第5話 ノルンお姉ちゃんとの生活

 なんだかんだ僕はノルンの部屋に居候していた。

 ノルンから魔法watchを借りたから魔法payの支払いはできる。学生証情報を利用して図書館で本を借りることもできるし、講義に潜り込むこともできる。制服風の服はノルンに仕立ててもらった。怪しまれたらいやいやゴーレムなんでと言い逃れできる。

 控え目に言って快適だった。いくつかの不満点に目を瞑れば。


 毎日毎日ゴミ部屋の掃除を押し付けられ、そして秒で汚くされ、炊事洗濯の全てをこなし、お風呂には一緒に入ることを強要され、粘土で男性の裸フィギュアを作り上げるまで就寝を許されず、毎晩襲われそうになり、たまに睡眠薬を盛られて目が覚めると裸で鎖に繋がれていたりする点、など、などなどなど——に、目を瞑れば。


 ——ああ、なんて快適な魔法学園ライフ。


 僕は壁に向かってちりとりを投げつけた。吐きつける。


「そうかな!? 本当に!!? 麻痺してないかなあ!!」


 腐った果物の皮や、裁縫で余った布切れなんかを蹴り上げる。


「なんなの!? なんで掃除したはずなのに一晩明けたら床が見えなくなってるの!?」


 黒い虫たちが僕の様子を心配して足元に集まってきた。伺うように顔を上げている。


「そんで……なんで虫が湧いてる部屋で平然と情事に精を出せるの!!? 昔の僕ですら虫が闊歩してたら不快感を抱いたものだけどなあ!!」


 僕が環境性のストレスから苛立ちのボーダーラインを下げていたところ、そんなことは露も気に留めぬ彼女がパカーンと景気よく部屋に入場してきた。


「オズきゅーん! 見て見て、お菓子作ってきたよー!」


 ベージュのカーディガン、緑赤チェックのスカート。この学園の制服姿。

 ブロンドの髪は左側だけ編み込んで留めている。残りは右に流して、艶やかなおでこを光らせていた。

 左の人差し指に指輪がワンポイント。緑の宝石が一粒キラリと輝いている。

 青い目には何故かいつもハートが浮かんでいる気が……。

 誇らしげにお菓子を掲げている彼女こそがこの部屋の主。ゴミ部屋を生成する星の元に産まれてきたショタコンの色狂い。その名をノルン・イリズムという。


「お菓子ぃ!?」

「うん、そう! 休日のお菓子づくり講座で作ってきたんだ!」

「この学園そんなものまであるの!?」

「当然! なんてったって世界の魔法の最先端だからね!」

「魔法関係ないよ! 絶対ない!」


 ノルンは机の上に散らかっていた造形用の粘土やヘラなどを右腕の一凪ぎで全て床に落とし、代わりにドンとコップを置いた。得意げな様子。


「ほら、お食べなさい。ゼリーよ」

「何も盛ってないよね?」

「疑うの!? せ、せっかく、オズきゅんのことを想って作ってきたのに!?」

「いやだって、ノルン……お姉ちゃんの方から勧めてきた食べ物、今のところ全部に何かしらの薬が入ってるんだもん!」

「酷いや……許せないよ……びええ」


 泣き始めたノルンを部屋に住まう自立するショタフィギュアたちが慰めていた。

 こいつらはノルンの調教を受けており、彼女の意思を尊重して動く。先の彼女の発言「許せない」に反応して、既に監禁道具を運んできていた。


「ああ、どうしてくれよう。ああしてこうして……」

「うっ……。じゃあ貰うけど」

「食べてくれるの!?」


 ノルンは一転、目を輝かせてこちらを見た。


 ——選択肢無いじゃん!


 僕は観念して席に着いた。懐から綺麗なスプーンを取り出す。ゼリーの見た目はふつう。


 パクリ。


「……あれ? おいしい。ふつうに美味しい」

「ホント? やった!」


 今回はただ普通に美味しかったな、疑ったのは悪かったかもしれない——そう反省しようとした直前——自分の身体を巡る魔力が増えるのに気付いた。

 〝体液を魔力に変換する術式〟が発動したのだ。


 ——このゼリー、入ってやがる!!?


「こらあ!! 体液入れたでしょ!!」

「なんでバレた!?」

「バッチいからやめなさいって言ったでしょうが!!」

「ふふーん、でも残念でした。今回入れたのは唾じゃありませーん」


 ——じゃあ何を入れたんだよ……!!?





「そういえば、お姉ちゃんって休日は結構自由に過ごしてるんだね。毎週こんな感じだし」

「こら、スプーンで人を指してはいけません」


 スプーンを向けたところ、びしゃりと指摘された。


「あ、すみません」


 こんなんでも一応、ノルンには常識がある。身の回りのことに頓着が無いだけだ。

 周りがおろそかになるほど自分の好きなことに熱中できるタイプの人間。


「お姉ちゃんって学者向きなタイプに見えるんだよね。毎日魔法の研究をすればいつか大きな結果を出せそうなのにって思って。大賢者だって夢じゃないよ」


 ノルンは眉をひそめ口を曲げ、ドン引きと形容して然る表情を浮かべた。「コイツ何言ってんだ」という内心が透けて見える。


 ——な、なにか変なこと言ったかな。


「休日は休日なんですけど? オズきゅんは平日と休日の区別がつかないタイプ?」

「あ、あっ……すみませんでした」


 言われてみれば、僕が学生の頃も多くの級友たちは休日になると研究は止めて遊んでいたような気がする。僕の方がおかしかったか。そりゃそうか。

 ノルンは大袈裟なため息をついた。ぶつくさと口を尖らせる。


「まあ、あるよ。研究教室ってのが。生徒数人ごとに先生がついて、休日に様子を見てくれる——ゼミみたいなのがね。普通はそれに顔を出して、質問したり助言を受けたりする」

「え、そうなんだ。講義選択制だからそういうホームルームみたいなものは無いのかと思ってた。凄く良い仕組みじゃん。行けばいいのに」

「いや、まあ……行ってみる? あんまり気が乗らないけど……」





 僕らがやってきたのは、軋む床板に隙間風の吹くボロボロの建物だった。


「え、ここはなに?」


 ——あまりにも最先端感のないところに来ましたけども。


「学園創立時の旧校舎だって。クラスの成績が悪いと、場所も悪いところになるんだ」


 教室の一つ。建付けの悪い扉を勢いよく開けば、そこには木製の机が三つある。

 しかし誰もいない。


「先生呼びにいこっか」

「え、え? 今のが例のクラス? 誰もいなかったけど」

「そ。誰も来なくなっちゃった」





 近くのカフェのテラス席に目的の女性はいた。足を組んで本を読んでいる。


「探しましたよ先生」


 女性はコーヒーのカップを置いて意外そうに目を上げた。


「ノルンさんじゃないですか、珍しいですね。メール入れてくれればよかったのに」


 彼女は想像の何倍か若かった。多分まだ二十代だ。

 白いブラウスに白いスカート。青いネクタイを締める。大きなコートを肩にかけている。

 長い深紅色の髪が高貴な印象を抱かせた。


「そろそろ向いてない魔法系統の研究を辞める気になりましたか」


 そう言って、女性は向かいの席を指し示した。

 ノルンはムッとしつつも、しかし席に座った。僕も隣に座る。

 女性から「誰……?」という目線を受けている。


「あ、こんにちは! 僕は、えっと——」

「ふん。見てくださいよイドニア先生、これが私の最新作ゴーレム、少年型十二号です」


 鼻を鳴らすノルンに自己紹介を奪われた。


 ——訂正……も面倒くさいか。十一人のお兄ちゃんは後で供養しておこう。


 イドニアと呼ばれた女性は眉間に皺を寄せた。


「はあ? はあ。これが? へえ、すっごくよくできてますね。すごいすごい」


 心のこもってない声で適当に返しつつ、僕へ向けて魔法phoneをかざす。


「フッ。常識はずれな魔力量だこと」


 イドニアは鼻で笑う。魔力を計られていたようだ。


「ああ、はいはい。ノルンさん。これは確かに、すっごくよくできてるゴーレムですね。姿かたちも仕草も、全くもって人間にしか見えません」


 ——人間に見えなきゃびっくりだよ。


「仕方ありません、認めましょう。これがきっと史上最高の抱き枕であることを」

「そうなんですよ! あ、間違えた。そうでしょう!」

「で、これはあなた以外の誰の役に立つんですか?」

「えっ」


 イドニアは足を組みなおした。くっと顎を上げる。


「このゴーレムが戦争で役に立ちますか? なりませんよね、こんな魔力じゃあ戦力には数えられません。では暮らしで役に立ちますか?」

「えっと——」

「ああ! もちろん言わんとすることは分かりますよ。異常性癖の方々の役には立つかもしれませんね。ではこれの再現性は? 量産性は? あなたの傍から離れた場合の恒常性は? それらを追求しようとしていますか?」

「いや、その、それは——」

「していない、ですよね。なぜならあなたは満足したからです。『満足』、ああ、『学問』の対極をなす言葉です。ではあなたにとってのゴーレムとは何なのか? 自分の満足する部分でやめるもの。それはつまり趣味です」

「っ——」

「私はあなたのためを思って言っているんですよノルンさん。はいすみませんでしたと一言頂けるなら、もっと現実的で将来性もある研究題材を提示して差し上げましょう」


 イドニアは勝ち誇らんばかりにコーヒーをすすった。


「二度と私の元にあなたの趣味の人形を持ってこないでください。私は変態の自慰行為に付き合ってられるほど暇じゃあないので」


 ——あらー、これはこれは。


 ノルンの担当教師イドニアは、教育においてはからきしな研究者だったのだ。

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