第11話 キュー過去編

 私は昔から友だちを作るのが苦手だった。


「ねえ、混ぜて——」

「うわ、蝙蝠女や。あっち行かん?」

「吸血鬼が話しかけんちゃうぞ!」


 歳の近い子どもたちからは煙たがられた。


「ねえキミ、あんなやつらほっといて、僕とボール遊びしようよ!」

「あ……外遊びは……。私、日傘、手放せんから……」

「あっ……そっか。そうか、ごめんね……」


 比較的理解のある子に対しても、こんな感じ。





「遥か昔から、吸血鬼による人攫いは横行していました。しかし人間側で百年おきに行われてきた大呪術により、吸血鬼には種族全体に対する呪いがかかっていったのです。日光は致命的になり、流水は渡れず、招かれていない部屋に入れない——そうして次第に吸血鬼は超越的な種族ではなくなり、人間との交流が始まりました」


 学校で習うのはこういうこと。


「そろそろ百年です。吸血鬼の中には私たちと一緒に生活している方も沢山います。それでも新たな大呪術を行うべきでしょうか? みなさん話し合ってみましょう」


 おいおい、実際の吸血鬼がいる教室でそういうことをするな。


「まだ身体的にも魔力的にも差が大きいです。呪うべきだと思います」

「お母さんが、吸血鬼は裏でカルトを立ち上げてるって言ってました!」

「まだ吸血衝動ってあるんやろ? 私はそういうの、怖く感じるわあ」

「名のある魔法使いを何百人も集め、何年も準備させるほどの脅威ではないと思います」


 擁護意見があっても実利の面と比較してみたいな。リソースを無限とするなら、まだまだ吸血鬼は呪われるべきだとみんな考えているのだ。


「では、キューさん、当事者として最後に一言貰ってもいいですか?」

「あ、はい」


 私がいるのを踏まえてのことだったんだ。なおさらタチが悪い。


「立ち上がってもらって」

「あ……は、はい」


 教室の目線が痛く感じる中。苦笑いなのがバレないように努めて答える。


「えっと……私も、吸血鬼は、まだまだ呪われるべきやと思います。みなさんとの差が埋まるべきやと思ってます」

「はい! ありがとうございます! キューさんが穏健派の方で良かったです!」

「あ、はは」


 新聞では既に、過激な吸血鬼の活動が報じられるようになっていた。大呪術を撤廃しようとする彼らの行動が、悪行として載せられた。

 私も気持ちの上では彼らと一緒だった。もう十分呪われているのだ。

 でもそんなことを口にしてはならない。親に迷惑がかかる。





 親との買い物は夜市に行く。


「オカン、これ安いで。ほらこれも。ほなこれ一つ」


 私の両親はどちらも吸血鬼特性を持っていない、いわゆる普通の人間である。吸血鬼なのは父方の祖母だけで、私は潜性の遺伝子が現れた形になる。


「そんなに野菜ばかり買ったら晩御飯がサラダの山になるわよ」


 うちの夕飯の時間は遅かった。夜市に行く時間からさらに遅い時間。

 つまり両親は私の生活リズムに合わせてくれていたのである。

 この頃の私は、両親に気を遣わせているのを申し訳なく思い始めていた。とはいえ、相手は親切心なわけで。気にしないでいいとも言えず。

 ぼんやりと——私の両親は、夜にならないと買い物できないことや、手間のかかる自分に嫌気が差し始めてやいないだろうか——と思ったりもしながら。


 ふと、向こうから人の声が上がった。


「おい、あぶねえぞ!」

「キャア!」


 その方向に目を向ければ、暴走した馬車がこっちに突っ込んできている。


「——オカン、危ない!!」


 私は母親の腕を引いた。咄嗟のことだったので、かなり力強く。

 なんとか馬車は回避した。遠のいていく荷車に目を遣る。


「あ、あぶないな、ったく」

「ッ——」

「……ん、どした?」


 不穏な気配に母親の方を遅れて見れば、自分の爪が母親の腕に深く食い込んでいた。


「——あっ。ダメ、こっち見ちゃ——」


 母親の腕からは血が溢れ、腕を伝って地面に垂れていた。ただのかすり傷なんてレベルではない。刃物で刺したほどのものだ。

 きっとこのときの最善の行動は、すぐに手拭いを取り出すことだったのだろう。

 しかし私は、母親の腕を掴んだまま、呆然と立ち尽くしていた。


 なにせその血が凄く魅力的に見えたから。


「……あ? お、おい、おい!!」


 不意に辺りの男性の一人が声を上げた。彼は私を指差している。より厳密に言うなら、私の尖った耳を指差していた。


「吸血鬼が……人を襲ったぞ!!?」


 その声は周囲に響き渡った。堰を切ったように、たくさんの男性が私に覆い被さる。


「おい、誰か早く衛兵を呼びに行け!!」

「俺が足を抑える!!」

「女だからって舐めるな! 相手は吸血鬼だ!!」


 母親の悲痛の訴えは、辺りを包んだ喧騒に飲み込まれた。

 このとき思ったこと——。


 まず、多くの男性に押さえつけられるのはやはり相当な恐怖だった。胸も顔も容赦なく押さえつけられる。そういう点では、かなりのショックがあった。

 自分が母親を傷つけてしまったいうのも衝撃だ。自分がどれだけ暴力的な存在かを理解させられ、どうしようもない孤独感に襲われた。


 ちなみに今挙げた二つはウソ。でも今から言う一つだけはホント。


 私の頭は——母親の血を飲みたいという衝動に支配されていた。


「あ、そう」


 不意に涙が流れた。どうして涙が流れたのか、それは後から少しずつ分かった。

 このとき私は、吸血したいという衝動以外の何の感情も浮かべていなかったのだ。尊厳が踏みにじられたことにも母親を傷つけたことに対しても全く何も感じない。本当にただただ、血を飲みたいとしか考えていなかった。

 人間の手によって人間の社会で育てられてきた私には、これがたまらなく面白くて、意識せずとも面白さのあまりに涙が溢れたのだ。


「そっか。違うんや、私」


 笑い話なんだから、笑いの涙に決まってるでしょう。


「なのになんで合わせなアカンわけ?」


 身体を蝙蝠の群れにして抑え込む人間たちから回避した。蝙蝠が市場中に飛び回り、あらゆる人間の手首や首筋に張り付く。


「ひっ」

「キャアアアア!!」


 それらは無差別に吸血し始める。市場は混乱に陥った。みなひたすらに群がる蝙蝠を振り落とそうとしている。

 元いた位置に蝙蝠の群れの一部が集合し——私は再び人の形をとった。


「あ、ははは。アホばっかやな、おもろ」

「キューちゃん」

「ほな帰ろか、オカ——」


 パチン、と。


 振り返るのと同時に、私は頬を叩かれた。母親は悔しそうに下唇を噛んでいた。


「今すぐにアレを止めさせなさい」


 呆然として自分の頬を抑える。


「一時の感情でキレちゃあダメよ。このあなたの行いのせいで他の吸血鬼がどれだけの迷惑を被ると思ってるの。あなたは耐えなくちゃあいけないの。そしられても、さげすまれても、じっと耐えなくちゃあ——平等な世の中はやってこないんだから」

「……なに?」

「今すぐに。やめなさい」

「私が、悪い?」


 私は母親を押し飛ばした。軽く押しただけのつもりだったが、地面に倒れた母親は身体を起こすことすら難しいようだった。


「オカンに何が分かんの? 知った風な口効かんといてくれる?」


 衛兵たちが来て私を取り押さえた。魔法の詠唱を受けて、身体を巡る力が失われていく。


「言ってみ。ほら言ってみ? 私の何が分かんねん。おいお前、分かるんやろ? 言ってみいや、私が何を思って生きてるか——何に耐えながら生きてんのか!! その大層立派な口で言ってみろ!! 分かるもんなら言ってみろや!!」


 私は縄に繋がれ連行されながら、泣きながら母親に吐きつけた。

 これが母親と交わした最後の言葉。


「二度とその偉そうな口を効かすな!! この——人間風情が!!」





**





 チーム戦が始まって、私とノルンは一人の生徒と相対していた。

 『王国最優』の肩書を持つ生徒——ルルキスである。とはいえ人間風情だ。


 ——ゴーレムだけが別の会場に飛ばされたんか。


「おいおいお相手方、人数配分を間違えてますわよ」

「ね! 二人でなら勝てるよ!」

「私は人数が作為的に操作された可能性をイヤミに指摘したんですけれど……?」

「あ、そういうことだったんだ!」


 ルルキスはポケットから携帯を抜いた。


「間違えちゃあねえさ。テメーらを倒してすぐに三対一になるんだからな」

「ふん! 私たちだって頑張るもんね!」


 ノルンは左手を高く上げた。緑の指輪が光る。


「おいで、私のヴァルキリーちゃん、第二世代!」


 高さ二メートルほどの、女神を模した石像が光の中から現れた。右手に剣、左手に盾を握っている。石像ながら、しかしノルンの魔法でもって生き物のように滑らかに動く。


 ——相変わらずこれだけは文句なしに綺麗な石像やな。性癖さえなければな……。


 石像がルルキスに襲い掛かるうちに、私は詠唱を始めた。


「一位の精霊よ。身体巡る創造の証よ。隷して並べ、是なるは血の赤を知る者ぞ」


 自分の手首に爪を立てて前方に振れば、噴き出す血がぴしゃりと飛び出る。それは壁に張り付いたように動きを止め、次第に前方に赤い魔法陣を作っていった。


「象るのは循環。彩るのはサングイン。耽るがいい、貪るがいい。血潮の主が認めよう」


 魔法陣がダラリと崩れる瞬間に私が走ってそこに突っ込めば、身体に強化がかかる。


「この魔法の名前を聞き届けたまえ——〝身体強化〟」


 顔を上げると、石像がルルキスの目前で木っ端みじんに破壊されていた。


 ——え、もう壊されたんか。早すぎやろ。


 しかし、おそらく事前に仕込まれていたのだろう——爆発魔法が起動した。破片のそれぞれが爆ぜる。噴煙の向こうから怯む声がした。


「ぐっ——!!」


 ——ふん、悪くない。


 追い打ちに突っ込んだ。一歩で十メートルの距離を詰めて、音速の貫手をお見舞いする。

 しかし私の伸ばした爪が相手に届くことは無かった。目に見えない、しかし確実にそこにある壁に阻まれたのだ。

 煙の中から現れたルルキスは魔法phoneを前に構えている。


「その壁は〝精霊の結びつき〟。からの——〝精霊の単純活用〟」


 視界の中心が歪んだかと思うと、空気が収縮して弾けた。巨大な拳で殴られたような衝撃が全身を走る。あえなく膝をつき、喉からは血が溢れた。


「なっ……やられた風の声はブラフ……!? い、いや……詠唱、は……」

「今のは古代魔術ってやつだ。応用が効かず研究の余地もないが、しかし詠唱も魔法陣も要らない。一つ覚えるだけでも十年くらいかかるのが玉に瑕だけどな。じゃあなんでテメーは使えるのかって? そりゃあ処理のほとんどをこの携帯が担ったからだ。クレ公が開発したアプリによって、古代魔術の行使は非常に容易になった。まだ試験運用だが」


 背後からノルンの駆け寄ってくる足音が聞こえる。


「テメー、ちょっと有名だから知ってるぞ。学園一の〝呪詛返し〟。それほどの執念でもって呪詛返しを修めたのは、きっと自分のからなんだろうな。なるほど、それならお前は現代最強の吸血鬼なんだろう。いつかの昔、夜を統べた上位種族の姿だろう」


 ルルキスの携帯の先で、また光が歪み始める。


「さて、それでどうだ? あーしに勝てたか? 人間よりも遥かに多い魔力、血を媒体にした効率に優れる魔法陣、そして圧倒的な膂力。全てを遺憾なく発揮した攻撃で、あーしを倒せたか? 上位種族であることを証明できたか?」

「こ……の。道具頼り、の、劣等、が……」

「これはこれは。自己紹介どうも、劣等種族の吸血鬼さんよ」


 再び空気が炸裂する。しかしそれは、目の前に飛び出したノルンが身代わりになって受けたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る