん、初めまして」
次に会ったとき、アットマは平然と初見面をしていた。
「あ、キューたん! 来てたんだ! ほらこの子、うちのクラスの子だっ——」
「ああ、知っとるよ」
不気味で、許せない。
私はアットマの机を蹴り倒した。アットマは慌てて立ち上がる。
「えっ……な、なに」
「キューたん突然どうしたの? そういう日?」
アットマは耳をおろおろさせている。
「あ、あの、ボクの何が気に入らなかったか教えてくれますか? 改善しますから……」
私は苛立っていた。それは後になって気付く「胸糞悪さ」から。ただ当時はそうと理解していなかった。ただ、どうにかアットマにその行為を止めさせたいとだけ思っていた。
「ああ。じゃあ気に入らんとこ言ったるわ。その口調、その人格、その風貌、何もかも一切合切気に入らんな。ほら、どうにかできるもんならしてみろ」
こういう無理難題を突き付ければ、滅多なことも言わないようになるだろう——と。
「そ、そう。な……なら、変えてくるね、全部」
「——は?」
「でも全部変えるとなると少しかかるな……じゃあ今日はもう帰るや! 最後にほいっ!」
アットマは去り際に杖をくるりんと振った。魔力が私とノルンを通り過ぎていく。
「ん……ん? あれ、キューたん? おはよ!」
「なあノルンはん。アットマという人間のことを覚えとるか?」
「ん? このクラスの三人目の人の名前でしょ? 早く会ってみたいね!」
「やっほー! 初めまして、私、アットマって言います!」
教室の扉を元気よく開いて入ってきたアットマ。彼女は顔つきからして別人だった。パチッと目を開いて、声にも張りがある。魔法で耳と尻尾を隠して、髪は茶色に見せていた。
「え、あなたが三人目!? あれ、髪型おそろじゃない!?」
「え!? マジで!? うそ、髪色まで同じだ!」
「うおお! ブロンド同盟組んじゃう?」
「えっ、いいの? やったあ!」
——うそ……やろ。
息が詰まる。意識が尖って視界が狭まる。動機がして息が荒くなっていく。
——まさか。
甘かった。甘かったのだ。本当のアットマは、初めからどこにも存在していなかった。
——わ、私のせい、か?
彼女の忘却魔法、その術式を知った私には分かる。もう取り返しがつかない。あの術式は記憶の齟齬を自動で補正する。挟み込んだ記憶は本人すら気付かないうちに他の記憶に干渉し、矛盾を修正していく——それは身体を蝕むがん細胞のように。そんな魔法で自分の記憶を操作したというのならば——自分の人格形成に関わる記憶を消して、別の記憶を代わりに入れたというならば——目の前のアットマはもう私の知るアットマではない。
そして、以前会話したアットマはもう世界のどこにもいないのだ。あの恥ずかしがり屋で、引っ込み思案で、でも自分のこととなると饒舌になる調子のいい彼女は、泡沫のように失われてしまった。もはや誰にも取り戻せない、私の記憶の中にだけいる存在。
「初めまして、えっと……キューさんだね!」
「すまんちょっと話しかけんといてもらえる?」
アットマはムッと顔をしかめた。
「キューさんは気難しいタイプなんだね。これは理想のキャラクター像を掴むまでちょっと時間がかかるかもなあ」
「なあ、ノルンはんの真似するのは流石に安直すぎんか?」
「え、やっぱり? いやー私もそう思いはしたんだけど、まだノーヒントだったからとりあえず——」
たははと頭を掻くアットマは、そこまで言ってから遂に私の発言の異常性に気付いた。
「——えっ?」
「ああ。じゃあ、ヒントをやるわアットマ。私は最初のお前が一番好きやったで。二週間前、初対面の時のおどれや。アレ以外は認めん。アレ以外で私の前に現れたって、おどれをアットマやとは絶対に認めん。それ以外で私の視界に入ってみろ、殺したる」
アットマは後退るときどこかに足をかけて腰を落とした。その顔にはただならぬ恐怖の表情が浮かんでいる。私が立ち上がったなら、ひっと声を上げて身体を強張らせた。
「な、なんでっ!? なんでなんでなんで、なんで!! なんでなの!!? なんで私のことを覚えてられるの!!? 嫌だ、嫌だいやだいやだっ!!」
アットマは自分の頭を抱えて震え始めた。
「なあ、再現できるもんならしてみろ。まさか覚えてない訳ないよな?」
「な、なんでなの……わたし……いや、だ……」
「ハッ! その惨めな姿に免じて一個だけヒントをやろうやないか」
私は、私はまた、こうして人を傷つける言葉を吐いてしまったのだ。
これが私とアットマの最後のやり取り。
「あの日のお前は自分のことを——『ボク』って呼んどったぞ!!」
**
眷属は私の身体を抱き上げて、ただ頷いて話を聞いてくれている。
「私は彼女に、あの日の彼女を、求めましたわ。でもそれは……私が、殺してしまった彼女に、生き返ってほしい、と……罪逃れの、気持ちから。エゴ、です。でもそのたび、きっとアットマは、また違うアットマを、殺してきた」
「ゆっくりで大丈夫だよ」
嗚咽に息を飲む。
「わ……私は、自分を許せない……。ただ、私、は……」
瞬きと共に、両目から涙がこぼれた。
「彼女を、助けたい、だけ、なんです」
眷属の裾を掴んでただ懇願する。
「お願いします……もうアットマに、自分を殺させないで、ください……」
目を閉じて、また開くと、眷属は柔らかく微笑んでいた。あのときと、同様に。
「はい。承りました。ご主人様」
——あっ。
眷属は私の涙をぬぐい、自分の唇に当てて笑った。
「アットマさんのことは僕に任せて。大丈夫」
——オズ。
「じゃあコン、キューは任せた。うっかりでも殺したりなんてしたらダメだよ?」
「お任せあれ!」
眷属は行った。
地面に寝ながら、夜空を見上げる。
——月が、綺麗。
**
学園の通りを歩くアットマ。そのインカムに、ふとオズの声が届いた。
『神様、神様』
おっと驚きつつ、タブレットを操作してノルンの携帯に繋ぐ。携帯のカメラもハックすれば、画面をのぞき込むオズの顔が全面に映った。
——ガチ恋距離だあ。スクショしとこ。
「あ、ああ、オズか。数時間ぶりかな。首尾はどうだ?」
『はーい、この通話に出た時点でアットマさんの負けだよ』
「……は?」
画面の向こうのオズは、頭の上から一枚の葉っぱを取り上げる。それと同時にポンと変化が解けて、アットマの画面にはコンの顔が写った。
『ははっ、何も見てないねアットマさん。なーんにも、見えてなーい!』
**
「あまりにも……あまりにも杜撰な嘘だったね、神様。いや、アットマさん」
前方に立つアットマは、僕の声を理解するのにかなりの時間をかけたようだった。画面からゆっくりと目を上げる。その表情には、驚きと、そして絶望が浮かんでいた。
「最初からここに立ってたよ。やっぱりアットマさんが神様だったんだ」
「う、うそだ。ぼ、ボクは、誰の尾行も許さないよう、周囲の魔力反応を常に——」
言いながら気付いて、自分の頭をバンと強く叩いた。
「——ああ、クソ。ボクの馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿」
「そうだね。僕は今、画面しか見てない君にとって透明人間だったんだと思う」
手の平に乗せたキューの血をごくりと飲む。
「アットマさんが去ってすぐ、意識を取り戻したキューが掻い摘んで教えてくれたよ」
アットマは咄嗟にタブレットを操作した。魔法陣が浮かび上がるが——しかしそこまでやってから、アットマは自分の魔法陣をくしゃりと握りつぶした。紫色の魔力が霧散する。
「クソ……消せない、なんて……」
「その仕草が癖になるほど、人の記憶を消してきたんだね。だから『ごまかしの嘘』が下手だったんだ。誰だって自分のことを覚えていられないんだから、ごまかすという行為をしたことがない」
アットマは無言でタブレットを操作する。
「アットマさん。僕はあなたとお話ししなくちゃいけないことがたくさんあるね」
「『アットマさん』? 『あなた』?」
「どこまでが嘘だったのか、善意だったのか悪意だったのか」
「嫌だ、嫌だよそんなの。こうなったら力づくで君の〝魔法反射衣〟を剥がしてやる……!」
僕は負ける気がしなかった。それは実力に差があったからではない。僕の背中に手を置く誰か──そんな気配を感じ取っていたからだ。
──そうか。誰かに頼りにされるって、こんなに嬉しいものなんだ。
歯ぎしりしていたアットマだが、僕のこんな態度を受けて少しだけ困惑したようだった。
「なっ……なんだよその余裕は」
「悪いけど、僕は負けないよ! なんてったって、先生とご主人様の想いを背負ってきてるからね! 絶対に負けらんないんだ!!」
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